見出し画像

広島の強さの源泉は「外」にあり

広島の球団のイメージというと、FAなどの資金力を要する補強は行わず、慧眼なスカウトが発掘してきた原石を圧倒的な練習量で育成し、生え抜きの選手のみで戦うというものが一般的でしょう。

確かに、1970年代中盤から1990年代中盤までは、山本浩二や衣笠祥雄を筆頭に生え抜きの強力な選手たちが揃い、リーグ優勝6回日本一3回と黄金期を築きましたし、直近のリーグ3連覇も田中広輔・菊池涼介・丸佳浩・鈴木誠也といった生え抜きの選手が中心となっていたことは疑いようもない事実です。

しかし、その栄光が全て広島の「内」から創出されたものでなし得たものかと言うと、そうであるとは思えません。

むしろ、主力選手こそ生え抜きで構成されていますが、「内」のみならず「外」からの刺激やエッセンスを上手に取り入れることで黄金期を実現しえたことは間違いありません。

例えば、1975年に広島が初優勝を遂げた際には、NPB初の外国人監督であるジョー・ルーツが監督に就任し、何件ものトレードを実行し負け犬根性の払拭に動きましたし、直近では新井貴浩と黒田博樹という元広島の中心選手で「外」のチームを長年経験してきた選手を迎え入れ、その後の優勝に繋げています。

といった事実から、「外」からもたらされるものが黄金期の形成に繋がっていることが何となく窺えますが、以下ではその点を詳細に掘り下げていき、広島の黄金期形成において「内」と「外」とがどのような融合を果たしたのかを解き明かしていこうと思います。

1.検証手法

広島の黄金期形成における「外」の働きを明らかにしていく前に、どのようにしてそれを解き明かしていくのか、その手法について最初に定めておこうと思います。

①首脳陣の変遷

まず、選手運用や戦術面を司り、現場指揮官の役割を担う首脳陣において、どのような人材の変遷があったのかを過去より振り返っていきます。

堂々巡りの様相の強い戦術や運用において、自分たちの伝統を重視する保守性は仇となる場合が多いですし、この部分で柔軟に「外」から「内」とは異なる考えを取り入れられることが、より勝利を導くことに繋がるのではと考えられます。

ですので、首脳陣に他球団の考えを知る者がいることで「外」からの考えを取り入れられるため、「外」を経験している者がどれだけ首脳陣の中に入っているかは、どうしても閉鎖的になりやすい広島という球団において重要な指標となり得るでしょう。

②選手移籍の変遷

続いて、トレードやFA等による選手の移籍について、過去からどのような変遷を辿ったのかを確認していきます。

首脳陣に限らず、他球団で勝利を知る選手が加入することも、負の歴史が長かった広島においては重要な要素だと考えられます。

加えて、上述のように閉鎖的な環境に陥りやすい広島という球団において、他球団を経験した選手の持つ客観的な視点がチームにとっては重要でしょうから、選手移籍も同様に重要な指標となるでしょう。

以上の2点より、「外」の働きはいかなるものであったのかを解き明かしていきます。

2.首脳陣の変遷

画像1

ドラフト制度導入後の1966年から、広島一軍首脳陣がどのような変遷を辿ったのかを一覧にまとめたものになります。

個人的には想像以上に他球団に所属経験のある監督/コーチが多いという印象ですが、それを期間ごとに区切って確認していきます。

画像2

【萌芽期】

黄金期の前段階では、まだ球団創設から時もたっていないこともあってか、多くの他球団所属経験者や広島への所属経験のない監督やコーチが在籍していたことが分かります。

ここで広島への所属経験のなかった、根本陸夫・関根潤三・広岡達郎・小森光生らの指導が、当時若手であった山本浩二や衣笠祥雄が後に活躍する土台を作ったという点では、「外」から入ってきた指導がこの後の黄金期への橋渡しとなったと言えましょう。

