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面白いエッセイを書けるほど変わった出来事なんて起きていない

エッセイ本を読むのが好きだ。最近は燃え殻さんの『すべて忘れてしまうから』を読んだ。

エッセイ本は小説とはまた違って、その人の考えや生活や過去の出来事とか、それぞれ書き手独自の世界観あって面白い。そんな面白いエッセイ本を読んでいると「なんでみんなこんなに面白い人生歩んでいるんだろう」といつも思う。

僕はブログをそれなりに書いてきたけど、大抵書くことといえば頭の中の考えを吐き出すだけみたいな内容で、過去や最近あったエピソードを交えた記事なんて書けていない。面白いエッセイを書く人って、その人の過去の出来事を元に書いてある文章が多い。

こんな面白いエッセイを書けるほどの人生なんて、さぞ今の自分とは比べ物にならないほど変化のある生活を送っているのだろう。僕は一年を振り返ってみても、エッセイに出来るほどの出来事なんて起きていないし、毎日書いている日記もほとんど同じような出来事ばかり書いてある。

せっかくこうしてネットの海に自分の文章を書き捨てているのだから、出来れば多くの人に読んでもらいたいという下心があるんだけど、そんな面白いエッセイを書いてみたいと思っても、残念ながら僕は面白いエッセイを書けるほど変わった出来事なんて日々起きていない。

この人たちが書いていることはほとんどがフィクションなのではないだろうか。これはエッセイ風に書いているフィクションで、もはやこれはある種の小説なのではないだろうか。とあまりに自分とは違っていろんなことが起きているので、そんなバカな考えを持ってしまう。

単純に自分が日々の出来事からエッセイに出来るほどのエピソードを拾い上げるのが苦手なのもあるのかもしれない。確かに僕は普段起きた面白いエピソードとか、人に話すの苦手だし。面白いエッセイを書く人が仮に今の自分と全く同じ生活をしたとして、変わらない質のエッセイが書けるのだろうか。もしかすると書けるのかもしれない。

面白いエッセイを書く人と自分との違いは文章力か、日常から拾い上げる力か、やはり行動力や人脈か。すべて当てはまりそうな気がして虚しくもなるが、日常から拾い上げる力がもう少しあれば幾分違うのかもしれない。今はそんな拾い上げる目が欲しい。

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