3年前のクリスマスにカンボジアで地雷を爆発した【地雷と教育編】

5回に渡って書いてきたカンボジアスタディツアーレポート、
今回が最後です。

ツアーでは、バッタンバン州で行われた
小学校の引き渡し式に参加しました。
山梨県南アルプス市にある建設機械の会社、日建(※)が
カンボジアに小学校を寄付し、その学校を引き渡す式典。

カンボジアの政府機関で、地雷対策センターの方や州知事、
地域の方総勢1000人が参加して行われた大きなイベントでした。

(※)日建・・・1999年に地雷撤去専用の重機を開発。
それまでは金属探知機を持ちながら歩いて、
コツコツと地雷を探す方法が一般的でしたが、
重機が誕生したことによって、作業効率がアップ。
地雷による被害者も減少しました。
現在は39もの日建の重機がカンボジアで働いています。
社長の雨宮さんは地雷撤去の父と呼ばれています。
ちなみに、今回小学校が立った場所は、地雷原の跡地。

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カンボジアというと地雷をイメージする方も多いと思います。
地雷や不発弾は、ベトナム戦争やクメールルージュによる支配、
その後の国内4つの勢力による内戦と、
様々な争いによって埋設され、
誰が埋めたものなのかとか、
いつ埋められたものなのかなどは計り知れないそうです。

2000年の調査によると、汚染された集落は6416。
カンボジア全体の46.1%。
およそ600万個の地雷が埋められ、
カンボジア国内の地雷を全て撤去するためにかかる時間は、
100年かかると言われています。

ツアーでは、地雷が埋められていた場所にも行きました。
バッタンバン近郊の地雷撤去現場で、
地雷除去の説明を聞いたり、撤去の様子を写真で見たりした後、
実際に地雷原を歩いたんです。
撤去されたはずの場所でも歩くのが怖かったです。

そして今回のメインイベント、地雷撤去。
ツアー参加者25人の中から1人が代表して、
地雷爆破のスイッチを押し、
300m先にある対戦車用の地雷を爆発させました。

はるか遠くから聴こえる爆発する音。映画で聴くような音に、悲鳴をあげました。

この音を暮らしの中で聞くだなんて、想像するだけで、怖い。。。

それが自然のどこに埋まっているかわからないなんて、怖くて、想像すら難しいです。

地雷原には注意喚起の旗が立っていますが、
字が読めずそこに入っていってしまう方もいて
被害に遭ってしまうそうです。
字を読めるように教育をしていくこと、命を守るためにも教育を受けられる大切さを改めて実感しました。

ここからはカンボジアの教育について。
教育年数は日本と同じで、
小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年制。
小学校に入学する子供は全体の96%。
中学校に入学する学生は53%。
農業の手伝いや兄弟の面倒を見るために、
学校に来なくなってしまう子供がいるそうなんです。

ツアー五日目には小学校を訪問しました。
小学校ではみんなで歌ったり、踊ったり、絵を描いたり、
日本から持って行ったお手玉やけん玉で遊んだり、
折り紙を折ったりしました。
折り紙は大人気!
ツアー参加者の中学生と手裏剣を何個折ったかわかりません。

授業風景も見させてもらいましたが、
みんな勉強が大好きで授業を受けるその眼差しはキラキラしていました。
学校に行けることが嬉しいんですね。
将来の夢を聞くと先生が人気でした。

現在、小学校の数は増えていますが、先生不足に悩んでいます。
月給が115ドルと安いので副業をしている先生がほとんど。
あとは教員の質。
教員採用試験はありますが、知識をアップデートできる機会がなかったり、教科書自体に間違いがあることもあって、
気づかずに先生が教えてしまう場合もあるそう。

小学校以外にも、HOCという児童養護施設にも行きました。
日本人の岩田さんという女性がホックで働いていました。
92年に僧侶のムニーさんによってお寺で開設したホック。
4歳から13歳までの子供たちがいます。
家庭内暴力やエイズによって被害を受けた子供、
孤児だけではなく貧しくて教育を受けられない子供を受け入れています。
子どもの出入りが激しく、
カンボジアのお盆の時期・10月の長い休みに、
親のもとに戻ると働き手となって、
そのまま帰ってこないこともあります。
ここでも絵を描いたり、日本のおもちゃで遊んだり、
サッカーをしたり、ソーラン節をみんなで踊ったり。

きっと大変な思いもたくさんしてきただろうけど、
そんなことを微塵も感じさせず、笑顔いっぱいの子どもたちに
私たちはたくさんの温かい気持ちをもらったのでした。
子どもたちの夢がたくさん叶いますように!
そしてカンボジアにたくさんの幸せが訪れますようにと
強く祈ったのでした。

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