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アーサー・ランサムとクラシックカメラ、そして思わぬ発見

Audible(オーディブル)で少しずつ聴いていた、イギリスの児童文学者アーサー・ランサムの『Great Northern?』(日本語版の題は「シロクマ号となぞの鳥」)。ようやく最後まで行き着きました。途中少し間が空くこともあったりして、朗読で10時間ほどの作品に3か月ほどかかりました。

子供の頃に岩波書店の分厚いハードカバー版を何度も読んでいるはずですが、やはり内容は忘れるものですね。英語が聞き取れない箇所が少なからずありつつも、「そうそう、こんな風に話が展開していくのだったな」と思い出していく場面がたくさんでした。

古いiPodの中だけに入っている、私のオーディブル版ランサムの作品。その中で、いま『Great Northern?』を聴こうと思ったのは、この作品の中で「カメラ」が重要な役割を果たすからです。ランサムとカメラのつながりを今の自分の目線でつかみたくて、聴き直しました。

松下宏子さんによる評伝『アーサー・ランサム』の中に、こんな記述があります。

父シリルは、アーサーの性質が祖父に似ているのではないかと心配した。父方の祖父トマス・ランサムは写真に興味を持ち、便利なカメラを自分で発明したり、写真材料製造業をはじめたりしたが、実業家向きではなかったので、借金を抱えることになった。一方で、優れた釣り師でもあり、そんな祖父にアーサーは魅力を感じていたようであるが、父シリルは、アーサーが、祖父の無責任さや落ち着きのなさを受け継いでいるのではないかと考えたのである。(p11) 

元々の出典は、『アーサー・ランサム自伝』か『アーサー・ランサムの生涯』でしょうか。このような環境で育ったのですから、1884年(日本で言えば明治17年)生まれのランサムは、子どもの頃からカメラに触れる機会があったはずです。ちなみに日本では、幕末の1857年に写された島津斉彬の肖像写真が、現存する最古の、日本人が撮影した写真と言われているそうです。

そして、ランサムが書いた12冊のシリーズで最終巻となる『Great Northern?』(1947年発行)では、イギリスでは繁殖しないとされていた幻の鳥を見つけたディック少年が、それを証明するために、カメラで鳥と卵を写真に収めようとするというのが物語の核となります。

作品の舞台は、主人公の子どもたちが夏季休暇の航海旅行で訪れたスコットランド西部のヘブリディーズ諸島。鳥を殺して卵とともに持ち去ろうとする「エッグコレクター(たまご収集家)」や、外部の人が入ってくることを快く思わない現地のゲールの人々が絡んで冒険が繰り広げられていきます。その中でディックは、鳥がいる湖の島に小さな折りたたみボートで一人渡り、身を隠すテントの中でじっとシャッターチャンスを待ちます。

ランサムの作品は児童文学とは思えないほどセーリング などの描写が細やかなことで知られていますが、それはこの場面も同じです。オーディブルでは聞き取れないところもあったので、邦訳された岩波書店のハードカバー版で同じ箇所を読んでみました。ディックの撮影シーンを一部引用します。翻訳は神宮輝夫さん、1986年3月発行の「第13刷」からです。

フィルムは五こま分しかないから、一こまだってむだにはできない。ディックは、カメラのうらにある赤い小さな窓につぎのフィルム番号が出るまでフィルムをまくことを忘れて、何回となく二重どりしたことを思いだして、顔がほてった。どんなことがあっても、きょうはそれをしてはならなかった。それから、焦点距離の問題があった。三メートルから三・五メートルと思ったが、できればはかってたしかめたかった。その時、しぼりこめば焦点距離がながくなるから、前後一、二メートルのはかりちがいはあまり問題にならないことを思いだした。(p387-388)
ディックはしぼりを十一にし、シャッター速度を二十分の五秒にした。晴天で日光がある。これで十分なはずだ。準備はすっかりととのった。
 ディックはもう一度ファインダーをのぞいた。そして、シャッターをおした。なにもおこらない。あまりいろいろなことを思いだしていて、シャッターをセットすることを忘れていたのだ。(p388)
のこりはあと一枚。ディックは、もう一度フィルムをまいた。二羽がいっしょにいる写真が、とれるかとれないか?光線がひじょうにつよく見えるし、すでに四枚もとったので、ディックは、少しピンぼけになったり、露出不足になる危険をおかしても、水からはいあがる鳥をとろうと決心し、しぼりをうんとひらき、シャッター速度を百分の一にした。(p390-391)

