怪我について

あと3秒。私はその10秒前に失敗したスナッチをもう一度上げようと試みた。執念で引き上げたバーベルは宙高く舞い頭上に上がった。肩に160lbsの重みを感じる。しかし、次の瞬間、体勢が崩れて身体が前に突っ込んでしまった。その瞬間、バーベルが身体の後方に移動し、右肩に一瞬の激痛を感じるとともに筋肉がぐりっと動くのを感じた。腕がだらりと垂れ、肩が脱臼したことが分かった。脱臼を整復しやすいポジションである腕を垂らした状態で腕を内外旋したら、上腕のボールが肩のソケットに自動ではまった。2分の休憩の後、テスト5がすぐに始まる。テスト5は8回のスナッチ125lbsから始まる。それさえできれば、明日の競技もできる。脱臼した肩がまた脱臼するかもしれない。いや、もしかしたらできるかもしれない。2分の中で様々な考えが頭の中を逡巡する。戦いに来て無傷で帰ることは期待していない。やるしかないと腹を括った。

テスト5が始まった。いつも通り右手からバーベルを握り、左手もしっかり小指までかける。少し手首を巻き込み、腕に力を入れて全身の筋肉を緊張させる。バーベルが床から上がった。それはまっすぐの軌道を描いて私の肩に乗る。その刹那、右肩の力が抜けるのを感じ、先程も感じた鋭い痛みとともに右肩がまた外れた。今度の痛みには耐えきれず、身体ごと倒れ悶えた。自分でまたはめられるかと思ったら、今回はひどく外れてしまったようで、自分では戻せない。メディカルスタッフが座位で整復を試みる。右腕を牽引しながら腕を回旋させ、2度目の試みでようやくはまった。運動した汗というより冷や汗が出ていた。痛くて泣くことはなかったが、頭の中では走馬灯のように昨日のことや当日のこと、これから起こるであろうことが思い浮かんだ。これで終わりだと認めたくなかったが、全てが終わったことを悟った。

他の選手が競技している中、私は簡易的な固定の処置を受けた。骨が折れているかX線を取るために病院へ行く必要があると言われた。自分では骨が折れている感じはなかった。受傷時はただ筋肉がひどく歪んで動いたのを感じただけだった。病院へ行く途中から右肩がズキズキと痛み始めた。いっそ死んだ方が楽なのではないかと思うように痛みが周期的に高頻度で襲ってくる。病院に着くと外国人が診察を受けるには身分証明書が必要だと言われる。パスポートはホテルに置いてあり、また戻らなければならない。結局、救急車のドライバーが私の代わりにホテルに取りに行ってくれたが、その手筈を整えるためにしばらく待たされた。30分もしていないはずなのに、私の肩の痛みは激しく、身体全体が少し震え寒気を感じるようになった。本当にこのまま楽になりたいと思った。診察室に入り、すぐにX線を撮ってもらった。撮る前に、左臀部に痛み止めの強力な麻酔を打たれた。気が遠のきそうだったのが、注射を打たれてからすぐに痛みが和らぎ始め、意識がはっきりしてきた。

医師の診察によると、肩の前方脱臼で骨折はないが骨の小さい破片がある可能性があるため、日本でさらに精密な検査をするようにとのことだった。おそらく靭帯や腱なども重度の損傷はないだろうとのことだった。しかし、腕を2週間固定、肩を動かさないように言われた。

肩を脱臼したのは初めてで、肩の脱臼は反復性になりやすいことを知っているので、心境としては非常に不安だ。これがキャリアの終わりにもなるかもしれない。今年より強くなって来年戻ってくることは可能なのか。

怪我をした原因はいつもより狭いグリップを使ったことによると思う。狭いグリップの方がバーベルを引き上げる力を入れやすかったし、バーベルを乗せたとき肩がしっかりはまる感覚があった。しかし、それは諸刃の剣で、肩が脱臼しやすい肢位を作ってしまった。全力で戦った結果、起こってしまった怪我だった。少しでも勝つことに徹した末の出来事だった。

私にまだ試練を与えるというのか。なんて残酷なんだ。しかし、もっと試練を乗り越えている人はたくさんいるはずだ。努力は報われるんじゃないのか。なぜ結果が出ない。いや、努力は報われる。現に私は今までで最高のパフォーマンスをした。これが自分のピークだと思うぐらい、努力したし、動きも良かった。しかし、それでもまだ向上できるというのだろうか。これまでと異なり、今回はマイナスからのスタートになる。そこから今回の自分を超えるなんて想像できない。

これまでほとんど自分一人で試行錯誤してきた。だが、この異常事態では、他の人の協力が不可欠だ。人の叡智は素晴らしい。私より賢い人は五万といる。今はどう復帰するかの道筋が全く分からないが、みんなの力を合わせれば、突破口が見えてくるかもしれない。私に力を貸してください。

クロスフィットをする人の人口が少ない日本からセミファイナルからゲームズへ行く日本人が出るのは日本人の悲願である。そもそも日本にはオリンピックでメダルをとるアスリートがたくさんいる。たとえ競技に興味がなかったとしても、世界大会で日本人がメダルをとることを誇りに思わない人はいまい。日本には世界で戦う多くのアスリートがいるので、クロスフィットでも世界を相手に戦う日本人が出てもおかしくない。将来、きっと誰かができると思う。それまで私がその夢を見せてあげられるのではないか。まだ腕は身体に付いている。もう一度、やってみようではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?