自決の方法 文学の意義
「ねぇ、雪。雪は自決するならどの方法とる?」
「わたし?わたしは、阿寒に果つ」
読んでいない人には通じないけど
読んだ人にはめちゃくちゃ通じる。
小説「阿寒に果つ」は淳ちゃん(渡辺淳一)の最高傑作だと思っている。そしてそれはわたしの思考のベースを構築している一部分を担っている。
だから読んだ人(特に十代の多感な時期に)は「阿寒に果つ」と言うだけで、わたしがなにを言いたいのか?説明不要ですぐさま伝わる。
北の大地で育った作家が紡いだ、あの長く冷たく美しい物語を、多感な十代の時に読んで受けた感動込み込みで。
要するに凍死なのだけどね😂
別に阿寒に果つを読まなければならない。とか阿寒に果つを読んでいないからダメと言うわけではないのよ。
通常の場合は普通に凍死って答えるよ。
自決方法を質問してきた彼女は、とても読書家で、阿寒に果つを読んだことある。と聞いたことなかったけど、おそらく読んでいるのでは?とあたりをつけて、わたしはそうゆう答え方をした。
わたしの予測はビンゴで、彼女は中学生の時にそれを読んだよ~って。すごく興奮した様子の返事があり。そこから小説談議に花が咲いた。
文学の意義っていろいろあるけど、そのひとつがこれなのではとわたしは思う。
そして、このnoteのなかでも阿寒に果つ一発で通ずる人がいるの思うの。
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