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猫のように暮らす

猫のように生きる。猫みたいな身体で。

※人間の病気の話です。

子供の頃は犬を飼っていて、猫より断然犬派だと思っていた。
しかし、中学校の時に友達とやった性格診断で、私は猫だった。犬が好きだけれども、自分を犬っぽいと思ったこともなかったので、まぁそういうものかなと自分では納得したのだが、友達は気の毒そうな顔をしていた。猫っぽい性格について、あまり良いことが書かれていなかったのかもしれない。私以外の友達はほとんど犬だったように記憶している。

ちなみにそういう性格診断では、私はいつも芸術家肌で恋多き女のような診断になった。1人でそのような診断をする事はなかったので、友達に誘われてのことだ。みんな結構当たってるのなんのと言っているのだが、私についてはあまりにも当たっていないと思うのか、私がこんだけ外れるんだからやっぱり信憑性がないのかなと思うようで、毎回微妙な顔されるのがやっぱり気の毒だった。

私は猫が気まぐれだとは思わない。縄張りが決まっていて、犬よりも遠くまで出かけず、寂しがり屋である。確かに1人でも生きられるのかもしれないが、どこか人がいる場所にはいたいのだ。

私と猫は性格的にやはり似ているかもしれない。私は猫っぽいかもしれない。集団生活をする哺乳類に生まれてきたと思えない生態を私もしているからだ。だからといって、他人に全くかまってもらえないのもそれはそれで寂しいのである。 

猫は病気になりやすい。肉体的にも精神的にもだ。

私はすべての病気が生活習慣と遺伝によるとは思わない。しかし、病気になりやすい質というのは確かにあると思っている。運命と言い換えてもいい。

病気になるのは運命だが、それで寿命が縮まるかどうかはわからない。病気と付き合うことが運命と定められているかによるのだろう。

猫は感染症にかかりやすく、肉食で胃腸が弱い。環境が変わるとなかなか適応することもできない。

それでも犬より寿命が長かったりする。うちの猫たちはまだ若いので、あと20年生きていてくれるかもしれない。すると、猫と私と家族の誰が1番先に虹の橋を渡るかわからない。

私はクローン病という胃腸の病気を抱えている。さらに、先日繊維筋痛症という病気を抱えていることがわかった。

クローン病に当てはまる症状ばかりではなかったので、ここ2年検査してもらっていたところ、股関節に異常があって、右足が3、4センチ長くなって、右の方に体が傾き、顔がしびれたり頭痛がしたり体中が痛かったりという不調につながっていたようだ。

レントゲンを見たら、股関節の異常はよくわからなかったが、左足より右足の骨が太いこと、首の骨がくの字に曲がっていることはわかった。

何年も検査してわからなかったくらいだから、首が曲がったのは症状がひどくなったここ2年の事なのかもしれない。

こうした症状にも季節が関係するらしい。

雨の日の猫はよく眠る。私も雨の日は動きたくない。体中が痛むからだ。

私は子供の時に歩き方がちょっと独特だと周りによく言われていた。小股だったからだ。親にドスドス歩くのはみっともないと教育を受けていた。小学校高学年の頃には時代劇小説読んでいて、テレビの時代劇のドラマでも着物でみんなしずしずと歩いていた。

だから、小股で歩くのが上品であると思っていたところもある。
しかし周りにあまりに言われるので、大股で歩くのが世間で健康に良いとか言われ始めたこともあって、中学生くらいから大股で歩こうとしたら無理だった。なかなか定着せず、小股で歩くのが楽だったのだ。もしかしたら股関節の異常のせいだったかもしれない。そもそも小股の方が上品だと思っていたにしても、小さい頃からその歩き方で、意識して着物を着た女の人の歩き方を真似していたわけではない。

猫も静かに歩く動物だ。深夜や早朝に駆け回っていることもあるが、大体はそんなに音を立てないように歩いている。上品だなと思う。体の曲線が優美で、テーブルにとんと飛び乗る姿などは何度でも見入ってしまう。

無意識に体に負担をかけないようにしていて、さらに上品に振る舞うきっかけになっていたならそれはそれで悪くないのではないか。姿勢は悪いかもしれないけれど。

うちの猫はまだ若いのでそうでもないが、猫はお腹の調子が崩れやすいらしい。私もそうなのでお揃いだ。行動範囲がそのせいで狭いのだろうか。私はやっぱりお腹の調子が悪くなりがちなので、あまり遠出したくない。体も痛いし。

そして、家にいれば体の不調を誰かに説明する必要もない。体の不調のことを気にしながら、生きていく必要もない。
猫は怪我すると隠そうとする。吐くときには陰で吐く。うちの猫たちは何か敷物の上ではこうとするが、それはそれで布団だったり座布団だったりするのでちょっとありがた迷惑だ。

猫だけではなく、人間だって普段からいつもいつも病気のことを説明して回りたくない。確かに病気からは逃れられないが、自分が病気であることを忘れることなんてしょっちゅうある。かといって全く知らずにいて欲しいわけでもない。
それまでと変わらず接してほしいと思うものの、一方で病気の人間に対する気遣いもしてほしいのだ。気遣ってくれないなら、一緒にいたくないとも思う。

猫もそうじゃないだろうか。病気を的確に気遣ってくれるならともかく、ただジロジロ見られるだけならそばにいなくていいと思うのかもしれない。
用事があったら呼ぶからね。寂しい時はかまってね。何もできないなら放っておいてね。
猫には心外かもしれないが、私が猫に似ているなら、猫はやっぱり相当身勝手なのかもしれない。

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