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満たされなかったいつかの私へ

今日は休日

休みの日は平日より忙しい

ずっと気になっていた家事をやったり、ずっと作りたかったパンを初めてチャレンジしてみたり、夫が子どもの相手をしてくれている間、気が付いたら朝からずっとキッチンに立っていたりする

私は専業主婦の母に育てられたせいか、実家に住んでいた最近までは全くといっていいほど料理も家事もしなかったし、料理はあまり好きではないと思っていた。今でも得意だとは絶対思わないけれど、義務ではなく作りたいものを作りたいときにできる料理は大好きなんだと最近気づいた。(毎日タスクとして行うご飯づくりは嫌いだけれど、お酒のあてにつくる料理は大好きだし、気まぐれにやる揚げ物も大好き)

いま、私はおそらく約10年前では考えられなかった人生を生きている

最初の結婚が1年ちょっとで破綻して、がむしゃらに仕事を頑張っていた頃、いくら売上がたくさん上がっても評価されても、なんだかいつも満たされなかった。何か自分の人生で求めていることとは違うような、なんだか足りないような気がする。だけれど本来の自分の満たされた状態とは何なのか、それは分からない。

なんだかモヤモヤした時間が5年ほど続いたのだと思う。
でも自分ひとりの時間はたっぷりあったし、やりたいことも存分に出来ていた。

正直、今は子どもはまだ小さくて自分の時間など限られたものしかなくなった。家事は終わりがなくてあっと言う間に1日が過ぎる

確実に独身のときのほうが、自由でやりたいこと、行きたい場所にはすぐに行けるし客観的にみたら満たされている感じがする。

制約がたくさんある今のほうが満たされていると感じる不思議

そして気づいたのは「満たされる」というのは「瞬間」の話でもあり「積み上げた時間のあとにやってくること」なのかもということ

今日、夫と息子が一緒に昼寝をしている図をみて

「ああ、わたし今満たされてるな」

という気持ちがこみ上げた

だから、このnoteを書きたくなった

過去の私は「満たされる」というのは結婚であったり子どもであったり「状態」や「出来事」のことを考えていたのかもしれない

でも、どうやらそうではない

結婚してもいろんな「瞬間」がある。夫婦関係で悩むこともあれば子育てで壁にぶつかることは多々ある。でも子どもが笑っている「瞬間」はやっぱり満たされているし幸せだと感じることのほうが多い。

そして、モヤモヤした過去、新しい家族と刻んだ数年間、そんな時間のつながりの中で「今」がつくられていて、それが「満たされる」につながるのかもしれない。

なんだかうまく伝えられなくて、もどかしい。

結論、「満たされたい」と思って試行錯誤している時間はきっとムダではなくて、いつかきっとそんなことを超越した「こみ上げる想い」が襲うこともあるよ、ということです。




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