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溢れる揺れる動く感じる

寒くなってきましたね。12月もあと半分。2021年も終わりますね。
わたしは今年30歳になりました。今年1年振り返ると学びの1年だったなと思います。そして、現在進行形で学んでいます!

学びといっても、何か資格を取ったりする学びではなく、精神的なものというか、自分の内側を深く掘っていくような学びです。

きっかけは、「ザ・メンタルモデル」という本でした。

この本に出会って、著者の由佐美加子さんのことを知りました。

由佐さんは、おっしゃっています。「人が変化するのは気付き。その気付きはどこか修行にいくとか講座を受けるとかでなく、日常で起こせる」と。

ではどうやって日常で起こせるかというと「自分をよく観る」ことをします。内省です。起こっている出来事を自分がどうやって捉えてみているか。

何か起こったとき、その捉え方ってひとりひとり違いますよね。カメラで言えば、同じ景色でもレンズが違うと焦点が違って、違う景色になる。そんな感覚な気がします。

「自分をよく観る」って何? って思うかもしれませんね(笑)
自分と向き合うとか自分を知るとか、自分の内側にあるものを見ていく。自分を俯瞰して観察しているという感じです。

例えば、人との関わり中で誰かの一言にイラッとしたとします。

その時、イラッとしてすぐ相手に反論したりせず、イラっとしている自分の感覚を感じる。その時、いっさい頭で判断はしない。あくまで体の感覚を感じる。大体イラっとのピークは、2、3分で落ち着いてくるので、その間感じ尽くす。そうすると、何か自分の中で出てくるんです。

イラっとしたのは、「自分を大事にしてほしかった」「認めてほしかった」とか……。だから相手の言葉に反応したんだなとわかります。

それがわかれば自分自身で、自分を大事にしたり、自分を認めたりすることできます。あくまで「○○してほしい」は相手に求めるじゃなくて、自分で満たすのが大事です。

自分が自分で認めてあげると、周りもそうなっていくし、反応しなくなっていく。

今までの私だとまず、沸き起こる怒りとか悲しみは我慢したり、なかったことにすることが多かったです。それを感じる自分がだめだとも思っていました。そして、怒りや悲しみが自分の中で積もっていて、爆発するみたいなことがありました。爆発するくらいまで自分が感じていることを無視しているってことですよね。今考えると恐ろしい。

怒りや悲しみはあんまりよくない感情で、喜びや楽しさはいい感情と自分の中で起こる感情にいい、悪いをつけているのがよくわかりました。

いい、悪いをつけると、どうしても二元論になってしまい、対立を生む。自分の中にうまれた感情を評価して、悪いとしている感情をなかったことにしてしまう。その悪いとしている感情の中に、実は自分が大事にしたいものが隠れていてそれを感じて、気付きになれば二元論を超えて、自分としっかりつながっていける。そうしたら、きっと生きやすいんですよね。

というか私自身が生きるのだいぶ楽になりました。自分の外側(自分以外の人や評価など)求めなくなると、自分がしたいことをできるんです。どんな体験も何かを自分自身が伝えてくれてるから、怒りも悲しみも嘆きもウェルカムと思えるようになってきました。

ずっと頭ばかりを使って思考していたので、体の感覚を使うというのが新鮮でした。この何か月か自分が感じていることを頭で解釈せずに、体の感覚を感じる練習をしていました。そうするとふっと湧いてきたものがありました。

ここからは、私個人が体験したことです。なので、けっこうプライベートな内容です。読みたい方はどうぞ~~!

ちなみに上に書いたことを自分で体験して、内省していけるようにワークブックも出ています。私が上に書いたことがよくわかります。なかなか分厚いのでびっくりするかもですが、自分で内省のプロセスを歩めます。興味がある方は一緒にやりましょう(^^)

ザ・メンタルモデル ワークブック: 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト


家族のこと

家族ってほんといろいろありますよね。自分が一番最初に経験する社会。そこでうまくやっていけるように、私自身必死だったなと思います。

まずは、私の母の話しをしたいと思います。私の母は若いです。見た目じゃなくて年齢です。(笑)

母が私を生んでくれたのは、21歳のときです。私がお腹にいるとわかったと同時に、4つ上の父と結婚しました。私が生まれ、さらに次の年に妹が生まれ、年子の姉妹を育てるお母さんになりました。家族が増え、しかも夫の両親との同居も始まりました。

初めての子育てに義理の両親との同居。夫婦になった父との関係。母が悩んで、苦しんでいる姿をずっと目にしてきました。

小さい私は、お母さんを守りたいと必死で。私にとってのおばあちゃん(母親からしたら義理の母)とお母さんの関係がよくなるようにどっちにもまんべんなく接して、機嫌をとったりしていました。

お父さんとお母さんが喧嘩しているのを見て、怖くて、何もできない無力感も感じました。

覚えているシーンがいくつかあって、母が小学生3年生くらいの私に「学校変わって、母ちゃんとけいちゃん(妹)と3人で暮らすのどうかな?」って聞かれたのを覚えています。なんて答えたかは忘れたのですが、お母さんが楽になるのがいいと思っていました。

結局、義両親の引き留めがあったりして、離婚せずには暮らしていたけど、義両親との同居を解消して、別の家に引っ越したり、また戻ってきたりと家の中でもめごとが常にありました。

もうひとつ覚えているのは、それも小学3年生くらいのときに家族6人でテーブルを囲み話し合い。そこで私が「みんなで仲良く暮らそうよ」と必死で家族に訴えかけている場面。結局、すぐには関係がよくなるわけではありませんでした。

だから、今でも喧嘩はいやだし、人に嫌われることが怖いです。もめたくないから我慢する。

自分で内省していたら、昔のことがふっと出てきて、家族との関係に傷ついたから、今の自分はその痛みに触れないように行動しているんだなとよくわかりました。


小さい頃の私はこう思ってたんだと思います。

家族って楽しい仲間だと生まれてみたら、おばあちゃんはお母さんをいじめるし、お父さんとお母さんはけんかするし、なんで仲良くなれへんのやろう?って。

そう思うと同時に、私が生まれたから母を傷つけ、家族をばらばらにしたんじゃないかと。

こう書くと、重いし痛いし泣けてくるんですが、その痛みにつながらない限り、私はきっと同じような出来事を体験して、その痛みから逃げるのを繰り返し、また同じ体験が現れると思うので、触れてみることにしました。

そうすると痛いんだけど、思ったより痛くない。小さい私がんばってたなとも思うし、大丈夫だよって言ってあげたい。自分が愛おしくなりました。

今、書いたことは何もできなかった無力な小さいときの私が捉えたことなので、家族がほんとにどう思っているかわかりません。

大人になった今、同じ場面をみると違った見え方で見えてくるし、今度、実家に帰ったときにまずは母と当時のことを話してみようと思っています。そうすることでもっと痛みの奥に入っていける気がするし、自分を解放してあげられる気がするんです。


ずっとお母さんが私を生んでくれたって思ってたけど、母と父のもとに生まれようって選んだのはわたしなんだと思いました。だから、この家族で経験できることはしていきたい。


ーーー
私の旅はまだまだ始まったばかり。
これからもずっと一緒に歩んでいこうね。

家族との関係性の変化や私自身これからどんな人に出会って、どんな経験をしていくのか楽しみです。


みんなが幸せでありますように。

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