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読後所感: 対岸のヴェネツィア(内田洋子)

もし「世界中の、どこか1都市へ旅していい」と言われたら、ヴェネツィアは、私にとって、確実にその1都市の候補に入る。まず、街の音と匂いが違う。移動手段が船と徒歩であることが、こんなにも街の音と匂いを変えるのか、と驚く。そして、迷路のような狭い石づくりの小径を橋を、ひとりで彷徨い歩くことが心地よい。ちょっと気になったそこの角を曲がってみるだけで、すぐに異空間に迷いこめる。空が明るいうちはいいものの、薄暗くなってからは、大の大人でもちょっとした不安感にさいなまれるほど。

もう十年以上も前のことか、初めて訪れた季節は2月で、日が暮れるのが存外に早くて迷子になって不安になり、オフィス仕事帰りらしい地元の女性にSOSを出して、ホテルのそばまで連れ帰ってもらった経験がある。(当時はGoogleマップも無かったし。いまのGoogle マップの再現率はどんなもんなんだろうね?)彼女は、イタリア語とフランス語を話すひとで、私は英語しかダメだったから、なんとなく身振り手振りで世間話もして、助けられたことを思い出す。

あるいは、ヴェネツィアを離れる日に駅で出会った、大聖堂のオルガニストだというおじさま(”自称”なので実際のところはよく分からない)のことも、今でも忘れられない。その日はちょうどカーニバルの前日で「この祭りを観ずに行ってしまうなんて信じられない」「宿が無いならうちへ泊まれ」と、果てには「いつか必ずここへ戻っておいで。イタリアで仕事を探せば良いじゃないか」と、名前と電話番号をもらって(今でも持っている)カプチーノを一杯ご馳走になって、別れた。列車で次の目的地フィレンツェへ着いて、駅から外へ出たときに気づいた街の騒音と排ガス… 自動車もバイクも走っていないヴェネツィアという水の街が私にとっていかに理想的な場所だったか、ロベルト(という名だったよ、そのひとは)の相当に強引なアドバイス、というか押しに屈してしまっていればどうなっていたろうか、と思ったりもする。

今はまだ行けない、と分かっているからこそ行きたくなる異国の地。大好きな(そして、語科は違えど同窓の、尊敬する先輩でもある)内田洋子さんの文庫新刊を手にして、かの地を想い、心踊らせ、目頭をあつくした。


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