別に面白くはないんだけど、なんとかなりそうだなと思った日。

コロナにも飽き始めたこの頃。
疲れる。

毎日とけるほど暑い中意味のないマスクをして、形だけの自粛。

怖いのは感染することよりも社会的な死だ。

そんなことは改めて言う必要もない。
そう思って最近よくいろんな人を誘って飲みに行っている。
コロナが明らかにしたのは将来をどれだけ考えていても、(考えるふりをしていても)思うようにはいかないということだった、少なくとも僕にとっては。

友達と美味しいお酒を飲んで、タバコを吸い、少ないながら過不足のないお金をもらって、クレジットカードで実体のないお金を使う。

最近よく思うことがある。

僕が思っていることと、世間が思っていること、世間というのはいわゆる僕の周りの平均的な人物ということだけど、がうまくチューニングされている感じがする。それはある程度僕が発言できる立場になり、思ったことを言って面白そうと思ってくれる人が近くにいるからかもだと思う。

ただ、同時にその世間に自分の意見を無意識に合わせているような感覚はある。しかもその迎合自体は個人的に無意識に、というより、より安全な方向にいくために行っているようだ。

人に嫌われても自分が好きなことをしたい自分と、とはいえ嫌われたくはないと恥ずかしながら思っている自分。

どちらが本当の自分なんだろう。普段の達観して諦めているような自分と、いや、面白いことやりたいと思う自分と、面白いことやって失敗したら恥ずかしいなと思う自分と。

何人もの自分と映画を見たり、本を読んだりしながらマウンティングを取り合っていて、それは相手が考えているだろう思考にも重ねながら、この人のこの思考のタームはこういう風に俺は思っていたなとか重ねて、疲れる。

漠然とした将来の不安はまったくをもって消えてはいないのだけど、突然石油が日本の海を、日本を汚しちゃうぐらい思ってもいないことが、思ってないタイミングで来るかもしれないし、どこかそれを期待していたり、なるとは思わない方が楽なんだけど、まあそういう風に酔った勢いでいろんな自分の感情をぶつけられる人がいるってのは幸せだなと思いながら眠る。


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