見出し画像

SNSで対話はできない

SNSを見るのがたまにしんどい。オリンピック賛成反対、ワクチンの可否、コロナへの政府の対応や女性蔑視やフェミサイドについてのやりとりなど、いたるところで違う意見を持つ人たちが攻撃しあっているところが、否応なしに目に入ってくる頻度が高くなってきているからだ。

そもそも私はSNSで知らない人に意見するという行為が理解できない。言葉を発するまでの道のりにはその人なりの経験、そこから生じる信念や価値観、気持ちがあり、そこに意識を向けることなく相手のことを理解できるはずないと考えているからだ。


例えば、下記のようなtweetがあったとする。

「 コロナワクチンは絶対に打ったほうがいいです。自分と大切な人を守る選択をぜひ皆さんしてくださいね 」

このTweetがもし、自分の大切な人がコロナで亡くなっており、悲痛な体験と悲しみを抱えながら、誰にもそんな想いをしてもらいたくない...とふとつぶやいたものだとしたら?

「mRNAワクチンの長期的リスクを考えたほうがいいんじゃないですか?」とか「ワクチンって打つのが当然みたいな発言は辞めてほしいです」みたいなリプライを返す人がどれほどナンセンスなのかが分かると思う。

SNSでの発話なんて、自分の心という深い水脈から水を汲み上げ、ほんのわずかの水しぶきが言葉として溢れ出ているに過ぎない。

そして、自分の主張を発信するために、他の人の言葉を引用して否定する必要はない。誰かのSNSを見て、自分は違う意見だなと思ったらそれはただ、自分の意見を自分のSNSでつぶやけば良いだけ。


140文字にまとめられた言葉を目にした時、その言葉が紡がれるまでの道のりに、私たちはどれだけ意識を向けることができるのか。その意識を向ける選択のことを優しさと言い、道のりを聞き合うことを対話というのだと私は思う。


お知らせ
田原真人さん、佐野浩子さんと一緒に、対話の場を創ります。

Social Dialogue Camp #1 「コロナワクチンについて多様な声を聴きあう!」日時 2021/8/22(日) 14:00-17:00
詳しい内容&お申し込みはこちら


最後まで読んでくださってありがとうございました ( ´ ▽ ` )/ ♡ もし良ければシェア、感想などをTwitterやDMなどで教えていただけたら嬉しいです。 またぜひ読みにきてくださいね!