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いつのまにか

一月はいなくなる 二月は逃げる 三月は去る 

と 教えているのだけれども いつもこんな三月末になってから驚く。意味もなく驚く。そして、焦る。そしてこのまま四月を迎えてしまうのだ。毎年のことながら、本当に 驚く。

見事に私の仕事はギリギリを攻めていて、どうしても余裕をもって臨むことができないことが私の悪いところ。知ってる。毎年、どこの職場でも転勤していく仲間たちへのメッセージを書くのだけれど、書きながら涙がぽろりんになるのは変わらなくて たいへん。お世話になりました、って罪な言葉。メッセージを書く段になって、今年はなんとも言えない気持ちになった。今までは「お世話になりました」を年上の同僚に書くことが多かった。ような気がする。今年は年下の同僚にあてて書いていて、突然気がついてしまった。

わたしは としを とったのだ。

そんなこと、もう とっくの昔に気がついていたの。それは本当のことだし、否定する気もないのだけれど。なんでか、突然気がついてしまったの。

今回転勤していく同僚は 新採用になって新天地へゆくのだけれど、その人は私が今より少し若いころに中学生で、中学生の彼女と私は少しだけ関わりがあったのだ。前の勤務地でもそういうことがあって、新採用でやってきた人が、以前働いていたところで小学生だった。そんな彼らが大人になって、今、同じ職場にいるだなんて。なんてっこた。そうだ。確実に わたしは としを とったのだ。

こんなタイミングで としを とる ってことに 突然 気がついてしまう。いつも、このタイミングと 各々の誕生日のとき。どんどん わたしは としを とっていって あれからどのくらい経ったのか、ということがわからなくなってしまう。きちんと覚えていなさいよ、と思うのだけれど あのときの どうしようもない潰れそうな気持だけが鮮明に残っていて いつのことだったのかのカレンダー的なことが 私には欠けている。あのときも、あのときも、どうしてこうなんだろう。

三月に卒業していって、仲間が去って行って、新しい仲間がやって来て、四月に入学してきて、私の周りでは いつも人の流れが絶えない。新たな難題もやってくる。気を引き締めて、とは正にこのこと。毎年思っているのに いつの間にか また同じような流れの年度末。

こんなときに思っても仕方がないのだけれど もしまだ生きていたら なんてのが こっそり出てくる。私だけが どんどんどんどん いつのまにか としを とっていく。ような、気がしてしまう。もう私の手元にはないのだけれど 彼はいつまでもあのときの写真のままだ。順調に年をとって墓に入ったらまた会いましょうね、なんて素敵なことを 私は言えない。そんなことが よくわからない。今の私には まだ 死んだら終わり。もうちょっと情緒が育つといい。 こうやって いつのまにか としを とっていく。生きている私は 残りの一週間を無事に過ごして、その次の一週間で次の準備を整える、予定。修行の日々がスタートなので どうにか生き残らなくっちゃ。わたし もうちょっと、生きる。

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