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作家のすすめる名作:北杜夫

母は仕事を病気で定年してから、24時間読書をしているような人である。
母は「ゲームもしているし、編み物もしているし、読書ばっかりしていない」というのであるが、私が話しかけるときは常にタブレットを持って読書をしていて、話しかけても画面から顔を上げない。
今はそういうスマホやタブレットにかじりついているお子さんが多いだろうが、それが子供時分で終わるかといえば、年を取っても一生続くかもしれない。

とはいえ、母の読書量は常人とは思われない。二十歳の頃に買い集めたという吉川英治全集はおそらくほぼすべて読んでいるだろう。北杜夫さんは、それほど著作がないとご自身で語られるが、それなりに長生きだったので、北杜夫さんの本は全部読んだという母の言の通り、北杜夫さんの本は子供の頃から家にたくさんあって、何度も売ってしまった。それも売ろうと本を整理していたら、背表紙も同じタイトルの本が2冊出てきたことも何度かある。
しかし、母は同じ本を繰り返す読むことはしないので、読み始めて「これは読んだことがある」と気づくとそれきりそのページ以上には進まない。
私は前に読んだと気づいても、それを忘れて買ったくらいだからとまた読んでしまうが、同じ本を読まないという母はそれこそ学校の図書館の本は相当に読んだことだろう。私は高校生の時に、芥川賞全集に手を出そうとしたら、第1作の人の言葉が古くて読めなくて、すぐに挫折してしまった。
母は同じ高校出身だけれども、借りた人の名前に母の名前を見つけたことがない。もしかしたら、私が読むようなもので多少古い本は母なら中学生までに読んでしまっていたのかもしれない。母は小学校から中学校までは転校を繰り返していて、私と同じ学校には通っていない。

公立高校は、この地域では選択肢がないので、祖父母も両親も私も弟も同じ学校である。

そういえば、祖父の名前も図書カードに見たことがない。41歳で亡くなった父方の祖父もそれなりに読書家だったらしいのに、どういうことだろうか。

北杜夫の読書遍歴

北杜夫さんは遠藤周作さんや阿川弘之さんとたくさん対談しておられる。私が10歳の頃に遠藤周作さんが亡くなっておられるので、3人の対談を拝見したことはないが、一時期文藝春秋のコラムなどで阿川弘之さんがお二人との対談の思い出を語っておられたので、それで3人で何を話していたかその片鱗を知る程度だ。一番長生きされたからか、私は3人の中では阿川弘之さんの作風が一番好きだ。まだ30代なのにこんなことを書くと「どんな時代錯誤の軍国少女だったんだ」と思われるかもしれない。
しかし、私にとっては阿川弘之さんの小説は私が生まれる前の時代の若者の青春小説のようなものなのだ。それが、たまたま戦争をしていた時代だった。

北杜夫さんや遠藤周作さんは言葉がもっと平易であるようでいて、ちょっと説教くさい感じがある。母にそんな話をすれば、「そんなことはない。北杜夫さんの作品は楽しくて面白い」と憤る。しかし、なんというか私が北杜夫さんと同じような病や障害を持っていることを知ってみると、なお一層共感できないという思いがするのである。同じ病気の人というより、やっぱり北杜夫さんは医者なのだという気がする。

昔家にあった北杜夫さんの本は売ってしまったので、最近また購入した。ネットショップでは秋になると本をまとめて買うとポイントがいくらか多めにつく。そのポイントにつられて、遠藤周作さんと北杜夫さんと阿川弘之さんの本を買った。昔家にあったものかもしれないが、全部読み切らないで売ってしまっている。阿川弘之さんの「春風落月」は結構内容に覚えがあったので、大人になって読んだものだろう。全部エッセイを選んだ。
子供の頃は物語の方が好きだったが、このnoteを初めてからおそらく小説より日記を読むことの方が多い。自分の話を聞いてもらいたいからという気持ちが最初は多かっただろうが、30代の半ばを過ぎてやっと人の話に耳を傾けられるようになったということかもしれない。

