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読者の皆様から監修者/全音担当者へのご質問

全音楽譜出版社 
渡◯◯子様
加◯◯士様
浅◯◯希様
加藤一郎先生

セミナー(2022年10月19日大阪、20日名古屋、21日東京)には出席できないが、聞きたいことがあるという方々からご質問が寄せられました(まだ増える可能性も)。チヒさん、監修者、担当者ということですが、監修者の先生への質問が圧倒的に多いです。読者の皆様への回答をよろしくお願いいたします(最後の2つは私からの質問です)。


[セミナーに出席できない方々からの質問]

・監修者の先生へ質問
監修者の先生にお伺いいたします。「監修者のことば」、細かいことですが
①楽譜を翻訳ではなく、解説を翻訳、なのでは?
②「日本語版楽譜は」「ショパンならではの多様かつ精緻な音楽的意図をできるかぎり正確に再現しました」と書いてありますが、音楽的意図をできるかぎり正確に再現したのは日本語版ではなく、エキエル先生なのではないでしょうか?
③「この日本語版では、そうした研究成果を脚注および解説で詳細に説明し」と書いてありますが、エキエル先生が説明していないものを日本語版では監修者の先生が詳細に説明したということでしょうか?
④「演奏者がそれらを充分に理解したうえで演奏できるように監修しました」と書いてありますが、具体的にどう監修したのでしょうか?読んでも意味がよくわからないので。。。

・監修者の先生へ質問
なぜ「バラードについて」「スケルツォについて・・・」「ワルツについて」「ノクターンについて・・・」と、「・・・」があったりなかったりするのですか?

・監修者の先生へ質問
「監修者のことば」はないほうがいいと思います。どう監修したのか読んでもわからないし。意味のないものはいらないです。エキエル教授の書いたものの前になぜ監修者のことばが先に来るのでしょうか?

・監修者の先生へ質問
凡例のページ、ヴァージョンの説明が「特定の音型、変形」というのは変だと思う。変形とは何なのだろうか。ヴァージョンは「別ヴァージョンの曲」とか言うのでは?

・監修者の先生へ質問
凡例のページ、ヴァリアントがよくわかりません。別の形とは何ですか?どういう意味ですか?別の音とどう違うのでしょうか。

・監修者の先生へ質問「なぜポーランド語ができないのに監修者を引き受けてしまったのか。どうしてもやめたくないのか?名誉心からか?」

・監修者の先生へ質問
スケルツォ3番について質問。9ページ(演奏に関する解説)はじめ、
妨げない[訳注:ように弾く]。
[訳注:ように弾く]。
と訳注が近くの場所に2回あって、うるさい。この訳注は本当に必要なのか。なくてもよいのではないか。

・監修者の先生へ質問
スケルツォ3番、18ページ(原資料に関する解説)第374小節。訳注が何やらたくさん書いてあるが、原文の意味をそのまま、同じことを[訳注]でわざわざ繰り返している。この長い訳注は全く必要ないのではないか。

・監修者の先生へ質問
スケルツォ4番、23ページ(原資料に関する解説)第949小節。「いずれも巧みな手法と思われる。」というのは非常に違和感。「演奏に関する解説」ではなく「原資料に関する解説」で著者は本当に「思われる」などと個人的印象を書いているのか。誤訳ではないか。自分はポーランド語はできないので英語で確かめると be equally deft で、ここの左手が deft なだけで、これは手法ではない。著者は手法とは書いていないのではないか。

・監修者の先生へ質問
音名を見ると Fisis音、ais音 など一つ一つに「音」をつけてあって、読んでいると疲れる。「なになに音」などと普段読む人はいないと思う。すごく変だと思うのだが、直さないのか?

・全音担当者へ質問
解説は輸入版のように切り離して別冊にしてほしいと思います。輸入版のほうが使いやすいです。別冊にできませんか?

・全音担当者へ質問
ノクターン以外の巻は、それぞれどのぐらい監修者による誤訳があるのか?あとの4巻も確認が必要ではないか。

・(河合から)全音担当者へ質問: 「“検証”ページ、チヒさんの声明文は、検証者の先生か、全音担当者か、どなたが訳されたのでしょうか?」

・(河合から)監修者の先生へ質問: 「目次ページの言語ごちゃ混ぜ問題、ポーランド語での曲目がまるでわからない問題。なぜエチュードになっても直されなかったのでしょうか?」


後記: 2023年3月19日
上記 17の質問について、2022年10月18日に監修者および全音担当者にメールをお送りしました。5ヶ月が経過しても、回答はひとつもありません。

Będę wdzięczna za wsparcie! いただいたサポートはリハビリに、そして演奏活動復帰および再レコーディング準備のために。