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『キリエのうた』 アイナ+松村北斗+黒木華+広瀬すず=まさに最強布陣!


今日も週末に映画館で鑑賞した新作映画について評論します。
ということで、岩井俊二監督最新作『キリエのうた』

こちらを鑑賞してきましたので、感想語っていきたいと思います。

この記事を読むとわかること!

  1. 『キリエのうた』の良いところと、ダメなところ

  2. MVP級の活躍をしている松村北斗

  3. 『キリエのうた』がより良くなる方法


『キリエのうた』について

作品紹介・あらすじ

  • 公開 2023年

  • 監督/脚本/原作/ 岩井俊二

  • 出演者 アイナ・ジ・エンド/松村北斗(SixTONES)/黒木華/広瀬すず

路上ミュージシャンのキリエは、歌でしか声を出すことができない。
ある夜、過去と名前を捨てたイッコは、キリエの歌を聴きマネージャーを買って出る。
彼女らは石巻、大阪、帯広、東京で歌を紡ぎながら、過去にとらわれた青年や、人の傷に寄り添う女性に出会う。

とにかく「アイナ」の歌声のための映画

この映画はいったい何を描きたかったのか?
例えば世界の仕組みは弱者にとって実は冷たいんだ、という側面を描きたかったのかも知れない。
ラストシーンの野外音楽フェスの時のように公権力に対して、歌い続けるという細やかな抵抗を描きたかったのかも知れない。
あるいは、身勝手な男の後悔と自責の念を描きたかったのかも知れない。

確かにこれらは監督が描きたかったことなのかも知れないが、一番描きたかったのは「アイナ・ジ・エンド」という歌手の持つ、唯一無二の歌声の豊かさなのではないか?

そもそも「アイナ・ジ・エンド」を知っている人もいないと思うので、簡単に紹介だけしたい。
そもそも彼女はBiSH(ビッシュ)として2015年から2023年6月29日まで活動した日本のガールズグループの一員であり、ボーカリストだ。

そんな彼女はグループ活動のかたわら、ソロ活動なども行っており、グループの解散後はソロ活動をメインで行なっている。

そんな彼女の歌声に惹かれた岩井俊二。
彼女のために岩井監督は作品を作ろうと決意し、アイナは今作の映画に初主演として抜擢された。

そんな彼女の歌声・魅力を届けようと制作された今作品。
これからいい点や悪い点を書いていくが、とにかく「アイナの歌」を聞くための映画であることは間違いない。
そして、音楽も人によって賛否あるだろうが、とにかく僕は「アイナの唯一無二の歌声の魅力」に唸らされてしまった。

四つの時間軸・地点を移動する作劇

今作品は四つの時間と地点を舞台にしており、それらが切り替わり物語の全体像が見えてくるという作りになっている。
2023年の東京、ここが現在の視点。
2018年の帯広で描かれる高校時代。
2011年の大阪で描かれる小学生時代。
2010年の石巻で描かれる、これも小学生時代。

そんな4つの時系列で主人公キリエ(本名:小塚路花)の素性が徐々に明かされていく。
物語の冒頭でキリエの歌を聴いていた⼀条逸子(いつこ=イッコ)と邂逅。
キリエはイッコに自分は声がほとんど出ない、でも「歌だけは歌える」と告白する。
そしてイッコの家に成り行きでついていくキリエはそこで一晩を明かす。

翌朝キリエはイッコが自分の高校時代の友人である 広澤真緒里(ひろさわ まおり)と同一人物であることに気づく。
どうやら彼女は過去の名前を捨てており、イッコとして東京で暮らしていること、そしてキリエの歌を気に入り、彼女のマネージャーとしてキリエをプロデビューさせるという計画をぶち上げるのだ。

そこから四つの時系列を移動しながら、キリエの謎。
彼女の人生が見えてくるという作りになっている。

キリエは2010年は石巻にいたが、2011年にはなぜか大阪におり、そこで寺石風見と出会う。
その後、今度は2018年には北海道の帯広にいる。
そして現在の2023年東京での彼女が描かれる。

これらの理由が明かされるのだが、彼女はそれぞれの時代・場所でひとりぼっちの自分を助けてくれる存在に出会うのだ。

2011年大阪での寺石風見。
黒木華が演じる彼女は、古墳公園に1人でいる彼女の存在を知り、彼女の素性を知る人間を探す。
そして、キリエの人生において最も深く関わる男、潮見夏彦(しおみ なつひこ)、彼を演じるのは松村北斗だが、後述するが、おそらく今作で最も複雑な感情を表現している。
そして広瀬すず演じるイッコ。