北杜夫さんは作家になられたくらいだから、もちろん相当な文学少年だった。父親が歌人の”斎藤茂吉”なのだから、読書家としては相当のサラブレッドだ。また家業が精神科病院を営んでいるとあって、他人の精神性についても相当興味がおありだったのだろう。「キリストより仏陀が平和」と著書でおっしゃっておられるが、それを言えるのも洋書をそれだけお読みになっているからだ。そうでなければ、キリスト教信者であった遠藤周作さんとそんなに話が合わなかったに違いない。

また別記事で書く予定だが、北杜夫さんと遠藤周作さんとの考えで一致しているところは、「孤独で暗い雰囲気で文学を気取っている作品は好かない」というものだ。北杜夫さんはご自分で言っておられるように躁鬱で、遠藤周作さんと北杜夫さんは芥川賞を受賞した「夜と霧の隅で」や「白い人、黄色い人」などはユダヤ人とかアウシュビッツとか人類の歴史上もっとも暗いものを題材しておられるように思うのだが、そういう歴史の観察は果たして暗くないのだろうか。

今読んでいる「見知らぬ国へ」で、北杜夫さんはこれまで自分が読んできた作品について感想を述べられている。それが結構辛辣で夏目漱石は「猫」が一番良くて、晩年の作品はあまり好かない。「虞美人草」は悪しき美文とまで述べられている。私も確かに「虞美人草」は途中で脱落したが、悪しきものとまでは思わなかった。「猫」もいいが、「坊ちゃん」はもっと好きである。

ー吾輩は猫である。名前はまだない。
ー親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている。

「猫」も「坊ちゃん」も冒頭の書き出しはユーモアに満ちて印象に残りやすい。夏目漱石以降の文学は、こうしたブログに至るまでユーモアのある書き出しで始まることが多いだろう。例えば北杜夫さんを例にとってみると、

ー幼少期、小学校中学校と通じて、私は理科少年であった。今では誰も信じないことだが、数学、物理などがもっともできた。(『見知らぬ国へ』「マンから茂吉まで、影響を受けた本のリストから」北杜夫より)

いかにも「猫」や「坊ちゃん」を彷彿とさせる冒頭だ。私はこういうおかしみのあるはじまりの物語は好きだ。しかし、自分で書くとなるともっと静かなはじまりを選ぶ。こうした思想とか概念とかをわかりやすくいきなり説くような賢さもないので、慎重にまず見ている景色とか自分の心象風景を語るところから始めるのだ。
いわば、夏目漱石とか北杜夫さんの作品は私にとっては紋切り型で、ユーモアも感じるが、こういきなり言い切られると見知らぬ人から説教を受けたようなちょっとドキッとする怖さを感じる。

医者に言わせると、私は言語能力が低いそうだ。文豪は言語能力に関しては化け物のような人たちなので、回りくどい言い方はしないでズバッと切り込むのが王道なのかもしれない。似たようなご病気だったのに、うらやましい。同じ病気だからといって、同じ才能や性格は少しも授かれないものなのだろう。

北杜夫さんが『「ヴェニスに死す」あれこれ』というエッセイを書かれている。阿川弘之さんの「雲の墓標」は高校の先生にすすめられて読んで、それが阿川弘之さんの作品とのはじめての出会いだった。「ヴェニスに死す」も別の高校の先生にすすめられて読んだ。学校の先生たちには私には読書好きという印象しかなかったものと見えて、おそらく10代20代の中では高校生の頃が一番読書をしなかったにもかかわらず、一番人から本をすすめられた。それが江戸川乱歩の「芋虫」だったり、太宰治の「津軽」だったり、「ヴェニスの商人」だったり、「ヴェニスに死す」だったりしたものだから、私はすすめられた本をおそらく読みはしたものの、他人から本をすすめられることに関してはその頃にかなり警戒をするようになった。そして、他人も私におすすめの本を聞いてくるのだが、それが周りの期待するような文学ではなく、推理小説だったり、少女小説だったりしたから、そのたびにがっかりさせていた。

