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疑問から取材へ

イタリアの大学やアパートに直談判して夢のイタリア留学が実現した。

日本を出てからクリスマスの時期にローマに1週間ほど滞在。2023年のハッピーニューイヤーを迎えて、ペルージャへと出発。お正月というイレギュラーもあってか、とにかく移動が大変。そんな毎日刺激のあったイタリア留学については後に書くとして。留学先のペルージャに着いてから、1人日本人の教授がいて留学中はとてもお世話になった。イタリア語も英語もままならない僕は初日からてんやわんや。とにかく教授の顔を見て落ち着きたいが一心で留学序盤は TAくらいの頻度で会っていた。というより会ってもらっていた。そんな教授と色んなお話をしている時に、僕の出身地である新潟とイタリアは何かと交流があることを教えてもらった。確かに、住んでいた頃は個人経営のイタリア料理店が多かった気がする。地元新聞の各自治体のお店情報ではなにかと「イタリア料理はじめました」の情報を目にしてたし。そして、新潟市では日本で初めてミートソースが提供され、イタリア文化が根付くイタリア軒がある。話がズレるかも分からないが、B級グルメで新潟のソウルフードとして知られる「みかづき」というお店が出す''イタリアン''。僕の舌にとってはお馴染みの味だが、県外の人にとってはどこかポカンとするお味?

まあ、とにかく新潟で''イタリア''を目にしていたのはたしか。帰国後、気になって少し調べて見た。すると「新潟イタリア協会」というところを発見。大阪のイタリア領事館やイタリア文化会館に何度かお世話になっていた僕はここならなにか聞けるとまずは電話してみた。

電話するや否や、壁にぶつかる。まずは名を名乗って、単刀直入に「新潟とイタリアの文化交流についての歴史や現状についてお話を伺いたいです。」と伝えた。すると、担当者は少し戸惑った声でこう言った。「うちは領事館や文化会館のように1つの企業として成り立っているのではなく、イタリアの文化を新潟で少しでも知ってもらいたい・なにかイタリアと新潟の架け橋となりたい。そんな思いで色んな人達が会員として成り立っているところです。なので、あまりそういった歴史のお話というのはあまり出来ないんです。すみません。」

僕は取材できないのかーと残念がるより、無償でそのような協会をみんなで成り立たせてるの?て疑問が湧いた。そこをメインとして働きの場とせず、どこかボランティアの一環のような組織に心惹かれた。

その思いを伝えてみたところ、ちょうどこれから協会の副会長の人と会うから面白い学生がいることを紹介してみるねと言ってもらえた。

1時間ほどたって連絡が来た。副会長からだ。新潟イタリア協会の会長はイタリア人であることから日本語できちんと説明してもらえる人としては1番信頼を得られている人物であった。開口一番ハキハキとした口調で挨拶をしてもらい、まずは僕のことについて色々聞かれた。サッカーをきっかけにイタリアを好きになり、そこから大学の授業でイタリア語を学んでいたがマイナーな言語ということで満足しきれなかった思いや、留学できるものなら現地に行ってみたい。イタリア語を学ぶことで人や文化を知る楽しさを現地で味わいたい。そんな思いで直談判して個人留学をしました、、(本当はこれでも色々端折っているが)。そんなようにお話をさせてもらうとやはり少し変わり者の学生が来たと面白がってもらえた。すこし興味を持ってもらえたのかな。そこから次は僕のパターン!とばかりに、質問や疑問を色々させてもらった。お話を伺っていると、新潟でイタリア車を取り扱う会社やイタリアの料理・雑貨、あるいはイタリアを感じて貰えるイベントを主催しているCasamiaの代表取締役、長谷川さんであることがわかった。長谷川さんの視点から新潟イタリア協会でのお仕事や目的を会話形式で色々お話させてもらった(一応信頼のようなものを得て、僕に教えてもらったことのため詳細は控えるが)。

お互いに面白い人と出会えたようなお話になり、長谷川さんのお時間もあって急遽1時間ほどであったが貴重なお話ができた。僕は電話当時東京におり、次の日神戸に帰る予定であったがホットなタイミングでお会いしたいと思い、翌朝新潟まで車を走らせた。

お話のあった車会社に翌日出向いて、長谷川さんとお会いした。僕はもっとお話を聞きたい!是非とも直接会いたい!そんな自分の思いが先行して突然のような形で来てしまった。迷惑にもあたりかねない行為ではあったが、長谷川さんは逆にバイタリティのある青年だと褒めてくれた。本当にありがたかった。イタリアにまつわる色んなお話をさせてもらった。中でもお店の売りであるイタリアワインコーナーでワインの話に花を咲かせた。イタリアに行って昼から夜までワインを飲んでいたほど好きになった僕としてはよりワインを知る良い機会に。

その後は、お店の人を紹介してもらいながらそこで働く人たちのイタリアに対する思いを聞け、大変盛りあがった。長谷川さんは僕が就活生という歳を気にしてか、僕の悩みから自身の経験を細かく説明してくれ、僕の将来に色んな選択肢のヒントを与えてくれた。この時も、突然出向いたにもかかわらずお時間許す限りお話してくださった。自分としては新潟でイタリアコミュニティが作れた気がした。

最初は自分の小さな疑問のために電話させてもらったことが、色んな出会いを運んでくれた。

ただ、この経験で学んだこともいくつかある。まずは働いている時間帯の相手にとってメリットとならない取材は基本的に難しいと捉えるべきだと。僕はどこかの広報でもないし、その取材資料をどこかで使おうと思っていた訳でもない。ただの学生だ。社会の肩書きとして何もない学生が取材をすることが大変であることを思い知った。だが、これを埋めるには自分の思いがどこまであるのかによって埋めれることも発見できた。

そして、無意識であったがお会いするという行為はとても相手にとって気持ちを動かせる行為であることを再確認できた。自分としては直接会う方が話が弾むし、話が早いと思っている節があるため無意識であったが直接出向いてくれることは対応できるかどうか別としてお話をしたい!させてください!という思いが伝わる行為だったと思う。

この件のずっと前から僕の頭の中には疑問が多く、それを自分で考える時間が多かった。ただ、その疑問に対してみんなはどんなことを思うのだろう?どんな考えをしているのだろう?と物心ついてから家族や友達はもちろん、その辺の知らん人にも突然声をかけさせてもらい聞くことは多々あった。人の声、人の考えというのは自分の何かを動かす「きっかけ」になるし、僕の「選択肢」の1つとしてヒントをくれる。どこか取材もどきな行為が僕にとって刺激をくれる行為であり、僕を支えてくれている。僕はこれを職業にしてみたい。そう思っている。

この取材をきっかけに自分の将来の目的として、「この世の中の人に『きっかけ』と『選択肢』を与え、より豊かな暮らしの貢献をしていきたい」と考えている。

僕がこれまでしてもらってきたこと、自分から求めていたこと、恩返しの意味でも僕のような人のために動きたい。その目的に向かって着々と頑張っていきます。

写真はペルージャ生活での一コマ。ペルージャ名物ポルケッタ。その中でも僕が特に好んでいたアッシサーノという種類。真冬の極寒ながら、この時もビッラモレッティ片手に友達と外で談笑しながら食べてました。ペルージャに来たらぜひ!

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