2023 セミファイナルを終えて

海外の大会に出るときはいつも日本国旗を持って行く。その国旗を見て、涙が自然と出てきた。昨日は一切、泣かなかったのに。

でも、国旗を見たときにそれを表彰台に掲げられなかったと実感が湧いてきた。不甲斐ない。この大会に出たくても出られなかった全ての日本人の思いを背負って日本代表として出場したのに、こんな終わり方になってしまい申し訳ない。日本人は強いのだと、小さくても大きい選手と戦えることを示したかった。

私がやらなくてもいつかは誰かがやってくれるかもしれない。でも、今年はセミファイナルに出られた私にしかできないことがある。表彰台に国旗を掲げて、日本人に日本人であることを誇りに思って欲しい。そして、アジア人に小さい選手が欧米の大きい選手と戦っていることを誇りに思って欲しかった。それも今では叶わない。それが悔しくて自然と涙が出てくる。すまない。

私が諦めたら、これから頑張ろうと思っている人たちを失望させることになる。11年も競技を続けてこられたのは、私を応援してくれる人たちのおかげだと思う。怪我で大会を離脱したのは初めてで、それによって多くの人から温かいメッセージをもらった。こんなにも多くの人に影響を与えられたと知って、光栄であるし、嬉しかった。また、その人たちの期待に応えられなかったと思うと余計に不甲斐なく感じた。

一度、堰を切った涙は止まる気配を見せない。YouTubeで他の選手がTest 6をしているのを見ると、自分が競技できなかった事実を再認識する。自分ならアジア最高のパフォーマンスを見せられただろう。言葉ではなくて、オンラインのビデオではなくて、ライブで自分のこれまでの努力の成果を、私が背負っている思いを見せたかった。

思えば、2014年、韓国で開催されたリージョナルの2日目にゲームズ行きが手に届いていたのに、ロープクライムのワークアウトでロープから滑り落ちるように、ゲームズ行きが手からこぼれた。その夜はホテルで一人になった途端、泣き崩れた。その次の日もあるから、気持ちを切り替えなければならないのに涙が止まらなかった。

今回もゲームズ行きが手に届くところにあったのに、そのチャンスを逃してしまった。しかし、その2014年の出来事を乗り越えたおかげで、今は精神的に強くなっていて、今回も乗り越えられると思う。

大会を最後までできなかったことが過去に一度だけある。2016年、オーストラリアで開催されたリージョナルの2日目に競技の最低基準を超えられなくて、それ以降の競技から除外されてしまった。そのときは惜しいことを悔やむことができなかったから、涙が出ることもなく、圧倒的な敗北感を味わった。

今回は最後までできなかったのが別の理由だけに非常に悔しい。

去年のセミファイナルからトレーニング量を増やして、できる限りのことをやってきたつもりだ。普段のトレーニングやオンライン予選ではスコアを少しでも上げることではなく、セミファイナルを見据えて、自分に不利な状況でもできるように努めた。その結果、ライブでも普段と同じかそれ以上のパフォーマンスを発揮できるようになった。もうこれ以上、トレーニングできないところまでやったつもりだった。でも、今までいつも、こういう出来事のおかげで自分の思い込みが限界を決めていると学び、その度により強くなれた。私はまだ自分の限界を知らない。今は脱臼した右肩を治すことに専念したい。ゼロというより、マイナスからのスタートになるが、来年まであと365日ある。ここからさらに飛躍するためには、今まで以上の努力が必要になるが、それをやる以外ないだろう。日本人が、アジア人が私を支えてくれる限り、精魂尽き果てても死ぬまで戦い続けよう。

歳を重ねたせいか怪我は多くなった。強くなったから無理することができて、怪我が多くなったとも考えられるかもしれない。10歳以上も歳が離れた若い選手と戦えるのも時間の問題だ。だが、応援してくれる方々がまだできると信じてくれるなら、私が諦めるわけにはいかない。身体に刻まれた右肩の怪我のようにまた来年も戻ってくることを深く心に刻みたい。

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