今、こうして北杜夫さんが解説する「ヴェニスに死す」の物語を読んでみて、まったく記憶がよみがえって来ない。先生か友達にすすめられたというのは勘違いかもしれず、これを私が理解できると思った人はよほど私を過大評価していたのだろうと思う。
今年は世間で「少年愛」というものが騒がれた。これは戦前戦後の”文学”なるものではさんざんテーマになってきたことだが、その性愛の本質は確かに醜悪である。年頃の成熟した美しい婦人と美少年とを並べて、その少年の今しかない美しさを選ぶ。危ういのは少年の美しさや振る舞いではなく、何かにつけ、少年が自分を誘っていると思うその大人の思考なのだ。
少年を愛するという性的嗜好は何も男性だけが持つものではない。日本では江戸時代でも、夫を失くした妻が美しい小坊主に手を出して孕んで子供の持ってしまうということがあったと何かと作品に描かれている。私は山本周五郎さんとか山手樹一郎さんと時代劇の原作小説を亡くなった祖父の蔵書でよく読んだが、どちらかの作品にそういう話があった気がする。そして、その未亡人の窮状をどっかの気楽な旗本侍が救うのである。

私がそういう性愛の世界に特別嫌悪を持ったとかはなかった。人間の悪い性質を垣間見たという気分もなかった。しかし、読んで気分のいいものだったかと言えば、話を全く覚えていないのだから、記憶から消したいくらいの衝撃で気分が悪かったのかもしれない。
勧善懲悪の話には救いがあるが、こうした西洋文学は大体破滅文学である。
「マンから茂吉まで、影響を受けた本のリストから」とあったので、マンとはだれかと思って読んだら「ヴェニスに死す」の著者のトーマス・マンだった。やはり、お医者さんだからドイツ語に造詣が深くてドイツ文学には相当知識があられたのだろう。私にはこういう話は現実にあれば多少関心は持つが、あえて文学にしようという試みは理解できない。そういう悲惨さこそ「文学ぶっている暗さ」という遠藤周作さんと北杜夫さんが嫌悪するところではないのか。むしろ、解説するほど読み込んでいるところに共感できない距離を感じる。

親の蔵書と子の蔵書

父親だから斎藤茂吉を解説できるほど詳しくて当然なようだが、そういえば北杜夫さんは短歌はどれくらい嗜まれたのだろうか。”マンから茂吉まで”、つまりは”ドイツ文学から日本の古典文学まで”、”西欧と東欧文学から極東文学まで”とはずいぶんと幅広い。おそらく斎藤茂吉さんは少年愛をテーマにしたことはない。印象深いのは”みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる”というあの短歌の母に対する慕情である。1回読めば覚えるというくらいわかりやすく印象深い歌で、斎藤茂吉さんの作品をよく知らない私からするとこれぞ斎藤茂吉という歌だ。
北杜夫さんは作家になったら読書が捗らず、学校の教科書に載っている作品はつまらなかったようだ。しかし、私は学校の教科書は良書ばかりでありがたかった。小学校の頃には自分がそれほど賢くないのは理解していたけれど、その分賢い人に対するあこがれが強くて、夏目漱石の「こころ」が全文載ってなければ図書館で探して借りて、志賀直哉の「赤西蠣太」の短編に続きがあると思い込んで、図書館やら本屋さんで探し回って「赤西蠣太」と「赤西蠣太の恋」が同一作品で、続きはないと知ってがっかりしたものだ。
斎藤茂吉さんの作品も教科書で感動したから、図書館で読んで、息子が北杜夫さんと知って家で母の蔵書をあさったり、北杜夫さんを尊敬していたムツゴロウさんこと畑正憲さんの作品は買って持っていたものも多かったので、大人になって北杜夫さんはそれほど好きではないけれど、ムツゴロウさんの本は好きなので、結局母と私の本の好みは似ているのかもしれないと思ったものだ。