【黄金期①】

6度の優勝を飾った第一次黄金期において長らく監督を務めたのは、古葉竹識であり阿南準郎という他球団でプレー経験とコーチ経験のある人物であることは特筆すべき点でしょう。

また、コーチにも他球団経験者が多く、この期間の首脳陣の実に65.6%が他球団経験者である点も、「内」に凝り固まらずに「外」から見た視点を持っていたことに繋がり、球団創設からの伝統と「外」からの要素の融合が生じたことが、多少なりとも強さに繋がっていたのではないでしょうか。

【低迷期】

その後長い低迷期に入りますが、この期間には他球団経験のある監督/コーチの割合が46.7%と黄金期より減少しており、黄金期を支えた生え抜きのメンバーが首脳陣となりチームを指揮しています。

当然黄金期の後には、黄金期を支えたメンバーがそのまま監督やコーチに就任するわけで、生え抜きが多いとどうしてもその時の成功体験に依拠してしまいがちです。

それが時代にそぐわないものであったなら、勝てなくなるのも当然ですし、そのような時こそ「外」からの視点が必要となるのでしょうが、広島への所属経験のない監督やコーチは僅か3名と、この低迷期には「外」からの視点が付与されることが少なかったことが分かります。

その他にも要因は沢山あるのは間違いありませんが、このように「外」からの視点に欠けていたことも低迷の一因であることは間違いないでしょう。

【黄金期②】

リーグ3連覇の栄華を飾ったこの期間、他球団経験監督/コーチの割合は低迷期と変化なく、広島所属経験の無い監督/コーチも新井宏昌のみですが、低迷期と打って変わって勝利を積み重ねることとなりました。

なぜこのような事象が生じたのか考えてみると、黄金期に直接携わった人物がほとんどおらず、石井琢朗や河田雄祐といった他球団での経験が豊富なコーチたちの意見が通りやすいような状況となっていたことが何となく推測されます。

これにより、「外」から新たな視点が吹き込まれたことが、あの強力打線の形成に繋がり、黄金期再来となったのでしょう。

以上より、「外」からの視点が吹き込まれやすい状況にあると、チームも上向きとなることが何となく分かります。

また、長い黄金期を築くには外の視点が必要なことが分かりますし、黄金期の保守的な視点のみに走れば、凝り固まった視点となり、時代の変化について行けず簡単に黄金期は瓦解してしまうことも分かるでしょう。

いくら「内」を大事にする球団であっても、一定の割合は「外」からの視点をもたらせる人物をベンチに置くべきではないでしょうか。

3.移籍選手の変遷

画像3

こちらもドラフト制導入以降の移籍加入選手を、年ごとにまとめたものになります。

意外ながら、毎年のように他球団から移籍選手がいることが分かりますが、ここで注目すべきなのは実績を持った大物選手の移籍加入です。

今回は移籍前時点でベストナイン等のタイトル獲得経験者、もしくは打者なら1000本安打達成者、投手なら80勝or400試合登板達成者を大物選手と条件付けしました。

画像4

【萌芽期】

この大物選手の移籍加入を期間を区切って追いかけていくと、初優勝を遂げる1975年以前の萌芽期では9年で3名が移籍加入しています。

打撃三冠いずれも獲得経験のある強打者・山内一弘の移籍や、移籍後もベストナインを獲得することとなる国貞泰汎の移籍がありましたが、あまり多いとは言えない人数です。

ただ山内の加入は、当時若手であった山本浩二や衣笠祥雄らの生きた教材となり、弱小チームだったチームにプラスの効果をもたらしました。

【黄金期①】

その後、6度の優勝に輝く黄金期に入ると、大物選手の移籍加入が明らかに増加し、17年で15名が移籍加入しています。

初優勝時に1番打者としてチームを牽引した大下剛史や、リリーフエースとして初の日本一に導いた江夏豊など多士済々な顔ぶれです。

中には、その江夏や水谷実雄、高橋慶彦など当時の主力選手を放出して獲得した高橋直樹・加藤英司・高沢秀昭等の大物選手もおり、これにはチーム内の政治的な理由もあるでしょうが、積極的に「外」から大物選手を獲得することで、チームをマンネリ化させない効果があったことは間違いないでしょう。

