見出し画像

4時間かけて登下校してわかったネパールの農村部の真実

一昨日に引き続き、ネパールでインターンシップをしていた時の話。

ネパールの首都カトマンズからオンボロバスでいくこと約3時間半。Tistungという地域の学校で活動をさせてもらっていました。

↓村の学校までの道のりでの出来事youtube

首都から3時間半だから都会の学校なのかと思われがちですが、ネパールではバスで2時間走るだけであたり一面、畑です。

私が活動させてもらっていた学校もいわば「農村部」の学校でした。

全校生徒は700人程度。1年生から10年生まであり、一番多い10年生は日本の教室の3分の2程度の広さに生徒が60名がひしめき合っている状態です。学校の標高は約2000m。レストランは1つ。シャワーがついている家はおそらく一つもありませんでした。

そんな学校で私は9年生と10年生の生徒を対象に、映像授業を使った数学力向上の活動をしていました。

映像授業といっても、初めはPC操作を教えるところから始まりました。生徒がダブルクリックをできるようになった時はめちゃくちゃ嬉しかったです笑。


映像授業の導入には何より大切なものがあります。電気です。笑

電気がないとPCやタブレットを充電できません。その肝心の電気がしょっちゅうなくなるんです。停電です。

よし、今週は気合い入れていくぞ!と意気込んでいったのに、停電。

よし、今日は生徒がたくさん集まっているぞ!と思っていた矢先、停電。

心が折れます。

しょっちゅう停電していたものですから、学校でやる事が無くなります。そしてだんだん焦ってきます。

「こんなネパールの山奥に自分で選んできたのに、なんで何もやってないんだ」

そう思ってはいるものの、自分に変えられるものの小ささに、落胆する毎日。

ある日、学校で停電とPCのトラブルで映像授業ができない事が決まり、私は「またか」と小さなため息を一つつきました。

何かアクションを起こさねば、と様々なことを考えていた時、ふと思った事があります。

「自分、この村のこと、生徒の家のこと、生徒の家での学習、何も知らないや。学校だけではわからない事があるかもしれない。よしいってみよう!」

という事で、早速9年生の生徒に

「明日、君の家に家庭訪問したいんだけど、放課後ついていっていい?」

すると生徒は二つ返事で

「もちろん!」

こうして、山越え家庭訪問が幕をあけることになったのです。

放課後になり、今日家庭訪問させてもらう生徒を見つけ、早速ついていくことに。

同じ地区からきている生徒5名ほどと一緒に家を目指すことになりました。

歩く。歩く。歩く。

その村での僕の宿は学校から徒歩一分のオンボロ小屋(一回が寝室。二階が鶏の部屋)だったこと、そして何よりここは標高2000M!ということもありすぐに息が切れます。
↓当時住んでいた家。

歩く。歩く。歩く。

山を下りきったと思ったら、また登る。登りきったと思ったらまた降りる。

えっここ道ないじゃん。というようなところを生徒はスイスイ歩いていく。

歩くこと2時間。ようやく一人目の女の子の家に着きました。

その女の子は9年生のクラスでもトップの成績の子でした。映像授業を熱心に見て勉強している姿をよく見ていたし、本当にしっかり者だなという印象でした。

その子の家に着いた時にまず私の目に飛び込んできたのは、大きな倉庫のような建物。壁の一部が壊れ大きな穴が空いていました。

生徒に聞くと、2015年の地震の際に揺れで崩れてしまったのだそう。家庭訪問したのが2018年1月なので3年経った今もなおすことはできていません。

「ここが私の家よ」と案内されたのが下の写真。

トタンで囲われた四角い建物が2つ繋がってできた平屋の家です。

私も何度かトタンで囲われた家で寝た事があるのですが、冬は本当に寒いです。

家庭訪問用に準備した質問項目リストをバックから取り出し、早速聞き取りを始めることに。

「兄弟は何人いるの?」

「家で勉強どのくらいする?」

「歩いて学校まで何時間くらいかかる」

当時ネパール語はほとんど話せませんでしたが、グーグル様に頼んで翻訳したものを暗記して望んだのでなんとか質問を理解してもらえたみたいです。

「父親は?」と聞いた時、少し間をおいて

「今はこの村にいない。今は出稼ぎで海外にいっています」

ネパールでは国内の仕事が少なく海外に出稼ぎにいく事が多い、ということを聞いていました。こんな身近にいたことに驚きました。

聞き取りを続けていると、母親らしき人が横を通り過ぎました。

私は「この人は君の母親?」と聞きました。

すると彼女は複雑な表情に変わり、

「そうよ。最近、病気でまともに話す事ができないの。働くことも。」

「じゃあ、君が子供の面倒とかしているの?」

「だいたいわね。兄弟で協力してやっているわ。」

私は「そうか」としかいう事ができず、それじゃ、また明日学校でといい、家庭訪問を終了しました。

父親はいない。母親とは意思疎通ができない。でも料理や兄弟の世話もしないといけない、毎日学校もある。

私は、経験したことのない複雑な気持ちでした。

情けなさ、悲しみ、怒り、哀れ、勇気、後悔・・・。

次から次へと流れ、あふれでる感情を抑える事ができませんでした。

私は、ネパールで生徒のために頑張ろうと意気込んでいた。何かしてやろうと思っていた。

でもこの子たちはすでに精一杯生きている。

今を必死に生きている。

僕なんかよりもっと必死に。

僕はこの村の何を変えられるというのだろうか。

一大学生が生半可な気持ちで立ち入ってはいけない領域な気がした。

僕の中でスイッチが切り替わった瞬間だったかもしれない。

言葉にすることは難しいけれど、僕の中の何かが変わったのは確かだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?