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過去の広島のリリーフ投手運用について

2015年より投手起用の権限を与えられ、広島の一軍投手コーチを務める畝龍実の運用手腕は、当初から多くのファンより懐疑的な目を向けられており、それは3連覇を果たした昨季も変わりありませんでした。

ただ、広島の投手コーチの投手運用は、それ以前に担当していた者を見ても、決して褒められたものではなかったものと記憶しています。

その運用の典型的な例として、2012年の今村猛と2014年の中田廉の運用が挙げられるように思います。

本noteでは、その両名の登板状況を詳細に探っていくことで、その運用はいかなるものであったのかを解き明かしたいと思います。

まず、確認として、2012年と2014年の投手コーチは下記の通りとなります。

2012年:投手チーフコーチ‥大野豊
    投手コーチ(ブルペン担当)‥山内泰幸
2014年:投手コーチ:山内泰幸
    投手コーチ兼分析(ブルペン担当):畝龍実

2012年は大野豊が、2014年は山内泰幸が、それぞれ投手起用に関する権限を持っていたはずです。

2012年今村猛と2014年中田廉の概要

確認が済んだところで、以下では本格的に2012今村猛と2014中田廉の登板状況について見ていこうと思います。

まず、両者の該当年の成績は表①の通りとなります。

2012年の今村は、高卒3年目ながらリリーフエースへと成長し、当時クローザーを務めていたK・ミコライオが登板不能時には、代役クローザーを務めるなど、飛躍の1年を過ごしました。

一方の2014年の中田は、ショートリリーフから2イニング3イニングの回跨ぎもいとわないユーティリティーな働きを見せ、9月まで優勝を争ったチームのリリーフ陣の中で最大の功労者と言っても差し支えの無い活躍ぶりでした。

それ以降の両投手

上記のように、該当年では大活躍を見せた両投手ですが、ここから数年、両投手は低迷期に入ってしまいます。

今村は、2013年に前年の活躍が認められ、WBC日本代表に選出されましたが、前年からの疲労や調整の難しさがあったのか、2013年は終盤にはセットアッパーを外されるなど、不本意な成績に終わってしまいます。

そして、2014年~2015年はいずれも20試合前後の登板に終わり、絶対的セットアッパーから、1軍と2軍を行き来する一介のリリーフ投手へと大きく格を落としてしまいました。

ですが、2016年にフォークが効果的な球種となったことから、再び1軍のセットアッパーとして活躍し、2017年には中崎翔太の代わりにクローザーを務めるまでになりました。

中田は、翌2015年に右肩を痛めたことから、登板機会は大きく減少し、2015年~2016年はいずれも一桁試合登板に終わるなど、成績は低迷してしまいます。

しかし、故障の癒えた2017年には、再び1軍の舞台を主戦場とし、ピンチの場面で登板を引き継ぎ、好火消しを見せるなど、リリーフ陣に欠かせない戦力としてリーグ連覇に貢献しました。

2012年今村猛と2014年中田廉の登板状況詳細

上記のように両投手は、一度成績が低迷してから、復活を果たしていますが、個人的にはブレイクを果たした2012年と2014年にもう少し管理した起用を行えていれば、成績低迷も抑えられたのではないかと思うのです。

ですので、以下では2012年の今村と2014年の中田の登板状況について詳細を見てみたいと思います。

まず表③が、2012年今村の登板状況を、登板回・登板時得点差・複数回登板数・連投数を整理したものになります。

まず登板回と登板時得点差を見ていくと、春先の5月までは、セットアッパー的に登板するケースもありましたが、6回以前の早いタイミングから投入されたり、勝敗に関係の薄い場面で投入されたりと、役割がはっきりしないまま過ごしています。

また、複数イニングをこなすこともしばしばで、4月には3イニング登板するケースも見られるなど、立ち位置としては、勝ちパターンよりも格下のユーティリティーリリーフという立ち位置でしょうか。

それが、6月以降になると、7回以前に投入されることはグッと減り、また0~3点差の接戦時への投入の割合が高まっていることから、8回以降を担うセットアッパーへと役割が変わったことが分かります。

これは、シーズン当初はクローザーを務めていたD・サファテが、不振で2軍に降格した際に、クローザーにミコライオが、セットアッパーに今村が起用されるようになったことが起因ですが、そこで今村は29試合連続無失点の球団記録を樹立し、セットアッパーの地位を不動のものとしました。

そして、チームが初のCS進出意識し始めた8月9月には、枚数の足りないリリーフ陣の実力を補うために、複数イニングを任されるケースや、4点差や1点追う状況での登板が増え、それまではなかった3連投も2か月で5度を数えるなど、酷使の度合いが明確に強まっていることが分かります。

初のCSを狙う中で、9月は打線の得点能力が著しく落ちた*ことから、負けが込んできて、これ以上失点は許されない中での、場面の限定なしで兎にも角にもということで、今村が投入されたのでしょう。

※9月は24試合でわずか41得点しか奪えず、月間6勝17敗1分で初のCS進出は夢と消えた

投手の枚数が全く揃っていなかったのも問題ですし、CS進出を最後の最後まで諦めない姿勢も大事かとは思いますが、当時高卒3年目の投手の貴重な未来を投資してまで狙うものでもなかったように思います。

野村謙二郎政権3年目で、どうしても目に見える結果が欲しかったのは分かりますが、その政権が終わってもチームは解体することなく翌年以降もずっと続いていく、ということを念頭に置いておけば防げた酷使のようにも感じてしまいます。

続いて表④が2014年中田の登板状況を、登板回・登板時得点差・複数回登板数・連投数を整理したものになります。

春先は、今村と同様にユーティリティーリリーフとして、2イニングの回跨ぎやイニング途中からの登板、また早い回からの登板も厭わず、チームの開幕ダッシュに大きく貢献しました。

5月後半から7月にかけては、それまでセットアッパーを担ってきた一岡竜司の故障や永川勝浩の不調があり、中田がセットアッパーへと昇格して、複数イニングを投げることは減り、多少は負担は減ったように見えます。

しかし、シーズンフルで投げ通した経験はなく、その疲労からか打ち込まれる場面が増えてきて、かつ中崎翔太や永川がセットアッパーを務めるようになり、8月以降は再びシーズン当初のようなユーティリティーリリーフとして、早い回からの登板や複数イニングを投げるケースが明確に増えてきています。

8月はそれでも防御率1.02と結果を残していましたが、勝負所の9月に防御率10.66で3敗を喫するなど、チーム失速の一因となってしまいました。

この年も、シーズン序盤こそ一岡・永川・中田を使い分けながら負担を減らしていましたが、故障や不調で1枚また1枚と抜けていき、枚数が不足したことで、残った中田に大きな負担がかかってしまいました。

それ以外にも、ただでさえ投手のいない中で、貴重な戦力である中田を8月以降定まらない起用で疲弊させ、勝負所で失速させたという点はチームの投手管理力の無さを如実に示しているように感じます。

まとめ

畝コーチが投手運用の実権を握る前にも、投手運用については疑問符の付く場面は多く、2012年今村猛や2014年中田廉の例を見ても、それは明らかでしょう。

確かにリリーフ陣の枚数の少なさから、一人にかかる負担が増えていくことはあるでしょうが、それでもここで見たシーズン終盤の運用はお粗末と言わざるを得ないでしょう。

2012年は大野コーチ、2014年には山内コーチが実権を握っていたはずですが、この両者は基本的に広島生え抜きで、畝コーチも広島生え抜きの人物ですから、やはり広島生え抜きの人物に投手運用を任せることは、非常に危険と言わざるを得ないのではないでしょうか。

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