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我が家の庭の風景 part.101「寒菊の鼓動」

年末にちょうど寒菊が綻んで、晦日に仏壇に供えることが出来た。
冬花は長持ちするからありがたい。
普段仏前に座ることの滅多にない先祖不孝な子孫が稀に挽回の機会を得た。

玄関前の一番大きな鉢植えに寒菊

店先で12月に咲くという札書きを見たので、冬の庭の彩りにと10月に買ってきた寒菊だ。
初めから蕾がついていたので、早めに咲くのではないかと思っていたから待ち遠しかった。
しかし、正月に飾れるのはタイミングが良かったので、来年は、いや今年の秋は苗を増やして植えたい。

菊と言えば何色を思い浮かべるだろうか。
私は白菊である。
30代の私は二人兄弟であるものの、親戚は多い。両親は二人共に三人兄弟の末っ子で、次男次女。その親はみな、8人や9人兄弟である。団塊世代の両親より祖父母の方が兄弟が多いのだ。
だから、子どもの頃は葬儀や法事に出かける事が旅行などよりずっと多かった。
お寺にはいつも菊が飾られており、白菊がいつも目立って見えた。だから、私にとって菊は白だ。白は人生の出発を飾る産着やウエディングドレスのイメージがあるが、人生が終わっても例えば生きているうちにそれほど名を残さずひっそりと終わった人間でさえ飾ってくれる色だ。いや飾りがない色だから飾られるのかもしれない。
人には好きな花がそれぞれにあるだろう。ただし、今の日本人の仏教信仰者の慣習によれば死んだ後も菊の花を見ることや白い花を見ることが自然多くなるのではなかろうか。
私は紫の花色が好きではあっても、身近な白い花を嫌いになる事はできない。どんな花を中心に据えても周りを白で飾りたくなる。日本人らしい日本人である。

大晦日の日はそれほど寒くはなく、明るい日差しの中で白菊を手折った。すると自然と猫を抱えるように手折ったばかりの菊を横抱きにしていた。霧が晴れた遅い午前の日差しに、菊にかかった一筋の蜘蛛の糸に雫が真珠の首飾りのように連なってきらりと光った。
その時に一瞬だけ、菊が脈動したのは、気のせいだ。

飼っている猫の脇の下に腕を入れて抱えあげると人間より速く脆い猫の拍動を感じる。
この猫をあまり力を込めず決して落とさないように抱き止めて置かなければならないと思う。
しかし、実際には猫は身軽に腕の中から降りて、むしろ降りたがって暴れられてこちらが落としかけても猫は慌てもしないのだ。

菊は落としたら、どうなるか。
よほど衝撃が加われば傷むだろう。
或いはたくさんある花弁の2,3枚が落ちるだけであるのが大抵だ。その花弁すらしっかりついていて、全く散らない場合もある。
落としたって平気だろう。
けれども、大晦日の早朝に起きて仏壇にあげると決めたから大事だった。
私の高なる鼓動を私自身が菊の鼓動と錯覚した。

しかし、それほど大事に摘んだ白菊を仏前に供えて、花挿しの水も換えずに1週間以上放置したままだ。
猫が花を齧ると猫の健康に悪いので仏壇の扉を閉じている。猫はその気になれば扉を開けられるが、興味を惹かせないためには見せないのが効果的だ。
代わりに花の状態が確認出来てない。
恐らく花挿しの中で葉っぱや茎が溶けかけている。
花弁は無事だと思う、多分。
仏間には母がヒーターもなく電気毛布を敷いただけの煎餅布団で毎日昼近くまで寝ている。外気が低いと身体に良くないとわたしはいうのだが、寝る時は冷暖房はいらないと母が譲らない。
仏間の花挿しの水換えは午前中と決まっている。寝ている母の顔を見るのもむしゃくしゃするので、怠惰な私は余計に花挿しの水を換えないでいる。

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