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私の推しマンガ家、成田美名子を熱く語る!

成田美名子というマンガ家について

2022年11月6日、足立区立舎人図書館にて行っている「本と、おしゃべりと、」の番外編「舎人の中心で推しへの愛を叫ぶ」を開催する。そこで参加者は、自らの推しを語ることになった。

私は、成田美名子私の根幹を作ってくれた漫画家!として強く推したい!
 
成田美名子は1960年生まれ、2022年現在62歳、1977年デビューなので活動歴はすでに活動歴45年!
 
活動拠点が月刊LaLaなどの少女誌だったので恋愛を扱うことが多いが、実は彼女は、45年間、ずっと、何らかの「枠」を超えた人間同士の理解を書いている。
ここからまず作品を中心として、私と成田美名子作品の関係性を語ろう。
 

80年代の成田美名子と私

☆1980年連載開始の『エイリアン通り』は、当時としては稀有と言っていい中東出身の主人公を描いた。
美形で身体能力も高く、学生なのに執事がいるほどの大金持ちが主人公、というキラキラ設定だし、今見るとさすがに絵は古臭い💦

彼はある国の王子で、暗殺を恐れてアメリカに留学しているなど、アウトラインを書くほど安直な感じはするが、作品としては人間同士の信頼相互理解を丁寧に語っている。

☆1985年 連載開始の『CIPHER』
アメリカの人気若手俳優に実はドラッグ中毒の過去がある、という設定で始まり、全12巻中5巻くらいまでは主要キャラたちの出会いや恋愛が中心の青春ドラマが展開される。
しかし、中盤で主要なキャラの一人が事故で死亡、それを境にそれまで積み重ねられた関係性が総崩れして、行き違いや別れがかなり丁寧に描かれる。
とは言え、悲劇で終わるのではなく、取り返しのつかない失敗決定的な別離は誰の人生にも起こり得るけど、生きていれば、あきらめなければ、また会って話し合うことができる!成田美名子は語る。


☆ちなみにこの作品連載中、私は17~22歳、学生でもあった時期の後半から新社会人となった時期を含んでいる。

前述した重要な人物の死に大きな衝撃を受けた私は、当時住んでいた男子寮内でこの衝撃を広め、成田美名子が描く関係性の巧みさを布教した。この行動で成田美名子作品の読者を増やしたのは、今思えば、まさに推し活であった。

その後、私は一般企業に努めながらもマンガ家を目指した。その野望を当時は達成できなかったが、私は成田美名子のようなマンガ書きを目指したのだ。
つまり、成田美名子作品が私の人生選択に影響を与えたことは、疑いようのない事実だ。

90年代の成田美名子と私

☆1991年から連載の『ALEXANDRITE』『CIPHER』の続編。
連載開始時はアメリカの楽しい学園恋愛もので、『CIPHER』の後半がやや重い話だったので、あえて軽い路線で行くのかと思った。
しかし、成田美名子作品は、単に楽しいだけで終わらない。
ギリシャ、アメリカ、メキシコなどのルーツを持つ主人公を描き、難しい言葉は一切使わず、全体としては青春恋愛グラフティで通したものの、しっかりとすれ違いや和解多様性や差別、貧困や偏見、などを描いていたのだ!


☆1995年から連載の『NATURAL』では、舞台は日本だが、ペルーから来た少年主人公を中心に、やはり人と人との理解を描いている。
本作でも主人公は何らかの過去の過ちで苦しんでいるが、それは中盤まで明かされない。主人公たちの日常はバスケや弓道などの部活が中心で、読む場所によっては学園スポーツマンガにすら見える。
しかし、ペルーに置いてきたはずの過去の過ちは、ある日、平穏な日常の中に食い込んでくる。
後半に向かって少々重くなる展開は『CIPHER』に似ているが、そんな中でも、成田美名子は笑えるシーンを織り交ぜながら、難しい言葉を使わずに、難しいテーマをわかりやすく語っていく。

今だから言えるのだが、成田美名子作品は、私の中に人権多様性相互理解の重要性などの人が安心して生きていくためのヒントを教えてくれていたのだ!
 
しかし、『NATURAL』の連載終了時、私はすでに30歳を超えており、マンガの夢はあきらめていた。
結婚して子供ができ、仕事に追われるようになってもいた。
忙しさに追われる日々の中で、私の感性は鈍麻していた。
成田美名子『NATURAL』の後に『花よりも花の如く』の連載を始めたことは知っていたが、私はその作品群からいったん離れた。

2000年代の成田美名子と私

その後私は、企業を離れて独立開業した。私生活では離婚も経験した。
その間に多くの人を傷つけ、取り返しのつかない失敗決定的な決裂を繰り返してきた。

2015年から、それまで従事していた職業を離れて、当時増えていたゲストハウスで住み込みで働きながら、小説を書くというチャレンジを始めた。

そのころ日本政府がインバウンド政策に力を入れていたこともあって、多くの外国人と接し、それまで持っていた偏見(〇〇人はだいたい△△的なステレオタイプ)を洗い流した。

アフリカ圏から来たいわゆる「黒人」の人と悪手することに、最初は0.1秒くらいのためらいもあった。
しかし、今ではウガンダやガーナなどから来た友人が増え、ためらいなく握手やハグができるようになった。

私は2018年にアフリカ圏から来た難民申請者とたまたま巡り合ったことで、日本に住む難民申請者や在留資格が無い人と知り合うようになった。
それから、この人たちがおかれた困難な状況を知り、支援ボランティアをするようになった。その活動は、ライターを生業とする今も続けている。



再び成田美名子と出会った私

そんな中で、昨年になって成田美奈子作品を再度読みたくなった私は『花よりも花の如く』を大人買いし、激しい衝撃を受けた。

成田美奈子は、私が離れていた間も、ずっと人権多様性相互理解の重要性を難しい言葉を使わず、マンガというエンタメを使って丁寧に書いていたのだ!

『花よりも花の如く』の舞台は日本で、ほとんどの登場人物も日本人。しかし、折に触れて日韓問題やアメリカ同時多発テロなどが描かれている。


私の驚きは、成田美名子が、45年間、ずっと、ずっと私の前を走っていた!という点に気づいたことだ。 

私が見ていない間も、彼女は人間にとって大切なのは、話し合い、理解しあうことだと語り続けていたのだ

そして、私は、成田美名子 から知らぬうちに受け取った相互理解の種を心に育て、自分の考えで困窮者支援につなげて花を咲かせようと努力していた。

何年もの間離れていたけれど、成田美名子作品を愛した私は、彼女の教えに沿って人と人との理解を求めて走っていたし、成田美名子も変わることなくマンガというツールでそれを説いていたのだ!


人間が複数いればいさかいが起こる。しかし、その逆に話し合って許し合い、解決に向かうことができる。
それは数十年前に成田美名子から私が受け取ったメッセージだ。
しかし、私はその言葉を忘れて、金や地位、社会的地位や物質的欲求を満たすことが幸福、自分や自分の家族の安穏が至福という基準の世界に、何となく順応していた。
そうではない価値観が私の心の中にあったので、私は金銭至上主義の社会に馴染めずにいた。
世界に戦争や迫害、差別や貧困があることは、誰もが知っている事実だ。しかし、現代の多くの日本人は、「それはどこかにあるもの」という認識なのではないか?
難民申請者に接することは、それが遠くにあるのではなく、私たちの無関心や富への欲求が作っている側面があることを教えてくれる。
成田美名子は難民のことなど書いていないけど、相互理解が人類の英知であることは教えてくれている。


そんなわけなので、私は、今も成田美奈子というマンガ家を全力で推している!


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