書く人の力の入った矜持も読む人は否定するかも知れない話
先日、心理士の人と話していたが、
「文学を極めるには極限の中でも言葉を絞り出さないといけない。」
と複数の書く人たちから聞いたのだけど、と伝えると、
「その人たちの文学は有名で多数に読まれてるわけ?」
とあっさり返された。
私にはそんな力の入った矜持はないし、脱力したギャグくらいしか書いておらず、そもそも文学そのものの価値は、過去の文豪にしか感じていないので、なるほどなあ…と思った次第だった
逆に「書くとは」と大上段に構えていないプロの方々の文章、記事はいつもすごいと思っている。
褒め言葉になってないかも知れなくて、本当に申し訳ないけど、
何を書いてあっても、言わんとすることがダイレクトに伝わる文章は、当たり前なのかも知れないけど素晴らしいと思う。
その方々は書くこと、書けることは苦労ではあってもプロなのだからやって当然、というしなやかな(内側は大変なのだろうけど)姿勢を保っている。
反して、自画自賛の強い方々の文章は、美辞麗句が続いたり、長々と説明が続いたりしても、「だから何?」としか感想を持てないこともある。
そのような脳に入らない文章は文学どころか、コミュニケーションの役割すら果たしていない。
言葉を大切にする人は、
伝える心を見失わない。
かくいう私は誤解だか、理解だか、その両方で、
人に嫌われてばかりいる。
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