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東と西の薬草園⑧-2

「最近お米を全く食べてない。本格的にハーブを和食に活用することを考えなくちゃ」

開業準備中の峠道のレストラン「赤トンボ亭」で、朝食をとりながら遥は独りごちた。
それを聞きつけたカウンターのカエルは、申し訳なさそうに顔をしかめた。

「僕がパンを調子にのって作りすぎてるからかな。それとも朝ご飯はここで試食してもらっているから」

「うん、それもあるかもしれないけど、それは多分言い訳。庭で採れたハーブをめんどくさいからすぐパスタにしちゃう。もらったパンが美味しくて、それも余ったパスタソースにつけちゃうしね。夕ご飯をお米にすればちゃんとお米は食べられるんだけど。米びつに入れたままほったらかしで、とうとう大量に虫がわいちゃって、捨てたんだ」

「なるほどね。僕もここで作るリゾット以外はそうかもしれない。せっかく米どころなのにもったいないよね。リゾットや米粉パン…いや、それじゃ、やっぱり満たされないものがあるな。僕も米が恋しくなってきた。週1でおにぎりぐらいは食べたいなぁ」

「何ならうちの旅館から、ご飯を仕出ししましょうか?お弁当で」 

2人の愚痴を聞いて提案したのは、かおりだ。日本が誇る飲料メーカー山鳥が営む果実町の川辺旅館は料理が美味しくて有名だ。特に、地元の人たちは、まかない目当てにアルバイト希望が後を絶たない。

「雨の日とか、災害がある日とか、お客さんがキャンセルになっちゃうの。かといって、無料で配るっていうのもね」

香がため息を着いたのは、つい先日台風で宿泊客が全てキャンセルになったからだ。それですぐ経営が危なくなるという事は無いが、3日ほど休業してしまい、食材がもったいないと嘆いていた。

「いいかもしれないね。台風が来た後とか庭の手入れでや片付けで忙しくなる。僕もちょうど昨日は料理していられないと思ったところだった。手伝いに来てくれる人たちに弁当安く売ってもらうと助かるよ」

「そうだね。10月位までは台風が危ないし。11月の紅葉狩りのイベントとか、仕出し弁当にすると風情があるかもしれない。蜻蛉亭の方では焼き菓子とお茶だけ持っていくとかね」

遥と蛙が請け負うと、香は張り切って旅館に戻ってすぐ確認しに行った。1人ではなく、霞がお供だ。つい先日付き合いだしたと言う報告をした二人は、すでに、夫婦のようにいつも2人一緒に行動することが多くなった。それもどちらが声をかけるともなく、2人は自然と連れ立っている。

ところが、明日にでも実施できるはずだったら仕出し弁当は、思わぬ横槍で頓挫した。

農協から、子供たちの遠足場所に峠道の貸庭を使わせて欲しいという打診があったのである。

それには、貸庭のメンバー全員が難色を示した。確かに8月はイベント事等休業しているが、ログハウスに泊まりに来ている客もいる。ましてやには更地にはなっていない。
子供だから、宿泊客に迷惑をかけるとか育てている花に何かすると疑うわけにはいかないが、山の中なので崖も沢もあり危険が多い。
不幸なことに、峠道の貸庭の職員が全員独身で子供がいないので、子供の接し方に自信もなかった。確かに、パートさんたちはみんな既婚者ではあるが、農協や学校が提案するような夜の天体観測とかに駆り出すわけにもいかない。

「そうは言っても、老人会とか介護老人施設の団体にはガーデンパーティーをしてあげたりしたんでしょう。なんで子供ならいかんのですか?」

農協の人間はそういうのだが、やはり、遥たちの感覚としては子供と大人では扱いが違うのだ。ご老人でも大人は自分で責任を取ることができるが、どうしても、子供には大人なの手が必要だ。
峠道の貸庭は、見学は無料だ。イベントだって保護者と一緒に参加できる。ログハウスだって、1世帯7、8人くらいまでなら家族や友人で泊まれる。
それなのになぜ大人が少数の子供たちが団体のイベントを実施させようとするのか、遥には何度農協や役場や学校関係者から説明されてもわからなかった。