そこで獲得した大物選手が思ったように活躍出来なかったのは、少々誤算だったでしょうが‥。

【低迷期】

1991年に6度目の優勝を果たして以降、長いトンネルに入りますが、15年連続でBクラスとなった2012年までの21年では11名の大物選手が移籍加入しています。

ただ、その内実は黄金期に獲得したレベルの輝かしい実績を持つような選手は少なく、とっくに働き盛りを大幅に超えた引退を控えたような選手だらけでした。

それではやはりチームにとって刺激が足りないですし、時代に置いて行かれた黄金期の視点から抜け出せなかったのには、ここでチームに変革を促すような「外」からの視点を得られなかったことも大きいのでしょう。

当時はチームを補強する資金が足りなかったため、この時期にスタートしたFA制度に上手く対応できなかったことが、大物選手の移籍加入減少の要因なのだと推測されます。

【黄金期②】

2013年に久々にAクラス入りを果たすと、そこから着実にステップを踏み、2016年に25年ぶりのリーグ優勝を果たすこととなりますが、この第二次黄金期の7年では4名の大物選手の移籍加入がありました。

中でも大きいのが、かつてのエースであり4番である黒田博樹と新井貴浩の加入でしょう。

菊池涼介や丸佳浩など有望な若手は多く存在したものの、柱となる存在が不在であったところにチームに帰還したのがこの両名であり、文字通りラストピースとなって勝てる集団へと変貌させました。

例えば、黒田は野村祐輔・九里亜蓮・福井優也らにアドバイスを送ることで、それぞれの覚醒を促しましたし、その練習や試合に対するストイックな姿勢は多くの選手に影響を及ぼしたのは想像に難くありません。

また、かつての広島を知った存在であったからこそ、広島が元々持つ良さを理解した上で、7年間「外」から得たエッセンスを注入できたと推測されます。

以上より、大物選手の移籍加入とチームの黄金期がマッチしており、大物選手の移籍加入が重要であることが分かります。

外から大物選手が移籍してくることで、それがチームへの刺激にもなりますし、若手選手の見本や教材となることで、有望選手の成長を促すことにも繋がっていきます。

加えて、客観的な視点から一度チームを見ていることが、よりチームを最先端でかつ勝てる集団へと導いていくのではないでしょうか。

ですので今後もチームを強く保つには、黒田や新井のような移籍した大物が復帰する例が起きるのは中々考えづらいですし、やはりFAやトレードを駆使し定期的に大物を獲得する必要があると考えます。

幸い観客動員増やグッズの売れ行きが好調なことから、長期の大型契約は難しいでしょうが、契約期間が短期で済む契約にそれなりに金銭を積むことは可能なレベルの財政状況にはあると見て取れるように思いますし、近年の好調な経営で得た資金はこの辺りにも投資すべきでしょう。

4.まとめ

首脳陣の変遷と移籍選手の変遷から、内向きの要素の強い広島という球団における「外」の働きを明らかにしていきましたが、共通解として挙げられるのは「チームとしてマンネリ化を避けるために、外から広島を見た経験のある人物を一定割合採用すべきで、それが大物であるとなお効果がある」といったところでしょうか。

一つの球団一筋だと、そこのやり方が正解だと考えてしまいますし、多様性が生まれません。

ですので、どの球団にも言えますが、やはり「外」の視点を持つ人物は非常に重要ですし、常にそのようなサイクルを繰り返す巨人が強くあり続けていることも、決して偶然ではないのです。

今季で連覇が途切れ、新たな一歩を踏み出すこととなる広島に、このような視点がもたらされることを祈念して、本稿の締めとさせて頂きます。

※データ参照 週刊ベースボール 日本プロ野球 トレード・移籍大全(http://btrade.stars.ne.jp/)

#野球 #プロ野球 #広島 #カープ #首脳陣 #移籍

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?