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naturalに素直に感じた日々の想いを綴っています。 元々はInstagramに想い…

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naturalに素直に感じた日々の想いを綴っています。 元々はInstagramに想いつくままに書き綴っておりましたが、noteの存在を知り、じっくりめに綴りたい時に気ままにアップしてゆきます。 自己探求がもはや「趣味」なのかなと想い始めた今日この頃。

最近の記事

奇跡的な流れと臆病さと

2月から3月、そして4月、5月。あげく、先の予定の6月まで。 本当に驚くほどの流れがあり、それに感動したり、気持ちが高ぶっており、奇跡的な流れが起きていることを実感している。 実感している反面、光に焦点を当てれば当てるほど、そのコントラストは大きくなり、何も悪いことは起こっていないのに、ネガティブな感情に目がいってしまうものでもある。 上手くいけばいくほど、臆病になる。恐怖が顔をだす。 冷静に客観的に見れば、なんてラッキーな奇跡が起きているんだと有頂天になってよさそうな

    • 好きなヒト

      今まで好きになった人は、それはもう酷いもので。 いや、相手が酷いんじゃなく、私の「好き」のなり方が酷かっただけで。 自分のことを好きだと言ってくれるから、私も好きだとか。 恋ってきっとこんな感じと、自分ではなく周囲が見て素敵だと思いそうな理想だけを見た人を好きになったりだとか。 まぁー、少女のような、幼いままごとのような恋しかしてこなかったなぁと思います。 そんな私が、これも恋なのかと気づいた恋がやってきた。 それは、あまりにも自然で、お姫様みたいに感情が高ぶるような

      • 新しい場所に来たみたいだ

        ふと、思った。 「あ、私新しい場所に来たんだ」と。 別に環境が変わったわけでも、見た目が変わったわけでもない。 でも、何ていうか、全く今までとは別の新しい感覚に来ていることだけは、はっきりとわかる。 これがいわゆる「成長」ということなのか。 でも、困ったことに新しい場所に来たことはわかるんだけども、どうもグラデーションのように変化していて、自覚できる変化までは来ているけれど、果たしてそれがどんな変化を迎えたかという理解までは到達していないということだ。 でも、今の

        • 等身大のまま、受け止める

          失敗したり、注意を受けたりすると、客観的に見たら自分のほんの一部分のことに過ぎないのに、まるで「自分の全てを否定された」気持ちに、昔はなっていた。 「こんな自分はダメだ」とさらに自分を虐めては追い込むサイクルに入っていく。 そうして、落ち込みに落ち、悩みに悩み、再起不能になり、自分で勝手に深刻になっていたなぁと、今の自分なら思える。 そう今の自分が思うのは、「今はそうならない」からだ。 結局、あの頃の自分は、失敗や指摘を「等身大」に受け止めようとせず、 そこに「失敗や

        奇跡的な流れと臆病さと

          春分の日にnote始めました。

          春分の日というのは実は、「天体レベルでの新年」だということを 長年お世話になっている人が教えてくれた。 「宇宙の新年」と表現されたりもしたから、 私としては規模が大きすぎてイマイチぴんとこなくて、 勝手に「地球の新年」だと思うことにした。 そう思うと、春分の日だというのに嵐のような突風や寒さも納得がいく。 地球が新しいエネルギーに切り替わったんだな、と体感として実感できる。 私が住んでいる地域は、雨や雪が降ることはなかった。 ただただ風が強く、雲の動きが速く、 それに伴

          春分の日にnote始めました。