子供たちの貴重な体験は、子供たちだけで固まらないとできないのだろうか。
子供中心のイベントをしないと、町おこしや地域振興策にならないのか。

遥は自分が幸せに暮らせる空間を作りたいと思っている。また周囲の利用者にもそうであって欲しい。しかし、町おこしを考える人たちは、自分達の利益や利便を度外視しても、子供や他人に幸福を与えたいのだ。自分たちが死んだ後も町を発展させて幸福にしたいのだ。価値観が違うと言うより、遥があまりにも自分本位なのだろう。
もっと相手の気持ちに慮るべきなのだ・・・と理解しようと遥も心の内で、努力はしてみるが、他のメンバーが乗り気でないのに、それを説得して、子供向けのイベントを作ろうとするまでには至っていなかった。

さらに、遥には解せないことがあった。
町に峠道の貸庭にライバルが作られたのだ。
川辺に高級ホテルがまた増えたのだ。それも山鳥の川辺旅館の目と鼻の先である。
景観美を意識したホテルの中庭はなかなか立派なものだという。
食材には多く、地元のものを使い、さながら料亭のようである。
食材については農協がプロデュースするらしい。という事は貸庭事業から農協が撤退するのかと思えばそんな事は無いらしい。あれはあれこれはこれとどちらにもいい顔するのが気に入らない。
その貪欲さが、遥には理解しがたいのだ。
今うまくいっている峠道の貸庭の事業があるのに、それが軌道に乗ったばかりの段階で、なぜ次のことに手を出すのだろう。
引き続き町は子供たちの林間学校に貸庭を使わせてほしいと言ってきた。それも街の子供たちではなく、他県の学校の子供たちである。ここはそういった趣旨の場所ではないと遥は断るしかなかった。ログハウスは常に予約でいっぱいだ。新しい建物を建設中で、庭も増築中。到底、そのような大仕事を引き受ける余裕はない。山鳥に採算を度外視して、林間学校のための宿泊施設を作る気がない事は香の態度を見ればわかった。

なぜそこまで、果実町の役人たちは、貸庭に子供たちが参加することにこだわるのか。
その理由の1つに、峠道の貸庭のスタッフの1人である野沢湧水が描いた漫画の存在があった。

最近、青年漫画に連載している野沢湧水の読み切り漫画の登場人物は、全て「峠道の貸庭」の実在の住人たちがモデルだ。すでに1巻分単行本にもなっており、地元の小中高の公立学校のすべてに寄贈されている。役人たちが言うには、それを読んだ子供たちが、嘘かまことかガーデニングに憧れを抱いているらしい。
最近の果実町の子供たちの話題は、「ガーデニングと農作業の何が違うのか」「コンパニオンプランツと薬剤の違いはどれほどあるのか」「かっこいいポタジェの庭ってどんなものか?」「育てて楽しい野菜って何?」といった、担任教師が答えに窮するものであったりするらしい。はっきり言って、遥にも答えられない。庭師の野人は過去に小中学校で講演をしたことがあり、そういった疑問に答えるために学校に出向く予定はあるが、夏休み明けになるだろう。夏休み直前から、湧水の漫画が流行りだしたのがタイミングが悪かった。いや、夏休みに子供たちがガーデニングを始めるのにはタイミングは良かったわけだが。

子供たちの声は、人づてだけでなく、彼ら自身の言葉として貸庭に届いていた。ホームページに子供とわかるような文章でコメントが来ることがあった。
また、湧水が貸庭の敷地の一画を自分の事務所にしたので、読者からの感想など雑誌社を通して、メールや手紙で貸庭に届く。そんな中、あるお便りで「若い人の方が年寄り臭く、ご年配の方が若々しい」という感想があった。
さもありなん。年寄り臭いと言われたのが、遥がモデルのキャラクターで、若々しいと言われたのが、数回前の連載から登場したみどりがモデルとなったキャラクターなのだ。
実際に、みどりのこれまでの赤裸々に描かれている。遥は漫画を読んで、みどりの人生の詳細を知った。なんと言っていいかわからない。こんなことがあったら、自分だったら他人に歳をとっても話せないだろうと遥は思ってしまった。だから、漫画を読んで以来、積極的にみどりのこれまでの人生について聞く事はしなかった。
みどり自身は「実際に生きていたら、嫌われ者でも漫画では結構魅力的なキャラクターだと思ってもらえるのね。役得だわ」と満更でもなさそうだった。
湧水にこれまでの人生を話して、何か胸のつかえが下りたのかもしれない。