おそらく、北杜夫さんは学校の教科書を利用しなくても、それだけ素晴らしい文学作品と出会う機会が幼少の頃から多かったのだろう。私は学校の教科書の話は面白くないと聞くと、そんなこという人たちの話が面白くないと思っていたけれど、読書家だったからそういう感想が出たのだろうか。

私のコミュニケーション能力が不足していて、同級生の心理をそこまで読むことができなかった。

また、母や弟についても同様で、弟は大人になってからは読書家になったけれど、子供の頃は人一倍字を読むのに時間がかかっていた。その代わり、興味があれば一回で写真のように覚えて、それを諳んじてはぐったりしたようにベッドに倒れこんで寝ていた。
私はこうしてnoteを書くけれど、医者に言語能力が低いと言われたとき、すぐに納得した。そして、母や弟のことを思った。二人とも字を書くのが相当に嫌いで、読書量は私以上なのに、メールを打つことはおろか電話すら嫌いだ。授業は英語が大嫌いで、二人とも英語だけ塾に通った経験がある。
私はいつか英語の原書で本を読むことにあこがれていたので、中学生の頃は毎日NHKのラジオ講座を聞いていた。しかし、高校になったら数学に時間を取られてやめてしまった。
周りは私が本を読んでいたので、数学より国語が得意で好きだと思っていたようだ。北杜夫さんも誰も信じなかったが理科が一番好きだったと述べているが、私も誰も信じないだろうが数学はそれほど嫌いではなかった。確かに化学はまるで才能がなかったけれど、それは祖父や弟が化学の本をじっと読んでいる姿を見て多少劣等感を持っていたことも関係しているだろう。
テストの点数がそれほど良かったわけではないだろうが、二人とも興味があることはよく考え込んでいた。私は考えるのが、苦手なのだ。
思い付きで脈絡のない話をする。
順序だてて話を考えることに憧れはあって、そこそこ数学の勉強をしてみたが、学校の先生からの評価が芳しくなくて理数科にいけなかったのでいじけてしまった。そもそも私の学年は数学が苦手な人が多かったようで、3年生になったときは模試で数ⅡBが一番になれたことが何回かあったことは覚えている。とはいっても、満点近い点数をとれた覚えはないのでせいぜい進研模試で60点台からよくても80点台くらいだったろう。それでも、理数科の人たちもそんな勉強熱心ではないではないか、とほの暗い喜びに浸っていたことは覚えている。高校生の頃の記憶は本当にほとんどないが、この一点の思い出だけ考えても、私は陰険で嫌な女であった。コミュニケーション能力がとても低くて、弁当を一緒に食べる人はいたがそれだけだった。

読書もせず、勉強もそれほどせず、自転車で32キロ往復して高校に通って、馬鹿みたいに何も考えずに過ごしていた。多分、他人に対して心無い言葉も言っただろう。

しかし、弟や母は私より少し賢くて、他人に心無い言葉を言いたくないから口をつぐんでいるのだ。読書をすれば多少の語彙は身につくが、北杜夫さんのようによほど自身がなければ「虞美人草」が駄作だなんて言えないし、その言葉が他人を傷つけたりする。私もあいまいな言葉で濁しているが、それほど好きでなかった作品はある。それらに少しでも良かったところを見つけようというほど親切でもない。

面白かった本と面白くなかった本を並べて、どちらも深い考察ができるのは流石文豪である。私なら、「理解できませんでした」で終わりだ。
母が好きな北杜夫さんの作品で理解できなかったものもたくさんある。ただ、どれがそれだったか覚えていない。

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