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星-1 都市によぎった原風景

思ったより飛んで行くシンガポール個人予算
初日に相場を知らぬまま空港で若干高めのご飯を食らってしまう。疲れた頭で碌な答えが出るわけがなく、過度な切り詰め計画をよぎらせて動けない。責めて循環する負のループ、まわらず沼る大脳。

長い時間がたってようやく足が動くようになったら探索の合図だ。リトルインディア手前の豪快な生活感にエネルギーを分けてもらいたくてそろそろと歩き出す。発展した建物に交じる赤道付近の鳥の声、ぱらつく雨に出会うだけで見たかった世界にいることを実感する。

すっかりコンクリートで舗装された景色の中、インド系の少女が木を落ちてる枝で突っついている。ボールかなんかが引っかかったときの動きをしていたが、少女たちは赤い実を嬉しそうに拾っている。あゝあの実は食べられるんだ。

どれだけ土地がコンクリートで覆われても、どれだけ高い摩天楼が空を覆ったとしてもなくならない地上0mの民話があるらしい。それは僕らの人間としての最も小さい単位、個人の間でつながれるもので、地下水が染み出すように受け継がれる。
それをちょっと俯瞰してまとめる機関、その一つが博物館だ。

丁度3日前に訪れたのはシンガポール国立博物館。14世紀から現代まで歴史を開いてくれる。博物館に限らずシンガポールは魅せ方がうまい。それだけ見てほしかった、見てもらう必要があった。
都市化がアジアで最も進んだといっても過言ではない大きな都で、展示の序盤で見た採集の面影を僕は目撃する。不思議な体験だった。そういえば僕も小学生の時、公園のびわや桑の実を食べていた。潜在的によぎる食料採集への共感。

シンガポールは都市のリズムを持っている。これまで渡航したどの東南アジア諸国より早い、ひょっとしたら東京より早い。MRTのエスカレーターはどの駅も渋谷と同じくらいの速度だ。

都市のせわしさに置いてかれそうなとき、少し時代を戻して息を吹き返すという技がありそう。時間を遅くし、機械から離れて触れるものは何世紀前に流れていた時間だろう。


雨で潤う木々の周り、少女たちのやり取りはシンガポールの何より豊かだったはずだ。

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