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はとバスの祝福

8年前の春、実家の父親の誕生日のお祝いをどうしようか?と悩んでました。

決しておせじにも仲が良い家族ではありませんでしたが、誕生日やクリスマス、お正月くらいは一応集合して食事でもする、という習慣がありました。

揃ってお食事に出かけることもめったになくて、たいていは実家に集まって食事をするわけですが、酔った父の雲行きがだんだん怪しくなって最後は重苦しくお開き、ということも多々あり、どちらかというと気が重い形式的なイベント。

それでも、その年は父の81歳の誕生日だったので、あと何回お祝いしてあげられるのかな、と思うとスルーするわけにいかないし、本当なら家族で温泉旅行とか一度くらい連れて行ってあげたい気持ちもあったけれど、なにしろ自分に経済的余裕がなかったので、予算を考えるととても無理…。

「どうしたらいいかなあ~」と思案していた時にふと思いついたのが「はとバス都内ツアー」。

私は幼稚園前から東京に住んでますが、両親は九州出身。東京に来たのは、東京に憧れていた父が、大阪勤務時代に転勤願いを出したからだと聞いてました。そうやって出てきた東京ですが、私が認識していた限りの父の都内の行動範囲は、家の近所を除けば、浅草・上野あとは若い頃にはたまに銀座、くらいだったのではないかと想像します(なお、近所には柴又帝釈天も含まれます)。

それで、今さらはとバスに乗ってみるのも面白いかも?と思いついて調べてみたら、週末の午前中2時間コースがありました。途中下車なしで、ひたすら都内の観光スポットを巡る。出発と帰着は東京駅前。
たまに銀座に行くと、目の前を二階建ての二階がオープンの観光バスが走っていくのを眺めて、ちょっと羨ましく手を振ってみたりしてたので、一度乗ってみたかったのもあり。そして、お値段も意外にリーズナブル。

午前中2時間のコースで都内巡りをして東京駅前に戻ってきたらちょうどお昼なので、日比谷公園の中の松本楼で、ちょっと懐かしい洋食ランチでお祝いにして解散…。いつものように家の中で飲み食いして険悪になるより、ずっといいかも。

共同出資者の弟の賛成も取り付けて両親にも連絡して、実施することに。

でも、問題は季節。父の誕生日は3月。3月の東京ってまだ寒い。3月末の卒業式に名残り雪が降ったりしてたくらいですから、昔は。桜の花が咲くのも4月に入ってからだしね? (この数年は待ったなしの温暖化により、桜の開花カレンダーもどんどん早くなっていますが)。

それでも、二階オープン席のはとバス誕生日お祝い観光は決行で決まり。各自自己責任で防寒対策するようにお達しして。

ところが、です。当日、見事に晴れてしかもポカポカ陽気!そうはいっても風を切って走るので適度に寒いのですが(寒がりの弟はコートのフードをかぶってましたし)、それでも通常の3月だったら凍えたかもしれない!ところを、寒さよりも窓の外の景色を楽しめるくらいの暖かさでした。

最小予算のツアーとはいえ、せっかくなのでみんなが楽しめるよう配慮するのが幹事の務め。バスが出発したら用意してきたおやつを順番に回してみたりして、ね。見慣れた銀座の景色も、バスの二階席から見下ろすと違って見えるものだなあ、なんて感心したりして楽しかったです。

父の反応はどうだったのか、後で隣に座っていた娘に聞いたのですが、いまいち読み取れなかったそうです(笑)。下町がテリトリーの人だったので、そうでない六本木とか都市部(?)を見て、あまりに昔と違うので圧倒されてしまったのかもしれません…あくまで想像ですが。

この春先のポカポカ陽気のはとバスお誕生日会は、イエス様からの知恵と祝福だった、と後になってよくよくわかりました。

それは、この2か月後の5月下旬に父が急逝したから、です。

お昼ご飯を家で食べてから参加していたマンションの自治会の会合の席で突然、腰かけていた椅子からずり落ちて救急車で運ばれ、そのままでした。

仕事中に、マンションの管理人さんからの呼び出して病院に駆け付けた時は、その日が真夏のような暑い日だったので「熱中症じゃない?」なんて軽く思って手術室の外で待機してたのですが、結局、言葉も交わせず。

誕生日が3月で、その後のゴールデンウイークに実家に帰った時も、いつものように父とはろくに言葉も交わさず、帰りがけに玄関先で「またね」と言って別れたのが最後でした。どんなに泣いて後悔しても後の祭り、の愚かな典型です…。

父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。
マタイの福音書 19章19節

聖書の中にはこの「父と母を敬え」が何度も繰り返されますが、私は、全然この御言葉を実践できない者なんです…。

それでも、8年前の春に、急に思いついて実行したお誕生日のはとバスツアー、ポカポカ陽気の中、若い頃の父の憧れの東京を最後に一周して見て回り、たった一人の孫娘が隣に優しく座っていて、いちおう家族そろってお祝いできたのは、イエス様のお計らいであり祝福だったと、感謝しています。

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