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結婚に恋愛感情は必要か

先日、この記事を読んだ

以前からこのご夫婦のことは、なんとなく面白くて子育て観も含めちょっと注目しているお二人だった。交際0日で結婚されたことはあまりにも有名だったし、まあそんなカップルもいるだろうと思っていた。

ただ、たぶん自分にはできないなあということは分かっていた。
なので、結婚された理由を勝手に何か「直感」的なものだろうと一人で納得していたところもある。


あくまでも私見だけれど
結婚は壮大な実験だと思う。言い方をかえれば「賭け」とでも言おうか。

これは20代の頃からなんとなく思っていて、子どものころからどこか冷めたところのある私は恋愛感情など一時のものだ、一瞬だとなんとなく知っていた。

だけれど、恋愛をするときは誰だって!?ドキドキしたい。
そして願わくば、その恋愛の先に結婚があるとは思っていた。
上の考えとはかなり矛盾はするのだけど、まあ女子の考えることはだいだい矛盾が多いのが当たり前。


私は28歳のときに、初めての結婚をする。

彼と付き合った期間は1年くらいで、私ははっきり言うとブランドで結婚をした。地元では誰でも知っている老舗企業の跡継ぎというブランド。彼自身の人間性以上にその時の私には眩しくみえた。

もちろん性格というか人間性は、まあ真面目で一見すると優しかったし、何より私は「結婚」というものをナメていたと思う。「何となく」イケるんじゃないかと思った。今考えると恐ろしいが人生の伴侶を選ぶのに「何となく」とは。だが一方でこうも思った。結婚は大きな賭けだなと。恋愛と結婚では天と地ほど違うと子どもながら感じていたし、どんなに慎重に選んでみても、極論を言えばやってみなければ分からないのだ。

きっとこれは就職でも一緒。実際に働いてみないと本当のところは分からない。

そして私は「結婚という賭け」に早々に負けた。
最初の結婚は1年と2か月後に破綻するのだけど、うまくいかなかった原因を今ならはっきりとわかる。マザコンとか決断力がないとか、そんなことは枝葉のことで本質的にはこれだと14年たった今、思う。

人として共感できる部分がとても少なかったから。
いってしまえば、リスペクトする部分がとてもぼんやりしていたこと。

おそらく、結婚に関して「何となく」OKな部分と「何となく」ではダメな部分を間違ったのだと思う。人生のパートナーを選ぶという作業は半分以上は「賭け」なのだから。


結婚は日常の繰り返しだ。
恋愛をしているときは基本的に非日常の繰り返し。

どれだけの期間、非日常を繰り返したとしても相手を理解するには限界があると私は思う。

同棲するとか、結婚生活の予行演習をしている恋愛なら状況は全く違う。相手がどんな日常を繰り返すのか、その毎日の中で困ったこと突発的なことにどう対応するのか、それが逐一見える、見えてしまう。。。。

どんなことに感情が動くのか、いざっというときにどんな対応をするのか。結婚生活とは、まさにドキドキするとかトキメクとか、そんなあまっちょろいことを言っている場合ではないことのほうが多いのかもしれない。

最初の結婚から約10年後、37歳になった私はもう一度結婚をしたいと思った。

巷では婚活攻略本もたくさん出ているけれど、正直いって婚活市場はアラフォーにはとても厳しい。

それでも、結婚したかった。
大きな理由は子どもが欲しかったからだが、子どもは結婚しなくても授かる可能性はある。


だが、結婚したかった。

後付けの理由は何とでも言えるのだが、あまり理由はないのかもしれない。婚活は厳しかったけれど、何とか宣言した1年後に結婚した。

夫に出会ったとき、正直ドキドキするとかトキメクとかは一切なかった(笑)
かわりに、とても「生活」するイメージが持てた。
アラフォーにもなると、仕事でもプライベートでもたくさんの人に会ってきて、だいたいのキャラクターは分類できる。

だが、夫はあまり分類できないタイプの人だった。
なぜなら、「謎めきすぎている」。。。。。

あまり自分を見せない、何を考えているかいまいち謎。。。

なんで私はこの人に生活するイメージが持てたのか分からないけれど、芯の強さというか、ブレない感じとか、それだけはとても伝わってきた。

職業は「人となり」を表すと思う。
彼の仕事はおそらく、気が短くて、コツコツができない私のような性格では絶対につとまらない。

それが私がこの人なら大丈夫だなと思った一番の理由。
大丈夫とは、たぶん彼は私は一生かかっても敵わないことをいくつか持っている、ということ。

いわゆるこれを「リスペクト」というのだろう。
圧倒的に尊敬できる部分さえあれば、人生をともにできると確信している。
恋愛感情はなくなるけれど、圧倒的に尊敬できる部分はきっとなくならない。

ポイントは「圧倒的に」だと思う。
そこそこ尊敬できるでは、自分の成長スピードが速ければ追い付いてしまったり、出来るようになってしまうことだってある。
でも圧倒的はその人の「強み」なのだから、たぶん資質、キャラクターともいえる絶対的な部分だ。

極論、40代になると恋愛感情とかドキドキとかあまり意味がなくなり、本当にどうでもよくなってくる。それはさみしいかも、とか昔は思っていたけれど結婚生活はドキドキよりも大切なことがいっぱいあるのだ。

結婚生活というか子どもが出来ると、というほうが近いかもしれない。
子どもがいる暮らしは本当に大人だけの時の想像を軽く超えてくる。私たちの場合は40歳前後まで気ままな自由な暮らしをしていて、結婚し息子がやってきてくれた。母親父親という役割が増えると、信頼関係が何より大切になると思う。子どもの病気、自分の体調不良、親のこと、いろいろ。お互いがお互いを尊重しあいながら、協力して暮らしを営むチームなのだから。

ということで、結論。
ワタシは結婚に恋愛感情はいらないと思う。
ただ人として圧倒的に尊敬できる部分さえあればうまくいくのでは?
という、実験の5年目であります。

今のところ、控えめに言って最高に幸せです!!!!!!

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