そんな4人の交流を、とにかく計算され尽くした美しい構図で描いていくのが今作の特徴だろう。

複雑な心境を露わにされる夏彦という男

そんな今作で最も個人的に印象に残るのは松村北斗演じる潮見夏彦だろう。
彼は2010年の時系列から、2023年の現代までキリエと深く関わることになる。

そもそも彼はキリエ(小塚路花)の姉、希(きりえ)と交際をしていた。
ちなみに今作の主人公キリエ、彼女は路花(ルカ)という本名を捨て、姉のキリエという名前でアーティスト活動をしている。
ちなみにどちらもアイナが演じており、初主演にして彼女は一人二役という重役を背負わされている。

夏彦は2010年に希と交際。
浪人生と女子高生という間で、子供を授かることになる。
その際、希に家族を紹介され幼少時代の路花と出会う。
ちなみに希、路花のお母さんを演じていたのが大塚愛さんで、パンフレットを見るまで気づかないというサプライズもあったり。

とにかく最初、夏彦は子供を育てようとしたが、次第に自分の進路・夢、そういったものを諦められず「大阪の医学大学」に進学することを決意。
彼の中で決意が固まり、恐らく「中絶をしてほしい」と希に伝えようとしていた時に「東日本大震災」が起きてしまう。

その後、希は路花を探すために地震後の町に戻る。
「早く避難してくれ」夏彦は電話越しで希に叫ぶか、彼女は妹を探しまわり、ついに津波に巻き込まれ帰らぬ人となった。

路花は親も姉も、家族全てを失ってしまい「大阪に行く」と言っていた夏彦のことを考え、彼に助けを求めて大阪行きのトラックに紛れ込んだ。
だから彼女は大阪で寺石に見つかることになる。

その後寺石がSNSを駆使して夏彦に連絡をとり、路花と夏彦は大阪で再会をすることになる。

ここで寺石に夏彦が複雑な心境を吐露する場面が、この映画最大の見せ場ではないか?
古墳公園で路花の登っていた木の下で、消え入りそうな声を絞り出す夏彦。

「希が見つからなくてほっとしている」

彼は確かに希に生きていて欲しかった、それは本心だ。
だが、それでも自分の夢のことを考えると、彼女やその子供の存在は言い方は悪いが邪魔になる。

身勝手だとはわかっている、でも自分の夢・人生を諦められない。
そんな複雑な本音を吐露する夏彦。
ともすれば「ひどい男」という印象になりそうなこの場面も、松村北斗の複雑な心情表現の巧みさが光っていた。

彼の抱える闇、そしてそんなことを考えてしまっていた自分を許すことができない、そんな感情を見事に表現していた。

ちなみにその後、寺石と夏彦は何とか路花を助けようとするが、特に夏彦は贖罪の意味を込めて路花を育てるという決意をするが、児童相談所はそれを許さなかった。
これは制度上仕方ないことだ。
路花と血縁関係のない2人は彼女を引き取ることができないという、ある意味で法・福祉権力の残酷な一面によって、引き離されてしまう。

その後なんの因果か路花と夏彦は2018年帯広で再会し、夏彦の仲介で路花はイッコと出会い、そして路花はギターを手に入れて歌うことを覚えていくキッケカを作ることになる。

しかしここで2度目の法・福祉権力がまたも彼らを引き裂く。
里親とうまくいかない路花はイッコや夏彦と楽しい時間を過ごすが、里親はこうした人間関係に激怒、「警察に夏彦を突き出す」と言い出し、ついぞ会えなくなってしまうのだ。

この2度の法権力の介入に夏彦はやるせない表情を浮かべるシーンもまた印象深い。
弱者に寄り添うべき法権力・福祉。
しかし彼らは弱者の求めていることを無視して、あくまで自分たちの原理原則に基づき仕事として処理をしていく、ある意味で血も涙もないお役所仕事ぶりを見せていく。
しかし、実際に夏彦が路花を育てることができたのか、それは非常に難しいことだっただろうし、一方的に法権力側を批判することもできないという、非常に複雑な情勢が描かれるのだ。

路花としてキリエとして抱えたフラストレーション

さて、ここまで描かれて路花としてもキリエとしても、彼女は生きている上で何度も理不尽な目に遭っていたことが描かれ、そのため普段はほとんど声が出せない状態になったことが明らかになる。

そんな彼女は居場所もないままただ、さすらうしかなかった。
ただ、彼女には「歌」があった。
その歌詞は、彼女の心のうちに秘めた想いがこもっている。
そんな彼女が今作最後に路上フェスにて歌を歌おうとするが、警察よって止められそうになる。
これも主催者側の落ち度もあるわけだが、そんな混乱の中彼女はマイクに向かって歌を歌う。

この部分は彼女のこれまでや、法権力によって歌を歌えなくなる、でも「歌うんだ」という「ロックスピリッツ的」な構図で描かれる。
キリエは心の中にあった、世界の理不尽さに「歌」で囁かな抵抗を見せるのだ。
彼女は様々な経験で「愛してくれる人」を知った、でも理不尽にそれを奪われもした。
彼女は声がほとんど出せない、でも「歌」を使って自分の想いを絞り出していく。
この絞り出しこそ、「アイナ」という歌い手の最大の魅力でもあるわけだ。
掠れそうなハスキーボイスで必死に絞り出される声、この声に魅了された岩井監督が作り出して「キリエ」
彼の今作を作りたいという根幹の想いが、このシーンの「キリエ」に詰まっていたのではないか?