台風の後に、また台風が来て、峠道の貸庭の植物たちの体裁が何とか元通りになってきたのは8月の終わりだった。
残暑がまだまだ厳しいが、野人は過ごしやすくなってきたと、張り切って庭作業をやり始めた。午前中と夕方と8時間くらいは庭にいるので、倒れるんじゃないかと、孫のカエルだけでなく峠道の貸庭のメンバーも客として、訪れた人さえ心配していた。

それでも太陽に向かって大きく開いたひまわりの下で少しだけ涼めば、すぐ体調が良くなると、齢80歳を超えるの人は嘯いた。

弁当にすれば、野人が炎天下の中、外で弁当食おうとするだろうと昼食は決まって開業前の蜻蛉亭の中でみんなでとった。メニューは決まっていたが、「まだ試食が必要なんだよ」と毎回カエルが野人を説得しなければならなかった。野人は「老い先短い人生のうち、少しでも長く庭の手入れに費やしたいと言う気持ちがわからんとやろね」と1時間きっかりかかる昼食のたびに不機嫌だった。

「学校に出張公演に行くなら、何か手作りするようなイベントでもしたらいいんじゃないかい。かえるが料理教室でも開きんしゃい」

昼食のリゾットを火傷しそうに、暑いままの間に食べ終えると、退屈した野人が真っ先に口を開いた。

「じいちゃん。学校で火を使うのは危ないよ。そもそも、家庭科の先生がいるのに、僕がでしゃばることじゃないしね」

「せからしか、世の中ね。火を使わずにどぎゃんして人が生きていくもんね。人類は火を使うもんだよ。かえるの料理は、天下一品やっとにね」

野人がつまらなそうにスプーンを置くと、蛙はすかさず冷たいハーブティーを差し出した。レモンバームのアイスティーは今年の夏になってから野人のお気に入りだ。

「まあ、じいちゃんについていって、1人で座っておくのも手持ち無沙汰だけどさ。何か野菜でも植えたらいいんじゃないかな?」

「マクラメ編みでハンギング鉢を作るのはどうかな。単純に固結びする程度のものなら、みんな作れそうだけど」

遥が控えめに提案すると、「それはいいですね」と野沢湧水が膝を打った。

「僕が作り方のイラストを描きますよ。まさか、この町の子供たち全員分のサインを書くのは大変だと思ってたんです。名前入りでイラストを描きますから、それをコピーして配ってもらえれば助かります」

律儀な湧水は、自分の漫画が果実町で流行ったことを知ると、夏休みに入ってすぐに各学校にイラスト入りの手紙を出した。すると、学校からサインして色紙を飾らせてくれと頼まれた。しかし、飾るよりもほしい人に配りたいなと湧水は考えていたが、もらう子とをもらわない子がいるのも不公平だろうかとちょっと悩んでいたのだ。

マクラメ編みの説明書は果実町の子供たちだけに配られるプレゼントだ。

「こちらこそそんなことをしていただいたら助かりますけど、大変じゃないですか。ただでさえ漫画を描いたり、峠道貸庭のスタッフとしても働いていただいてもらってるんですから、無理はしないで下さいね」

遥もとても良いアイディアだと思ったが、素直には喜べなかった。遥が体調を崩したり、カエルが怪我をしたときに、湧水に負担をかけて、目一杯働いてもらっていたからだ。それに加えて、ほとんど読み切りとは思えないほど果実町の漫画は毎月連載されている。1巻出たので、一段落と言っていたが、出版社がもうちょっと彼には書いてほしいと願っているだろう事は、遥にも想像できた。遥は自分がモデルなのでちょっと複雑だったが、この町でブームになっているほどの漫画だ。読者も連載になることを望んでいる。

「いいんですよ。僕は清々しいですね。漫画がなければ僕は終わりってわけじゃないことが分かりました。僕がいなくなったら、今このガーデンはダメになってしまうかもしれないと思ったのは、新鮮な驚きでしたよ。漫画でなくて、ガーデニングなんて全然素人なのに。ちょっと大変だったけど、終わってみたら本当にうれしかったですね」

湧水は空になったアイスティーの氷をカランと鳴らしてふわりと透明な微笑を浮かべた。

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