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ウサギマークとファッションと…

本日の作文は、私が子供時代にどんな風にファッションに接していたか、についてです。

多分、買うより作るほうが安かったという理由かもしれませんが、母の手編みのセーターとか、手作りの服を着て学校に行ってました、小学生の頃。

1960~1970年の婦人雑誌、家庭の主婦が読む雑誌には付録に手芸の本が必ずついてました。今なら、NHKの『すてきにハンドメイド』みたいな。それに家族のためのセーターの編み方やら洋裁、型紙も付録についていたような気がしますが、そういうのを眺めて育ちました。家族の服をお母さんやおばあちゃんが作るのは、わりと一般的な時代だったような気がします。近所に仕立てのプロのおばさんがいて、お出掛け用ワンピースとか縫ってもらっていました。中原淳一風の、品の良いお嬢さん風のデザイン:からし色のフランネルっぽい生地に襟は茶色の別珍、白いレースの前立て飾り~とか。

母の雑誌の付録を眺めて「こういうのを着たい、作って欲しい…」の夢と妄想がいつも頭の中をぐるぐる。

8歳からかぎ針編みを開始。小学校の卒業アルバムの撮影日に、たまたま自分で編んだカーディガンとスカートのセットアップを着ていました。
赤と白の極太毛糸でザクザク長編みで編んだ、チロル風の膝丈の吊りスカート。子供が編むんだからきっとストレートに編んでウエストベルトでギャザーみたいなデザインだったような? 余り毛糸でショート丈のカーディガンは、白で編んで袖口に赤いライン…だった気がします。

5年生の初グループデートには、薄ピンクの毛糸で編んだパフスリーブのプルオーバーを着用。仕上がってみたら襟ぐりが大きく広がり過ぎてしまったのを(大人ならセクシーでいいじゃん、となりますが、子供だったので)、母のアイディアで、襟ぐりに鎖編みの紐を通し、紐の先にポンポンを付けてくれたので、かえって子供らしい可愛いデザインになりました。ウエスト丈で裾はピコット編み。それに近所のお姉さんのお下がりの真っ白のパンタロンを合わせ。今思い出しても可愛いので(笑)、こんど描いてみようかな~。

中学生の夏休みには、前身ごろの中心に大きなパイナップルを編み込んだレース編みのノースリーブセーターに挑戦。が、レース編みです。編んでも編んでも進みません。結局、途中で断念…(他にもそういう例は多々ありますが)。

一方で、『小学〇年生』という月刊誌に「わたしのスタイル画」という読者の投稿コーナーがあり、ハガキに黒インクとつけペンで、せっせとデザイン画らしきものを描いては応募、何度か採用されて嬉しかったです。

だから、小学生の頃の夢は何の疑いもなくファッションデザイナー。その頃はオートクチュールとかプレタポルテの世界は知らないので、デパートで売っている素敵な洋服、いろんな組み合わせができる普段着、をを作る人になりたかった。

高校生になると、諸事情により(笑)デザイナーの夢はかなり遠のいていましたが、『リボン』と『マーガレット』(漫画雑誌)以外の愛読雑誌は『装苑』および『ドレスメーキング』。装苑はファッション情報と一部作り方も掲載、ドレスメーキングはタイトル通り、丸ごと作り方付きの洋裁誌。

おこづかいの制限があるので、毎月両方を買うのはムリですが、『装苑』はほぼ定期購読してた気がします。そして繰り返し繰り返し穴が開くほど眺めていました。

その『装苑』の作り方付き作品に表示されていたのがウサギマークです。

ウサギマークが1~3まであって、一個なら洋裁初心者でも作れる難易度。2個は中級、3個は上級者向け。それで、洋裁の腕はないし、家のミシンは直線縫いしかできないシンプルなものだったけれど、ウサギマーク1個に、たまにチャレンジ。

1970年代の東京の下町に住む身長173センチの高校生の女の子には、サイズの合う服はほぼ購入不可能。レディースは絶対的に丈が短い。仲良しのお友達はみんな標準サイズなのでそれなりに可愛い服を着ていて心底羨ましかったです…。

自分には似合わないとわかっていても、フリルやギャザーの可愛い服や、長めスカートが流行れば履きたい。でもサイズの合う服はない。ないなら作るしかないというのが、最大の動機。が、現実はウサギマーク1個以下の腕前なので、作ってもせいぜい生地をまっすぐに断ってウエストゴムのギャザースカートとか。だから、腕のなさを補うにはどんな柄の生地を選ぶか、が重要でした。

大学生頃までは、母がたまに、サンドレスとボレロのセットアップとか、ティアードスカートとパフスリープのワンピースとか縫ってくれたりもしていました。

1970年代は、地元の街に生地屋さんが2軒くらいあったし、イトーヨーカドーの中にもけっこう広い生地売り場がありました(時代と共にどんどん縮小されてついには消滅しましたが)。よくお店を覗いて、素敵な生地を眺め「これであれを作ったらこんなに素敵」とか想像をめぐらして楽しんでいました。毛糸屋さんも同様。

『装苑』の作り方ページは、だから、自分には作れなくても作り方ページも熟読。ウサギマーク3個とか自分で作れたらどんなにいいだろうって心の中でため息つきながら。

『装苑』のお洋服はちょっと個性的とか、モードっぽかったと思います、なにせ出版元が文化出版ですから。本当は文化服装学院に行きたかったけど、十代の頃はまだおとなしく生きてたので(笑)、都立の普通の進学校にいながら進路は服飾専門学校、と言い出す勇気がありませんでした。

一方で『ドレスメーキング』は日常的に着られる洋服が載っていたと思います。より現実的っていうのかしら? だからお嬢様風のお出掛け着などはこちらにも素敵なデザインがあったように記憶しています。

昔は洋品店とか、洋服だけの専門店が街中や商店街にあり、下町の特にお洒落でもない街にも、一軒だけ、値段もそれなりだけど素敵な服を扱っている洋服屋さんがありました。ワールドやイトキンの服は高くて手が出なかったので、セールが楽しみ。あの時代の日本のメーカーのお洋服は、生地も縫製も今の比にならない上質さ。デザインも豊富でした。

そういうわけで、十代までの私は、雑誌を眺めることで素敵なファッションに触れ、現物を見るとか手に取る機会はごくなかったものの、情報と妄想で頭と心をいっぱいにして過ごしていました(笑)。

イラストは骸骨にしあさんからお借りしました。『装苑』のウサギマークとイメージは違いますが、クールなウサギもいいですね~。ありがとうございました!

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