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うまく言えないことを説明するのはむつかしいけれど「同志少女よ、敵を撃て」のターニャの言葉が代弁してくれた話


「同志少女よ、敵を撃て」は本当に素晴らしい作品でした。
最初の頃は「脳内がスナイパーになるような研ぎ澄まされた感覚」を楽しんでいたのですが、戦争の悲惨な部分を「母国の男性兵士の暴行」や「戦後の自分たち狙撃兵のこと」まで事細かに描かれていて、本当に読み応えがありました。

そして、それと別に最近モヤモヤと考えていたことがあって。
看護師の「ターニャ」のぶれない姿勢から、とても納得できる答えをもらったような気がして。
忘れないうちに、このことだけは書いておこうと思います。

ことの起こりは、わたしが「仕事のうえで、相当に危なかった人の一命をとりとめたこと」から始まります。
もちろん、わたしは医師でも看護師でもないので、直接にその人の命を救ったわけではありません(ケアマネージャーです)。
血圧が60台まで低下した「入院したくない独居老女」のクライアントを「入院したくないなら老人ホームで暮らそうか」と説得したのが始まりでした。
「ああ、どこかにお世話にならないとしょうがないね」と言ってくれたので系列の老人ホームをあたると「二人部屋」の空室がありました。
老人ホームの空室が今日の明日であるわけないのだからラッキーといえばラッキー。金銭的にも問題なく「それでも構わない」と遠方の家族が言ってくださったのもラッキーでした。
主治医を説得して往診をお願いし、訪問看護を頻回に入れたものの、血圧は80以下のままで「このまま看取りになるだろう」と思っていました。

それから1ヶ月半がたち、彼女は復活しました。
歩行状態は戻らず車椅子の生活にはなりましたが、食堂まで降りてきて、食事を全量接種できるとのこと。
関わったメンバー全員で、このことを喜びました。
できることを行って、誰かの命をつなぐことができる。
これはケアスタッフにとっては本当に喜びであります。

老女も老女の家族も「あなたに命を救ってもらった」と繰り返し言いました。
老女は「あのときの記憶はほとんどないが、それでも、ここに来て助かったのだけはわかった」とのことでした。
わたしたちのチームはたしかにひとりの命を救ったはずです。
ただ、そのことを繰り返されるたびに「居心地の悪いものを感じる自分」がいて。
わたしは、この正体をなかなか説明することができませんでした。

「もう少しで助かっていた命も」「助からないと思っていたけれど助かった命」も等しくあって。それはわたしの技量とはまったく関係のないところにあると今も思っています。

そして。
「同志少女よ、敵を撃て」のターニャです。
彼女は狙撃兵とともに行動する看護師。
彼女は戦闘地で敵国の少年を助けます。その少年は、セラフィマを撃とうとして、逆にセラフィマに撃たれた少年でした。
(セラフィマ)「ターニャ、あなたは敵味方の区別なく治療するの?」
「ああ。というよりも、治療をするための技術と治療をするという意志があたしにはあり、その前には人類がいる。敵も味方もありはしない。たとえヒトラーであっても治療するさ」(同志少女よ、敵を撃てより)

あ、近いかも! という、琴線に触れる感覚がありました。

そうなのです。
仕事の中にあるのは「ケアする技術」と「ケアするという意志」だけなのです。
それを使って有益なことができるのが喜びなのですが。
「特定の人の命を助けた」という名前がつくと、それはとたんに居心地の悪いものになるのです。

わたしは技術屋です。
そのケアの方向性が成功するか成功しないかだけの話です。
もちろん、そのことは結果として出てきて、評価は必要ですが。
必要以上に感謝される話ではありません。

それとは別に「人のためになること、誰かを助けること」をモチベーションにする人ももちろんいます。その「こだわりのちがい」について書いても「ほんとどうでもいいやん!」って話なのですが。

ターニャなら、わたしの言いたいことをわかってくれる。
そして、わたしはターニャのことがわかる。
そんな気がしてすごく嬉しくなりました。

ぜんぜん感想文になってないですね。



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