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桜木奈央子著 『かぼちゃの下で  ウガンダ  戦争を生きる子どもたち』  の感想

ウガンダという国に興味があったので、桜木奈央子さんの『かぼちゃの下で  ウガンダ  戦争を生きる子どもたち』を手に取った。
現地の子どもたちの笑顔、美しい景色、街の喧騒などを映した写真が多数掲載されていて、写真部分だけなら「楽しい」本に見える。

でも、タイトルが示す通り、戦争の影響下で生きる子どもたちについての本だ。
ゲリラ軍に誘拐されて、少年兵や性奴隷にされてしまった子どもたちの話がいくつかある。
他にも目を覆いたくなるような内容が多い。

しかし、この本は悲しい歴史を訴えるだけではなく、そこかしこに暖かみを感させてくれる。
それがなぜなのか、自分の体験を交えて掘り下げてみたい。

ウガンダから来た友人のこと

私には、ウガンダ出身で日本に住んでいる友人が何人かいる。その中の1人とは、1年間同じ屋根の下で暮らした経験もある。一緒に酒を飲んだし、好きな食べ物や音楽、昔の恋愛体験など、友達としていろいろな話をした。

そんな中で、彼が子供のころに起こった内戦の話も聞いた。
彼の街にも戦禍は及んだが、母親が近くの病院に頼み込んでしばらくかくまってもらい、難を逃れたという話はとてもリアルだった。
そのようにして彼自身は身体にケガを負うことはなかったが、その時見た惨状は30年以上たった今も忘れないと言う。
いくつかの恐ろしい出来事を具体的に聞いた。
ここでは詳細の記述は控えるが、10歳にも満たない少年が見るにはあまりにもつらい光景だっただろう。

でも、彼にとってウガンダは今もかけがえのない故郷だ。
ウガンダにはビクトリア湖ゴリラが住む国立公園など、美しい場所がたくさんあるのでぜひ行ってみてほしいと言う。調べてみると、ウガンダはアフリカの真珠と言われるほど美しい場所らしい。

ビクトリア湖

ゴリラ

※写真は桜木さんによるものではなく写真サイトにてウガンダの景色を探して購入したものです。


知識がなかったころの私は、アフリカ=猛暑、砂漠、ジャングルといった偏ったイメージを持っていた。
しかし、ウガンダは赤道直下に位置していながらも、気温が30℃を超えることはあまり多くはない。平均気温25℃前後で、日本より湿度が低いのでかなり過ごしやすい地域なのだそうだ。(もちろん地域差はあるだろうが…)
今はコロナの影響もあって海外渡航は難しいが、私は遠からずウガンダを訪問したいと思っている。

入管の被収容者支援のこと

私は、日本の出入国在留管理庁(以下入管と略)に収容されている人、または収容されていた人の支援をしている。
収容される事情はさまざまで、一言ではまったく語れない。
とはいえ、日本の入管は事情を汲まない年単位の長期収容をしており、刑務所のように法による刑期もないので、事実上の無期限収容が行われている。
この点は明確に人道に反すると言い切れる。(国連からも何度も恣意的拘禁、拷問に当たるとして是正勧告を受けている


刑法に反したとしても人権を無視して良いわけではないし、犯罪歴が無い難民申請者を収容している例もある

祖国に帰れない事情がある人に「帰れ!」の一点張りで責め立て、「帰らないのであれば無期限収容」という考え方は明らかに歪んでいる。


そんな支援の中で、前述のウガンダから来た友人はときどき私に助言をくれる。
私が個人的な正義感や思い込みで行動しようとしたとき、「その行動は支援対象者のためになるか?」と意見を言ってくれたこともある。
私は相手に寄り添っているつもりでも、しょせん日本国籍を持って日本の庇護を受けている立場なので、彼らの内情に気付けないことがあるのだ。
そんな時、彼は冷静に、海外から来て日本に住んでいる立場から見た助言をくれる。

支援と言いながら、自分の感情に任せて行動すれば、それはつまり自己満足でしかない

彼はそこまで指摘するわけではないが、優しく穏やかに「相手のことを考えて」と言ってくれる。そのため、私は自分のエゴに気づくことができる。

もちろん、最初からなんでも言い合えたわけではない。一緒に過ごす中で、いろいろ本音で話し合ったからこそできた関係だと思う。
言葉の壁もあって、会話による意思疎通は完ぺきとは言えない。文化や価値観の違いはたくさんあるので、お互いになんでも理解しあえるわけでもない。それでも私たちが友人でいられるのは、「お互いが違う」という前提を持っているからだ。

違いがあることは問題ではない。

私はAだと思うが彼はBと言う、話し合ってどちらを選ぶか考える。
意見は一致しなくてもいい。ある点で共感できなくても、相手そのものを否定しない。そんな関係を、私は日本人と過ごした45年間で習得できなかったが、海外出身の友人たちからここ5年ほどで学んだ。

『かぼちゃの下で  ウガンダ  戦争を生きる子どもたち』から感じたこと

人間はとてもおろかで、ずっと恐ろしいことを繰り返している。戦争があれば多くの命が奪われ、悲しみと恐怖があふれると誰もが知っているはずなのに、なぜか戦争はなくならない。

この本は戦争の惨劇を直接撮っているわけではない。
むしろ笑顔や青空、スポーツをする人たちなど、日常の風景を撮ることで、「普通」に生きる庶民の日常が簡単に奪われることを示しているように思う。

この本は恐ろしいことを伝えるために、恐ろしい景色を描かない。
桜木さんは現地で会った人たちの境遇や心情を、短い文章でしっかり伝わるようにていねいに書いている。
平易な文章なのに、苦労だけでなく将来に向けた希望までが伝わってくるのはなぜだろう?

それは「事実」を示そうとしているのではなく、「友だちの経験や想い」を伝えようとしているからではないだろうか?

面識がないので予想でしかないけど、桜木さんは人々のつらい過去の痛みに対して、取材して事実を知るというスタイルではなく、人間として寄り添って理解しようとしているのだと想像する。
だからこそ、つらい内容と並行して笑顔の写真もあるのだろう。

もう一回入管の話

入管に収容されている人に面会をしていると、ふいに距離が近まる瞬間がある。お互いの緊張が取れた時とか(私は初対面の時はすごく緊張してしまう💦)、共通の話題が見つかった時とか。
タイミングは相手ごとに違うのだが、どこからか話しやすくなって、距離が近まったからこそ聞けることがある。
例えば家族の話、健康の話、昔住んでいた場所の話など、なんでもいいから、私は少しでも共感できる話を探す。

やっていることが違うので、私と桜木さんに共通点があるかはわからない。
それでも、桜木さんが撮る写真のように、私も何らかの形で相手の笑顔を残せるような支援者でありたい。
『かぼちゃの下で  ウガンダ  戦争を生きる子どもたち』はそんなことを感じさせてくれた。


『かぼちゃの下で  ウガンダ  戦争を生きる子どもたち』は2021年3月現在、残念ながら絶版になっており、中古で購入できます。

(最近絶版ハンター感がある私、狙ってやってるわけじゃないんです💦)

購入が大変という方は最寄りの図書館をご利用ください♬








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