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我が家の庭の風景 part.24

夜に雨が降ると、翌日は何か書きたくなる。雨が続く日だけではない。もう止んでいても、何かいてもたってもいられないようなところがある。気怠くて、体の節々が傷み、片頭痛持ちなのかどうか、いつも腹痛用に痛み止めを処方されているので判然としないが、頭が重く気分もどんよりとしている。

その憂さ晴らしなのかどうか、一層何か書かねばならないという強迫観念めいたものがあり、布団の中にまだいてさえ、目が覚めるとすぐにつらつらとなにやら考えこんでしまう。

都合の良いことに、雨の日の猫も気怠く身体がいつもより重たげであるが、朝はそこそこに早起きして、人間を起こしてくれる。

にんじんの花

雨の翌日か翌々日になると、庭の畑に父がまいた何かの種が芽吹いているかあるいは収穫時期を過ぎた野菜のどれかの花が咲いてしまうことが多い。すでに何日も前から花がついているものでも、いっそう花芽がたくさんついているのだ。セロリににんじん、ディルにコリアンダー、サンチュにサニーレタスなど、いかにも家人が世話をさぼっています!と言わんばかりに、放任主義を体現した花を咲かせている。

とあるYouTubeチャンネルの動画を見ていたら、セロリを食べながら、ある青年がセロリとはどういう植物なのか気になったらしく、スマホで調べ始めた。そして、セロリの花の画像を見つけたらしく「大したことのない花だな。せめてカスミ草みたいに綺麗だったらよかったのに」と言っていた。おそらく、セロリの味があまり好きではなくて、花を見ても食べてやろうという食欲を掻き立てられなかったので、がっかりしたものと思われる。

セロリやディルやにんじんの花は白というより緑がかっていて、しげった葉に溶け込みそうで、地味と言えば、地味だ。しかし、その青年のたとえに寄れば、カスミ草はそれなりに見る目をそれだけで楽しませるということだ。地味な引き立て役の代表格と思っていたけれども、それなりに可憐だから花屋で重宝されているという認識なのだろう。私は、ミモザに比べてもちょっと寂しい気もする。全体の雰囲気で見れば、花弁だけで考えなければ葉のつきのよいものも引き立て役になるのではないだろうか。

実際に人参の葉っぱをキンセンカの黄色い花と一緒に透明の瓶に入れて飾ってみた。あまりうまくなかった。到底可愛いとは思えない。コリアンダーはまだ白い小花がまばらについている。可愛いかと思ったが、摘んだだけで飾るに至らなかった。
味はまだしも、匂いが苦手なのだ。
飾れるほどの束で一房摘み取ると、鼻をつく臭いがした。コリアンダーは呼び名がたくさんあり、韓国ではパクチーというらしい。
韓流がブームと言われて久しい。一時期パクチーが日本でも大流行りしたことがある。その頃は食べたことがなかったが、これをお腹いっぱい食べられる人の嗅覚はどうなっているのだろうか。よほどおいしそうな匂いに感じるのか、それとも匂いなど何も気にならないのか。

柿の種類が分かりません。
同じく。

6月の2週目になって、梅雨入り間近と思えるようやくまとまった雨が降った。いささかまとまりすぎた。大雨や台風が来ると庭の柿の実が落ちてしまう。
うちには柿の木が3本ある。どれも種類が違うが、なんという柿かわからない。ひとつ富有柿らしい一番の大木は成長も早いが、実も相当しぶとい。他の二つは色づく前から鳥がつついて食べ始める。雨で実も落ちやすい。人間の口にほとんど入らない。

サンチュの花

風で折れそうに見えて、強い花もある。茎がよく伸びていてもしなって耐える。倒れても咲いている。キンセンカに至っては倒れっぱなしで、太陽に向かって直角に茎をのばして花を次々咲かせている。折れないが、まっすぐ立つ気も感じられない。花壇を綺麗に整えるにはちょっと厄介だが、まあ、適当にやっているから許している。

消えかかった飛行機雲が三本。
待宵草

地元を離れていた頃は、待宵草が好きだった。日がすっかり暮れた時間に電車から降りて徒歩で仕事から帰っていたので、夜に待宵草の花が開く頃になると地上が明るくなったようでうれしかった。冬まで歩くのが楽しいなと思っていたものである。
なんなら人に見つからないように道端から引っこ抜いてベランダで育てようかとまで思っていた。道徳心に負けてしなかった。ホームセンターで探しても売ってなかったが、灯台下暗し、実家に帰ったら、いつの間にか雑草のごとく前庭の玄関周りにはびこっている。花壇を作るのには邪魔であるが、なるべく抜きたくない。夜に咲くという神秘性が好きなのだ。子供の頃は学校の部活帰りにねむの木を見つけるとわざわざ自転車を降りて眺めていた。

今はもう他の植物と見分けがつかないかもしれない。あんなに好きだったのに、いつの季節に葉がしげっていて、いつの時間に葉が閉じて開いていてかも覚えていない。

子どもの頃の思い出など、こんなものだろうか。私の記憶力が知れたものなのか。

空を見上げない生活をしたら、朝日がのぼる時刻も日暮れ時も分からなくなってしまうのだろう。

山椒の実
四季生りいちご
ナス
フルーツトマト?
大玉トマト

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