小学生だった自分が、当時「絞り」や「焦点距離」のことなど知るはずもありませんから、わからないところは飛ばして先に進んだのでしょう。子ども向けということでやさしい仮名づかいになってはいますが、いま読みなおしてみると、描写の詳しさに驚きます。

自らの経験をもとに作品を書いていたとされるランサムですから、ここに出てくるカメラにも何らかのモデルがあったはずです。手がかりとなるのは、「背面の赤窓でフィルム送りの状況を確認するタイプのカメラであること」、そして「フィルムの巻き上げとシャッターのチャージを別々に行うカメラであること」でしょう。

「赤窓」については、ウィキペディアに項目が立っています。

こんな風に説明されています。

赤窓(あかまど)とは、裏紙式のフィルムを使うカメラについている、コマ数を確認するための窓のことである。
120フィルム、127フィルム、828フィルム、ボルタフィルムなどの裏紙つきフィルムを使うカメラについている。

120フィルムや127フィルムという言葉が出てきました。そう、私が書くnoteのひとつのテーマでもあるローライフレックスやベビーローライのうち、1930年代に作られたモデルの中には、背面にこの「赤窓」がついているものがあります。さらにどちらも、フィルムの巻き上げとは別にシャッターをセットしないといけません。ランサムの本に出てくるカメラの候補になり得ます。

そう考えるのはワクワクすることですが、ただ、ディックが使っていたのがもしローライの二眼レフカメラであれば、上下二つのレンズがあることやファインダーを上から覗き込むこと、ファインダーに映るのが左右逆像になることなど、描写が細かいランサムは何らかの特徴を記載したのではないかと思います。また、この本が発行された1947年は、第二次大戦の終結からわずか2年後。イギリス人のランサムにとって敵国だったドイツのカメラを、作品に登場させるだろうかというのが引っかかります。そうすると、あくまで推測にすぎませんが、ディックのカメラのモデルは、ウィキペディアにあった「828フィルム」(私も初めて名前を知るフィルムです)を使うコダックバンタム(1935年発表)のシリーズなどなのかもしれません。1930-40年代に発売されていたカメラは他にもいろいろあるのでしょうが、とりあえずここまでにしておきます。

ところで、マニュアル操作をするカメラに馴染みがある方は、ランサムの本からの上の引用を読んでひとつ引っかかるところがあったかもしれません。そう、シャッタースピードを「二十分の五秒にした」、という箇所です。

通常、カメラのシャッタースピードに「二十分の五秒」なんて設定はありません。約分した「四分の一秒」ならわかりますが。ただ、そのスピードだと、三脚にカメラをしっかり固定してレリーズなどで揺れないようにシャッターを切らない限り、どんな好天でも通常のフィルムを使った手持ちの撮影ではブレてしまうはずです。今回日本語訳を読んで、この箇所が何だか変だなと思いました。

それで、オーディブルの朗読を聴きなおしてみることにしました。すると、この部分は「twentyfifth of a second」と読んでいます。つまり「二十五分の一秒」です。「二十五分の一秒」というのもあまり目にしない速度かもしれませんが、戦前~戦後すぐの頃に作られたカメラでは、シャッター速度は「1/25, 1/50, 1/100秒~」という設定になっています。下の写真にあるように、私のローライフレックス2.8Cもそうです(1960年代後半から生産が始まったローライ35シリーズでは、今に続く「1/30, 1/60, 1/125秒」です)。この速度なら、天気のいい日に、作品中でディックが行ったように片膝を立ててそこにカメラを乗せ動かないように注意すれば、ブレずに写真が撮れるはずです。

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私が戦前のベビーローライやローライフレックススタンダード、バルナックライカなどに強く惹かれるのは、ランサムの作品が書かれた時代に作られたカメラであるというのがひとつの大きな理由です。ランサム・サーガ12冊のうち8冊は1930年代に発行されています。それと同時期に作られたカメラが今でも実働機として存在しているというのは驚きです。そんなカメラを使えば、ランサムの作品世界と自分の暮らしを多少なりともつなぐことになるのではないかと思うのです。

そんなことを考えながら『Great Northern?』を聴きなおし、日本語版を読み返したら、思いがけず翻訳の間違いを見つけるというおまけが付いてきました。気に入った本は、年を経て読み直すとその度に新しい気づきがあるというのは、幅広い意味で本当ですね。ランサム・サーガの12冊は今世紀に入ってから同じ神宮輝夫さんによる新訳版が出ていますので、今度そちらも見てみようと思います。

〈追記〉

その後新しくわかったことがあるので、続編を書きました。よろしければこちらもご覧ください。


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