しかし看過できない作りの甘さ

ということで、ここまでは作品を褒めてきたが、しかしどう考えても「おかしいだろ」という点もあるにはあるわけで。

というのも物語の2018年と2023年でキリエと深く関わるイッコ。
彼女は帯広から東京に出てから、5年の間で「結婚詐欺師」として警察に追われているということが明らかになる。
そのため物語の中盤以降姿を消す。

イッコは祖母、母がスナックのママをしていて、そんな2人を「性を使っている」と軽蔑していた。
しかし、彼女自身が「性を使い詐欺を働く」という行為に手を染めていた。
この辺りの彼女の事情は何も明かされないまま、イッコは殺されてしまう。

イッコは作中で二つの名前を持っている(イッコ・真緒里)、そういう意味では路花・キリエと同じ立場の人間だ。
だが途中のフェードアウトで彼女の描写が少なく、感情移入しにくいキャラクターになってしまっている。

もちろん映画内で真相を全て明らかにしろとは言わないが、イッコの行動を追いかけているとあまりにも謎すぎて、キリエを利用して「一儲けしたい」ようにしか見えないのもこのキャラに感情移入できないからこそだ。

個人的に思うのは、彼女が死ぬにせよ、因果応報にせよ、彼女が一度は自分の罪に向き合うなど、そうしたシーンが必要ではないだろうか?
例えば花束を買い、その足でキリエのうたを聴くイッコ。
そこで自分はこのままではキリエのそばにいてはならない、自首をして罪を償おうと決意する。
その道中殺されてしまうなど、やりようはいくらでもあっただろう。
そしてラストを帯広の回想で締めればよかったのではないだろうか。

あと、そもそも論だが、4つの時代、4つの場所の移動。
これらは最後まで映画を見れば、それぞれの立ち位置も理解できるが、もう少し上手い方法があったのではないか?
僕はこの映画を見て「1+1=2」という答えをすごく複雑な計算式で見せられた気がしてならない。

あと、どう考えても映像美などで誤魔化されてしまっている点も多いなと、冷静に振り返れば変な点はいっぱいある映画ではある。

その最たるのがクライマックスの路上フェスだ。
もちろん作りたい構図はわかる。
キリエはこれまで理不尽に奪われ続けた人生だ。
そんな彼女の唯一の感情の爆発の歌。
これを止めようとする警察、これは今までの人生で彼女から大切な人たちを奪った法権力の象徴として現れる、それに対して抵抗をする構図を作りたい。
それはよくわかる。
さながら「ロックンロール精神」だとも言える。

しかし、その原因が「路上フェスの許可書を家に忘れる」という。
無理矢理すぎるし、何にせよ凡ミスすぎて冷めてしまう。
当然許可書がないなら路上フェスはできないわけで、これに関して警察が悪いとはならない、法権力の理不尽さとは言えない。
むしろ当たり前だろと、若干冷めてしまった。

キリエの歌が良いだけに、無理矢理そういう構図を作り出す必要は無かったのではないか?
そして、その構図の作り方があまりにも工夫がないのが惜しいと感じた点だ。

まとめ

ということで最後は若干の文句を言ってしまったが、しかし総じてクオリティの高い作品であったし、役者アイナの体当たり演技など見どころも多く、良い映画を見たという満足感は味わえた。

というか、アイナの演技・歌。
キリエのことを見ているだけで十分に1億点映画なので、先ほど僕の言った文句は重箱の隅くらいに思って欲しい。

個人的には今作は演者全てが素晴らしい。
中でも物語中盤夏彦を演じた松村北斗の演技には感服したし、彼は今作で最も複雑な心情を抱えるキャラを見事に演じていた。
おそらくこの映画で最も思い出すシーンではないだろうか。
そこから、2023年東京で路花・キリエと再会し見せた涙、複雑な心境表現はぜひ劇場で確認していただきたい。

そして黒木華、広瀬すずをはじめ豪華なキャスト陣の演技を堪能できる3時間、そしてやはり美しい構図で構成された画面を浴びるべき作品だと思うので、ぜひ劇場で鑑賞してみてください!



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