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一人の「もの書き」として忘れてはいけない、たったひとつのこと

ライター・イラストレーター兼二児の母を努めております「ゆうまさ」と申します。note投稿のスタートとして、私自身のことをお伝えする第3回。今回は私の仕事である「ライター」という仕事について、記事を書きながら日々思うことや私の目指すライター像をお伝えしていきます。

物書き=自己表現できる仕事と思っていたあの頃

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私はまったくの未経験からライターになりました。今から約5年前の話だ。

当時、前職の社長が失踪し、職を変えることを余儀なくされた私。当時はまだ恋人同士だった主人もともに失職し、「どうしよう」「なんとかしなくては……」と毎日就職活動に駆け回る日々だった。

そんななかで見つけたのが、未経験からスタートできるライター職の募集。まだ社員も数人しかいない、起業間もないベンチャー企業の求人だった。

昔から文章や絵などで「表現する」ということが好きだった私は、そんな求人に「これだ!」と飛びつき、内定の知らせに歓喜。ライターという仕事がどんなものなのか、まったく知らずに物書きになった。

今思えば、「ライター=才能を活かし、自己表現をすることでお給料がもらえるお仕事」と甘く見ていた、そんなかけだし時代だった。

世に向けて文章を発信することのやりがいと恐れ

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記事の執筆経験はおろか、ろくに自身のブログすら更新していなかった当時の私。ゼロからはじめたライターの仕事は、学びと発見の連続だった。

KGI、CV、PV……よくわからない横文字が列挙される会話に頭をグルグルさせ、ただひたすらに資料を読み漁ってはSEO記事を書きまくる日々。世の中に向けて情報を発信することに、やりがいを感じつつ、どこかで「これでいいのだろうか」「自分のやり方ははたして正しいのだろうか」そんな一種の「恐れ」のようなものを感じながら、仕事に取り組んでいた。

ライターの仕事には明快な「正解」がない。目標に対するアプローチの仕方は、ライター一人ひとり異なるし、成果も必ずしも短期間で目に見えるカタチになるとはかぎらない。

だからこそ私は、「一人のライターとして大切にすべきことはなにか」が明確にできずにいたのだ。

ちょっと気になる読者さん

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私はライターの仕事と並行して、SNSの運用も行っていた。当時はまだ規模もそこまで大きくなかったため、フェイスブックのコメントや、LINE@の個別メッセージに、一つひとつ返信を行っていた。

「いつも記事を読んでいます」「ためになる記事で参考になりました!」そんな読者の方のあたたかいメッセージに、どれだけ私が励まされ、「この仕事を選んでよかった」と思ったことか……はかり知れない。

しかし、そんななかで、ちょっと気になる読者さんがいたのだ。

その読者さんは、記事を読んだ感想をいつも送ってくれる常連さんで、ふっと消えてしまいそうな、精神的な不安定さを抱えていた。

職場の人間関係への対処法を紹介したある記事を公開したあと、その読者さんからメッセージが届いた。「その方法が正しいことはわかっています。でもうまくいかない……こんな私はダメなのでしょうか」と。

……ハッとしました。

記事を読むのは「人」であるということ

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ライターの仕事、とかくSEOの記事に関しては、正しい情報を伝えるということがとても重要なポイントになる。インターネット上に情報があふれるようになった今、その情報のエビデンスはなにかを明記し、中立的な立場から正しく情報を発信することは、記事の良し悪しを判断し、検索上位に表示させるコンテンツを決める検索エンジンにも非常に重視されている。

だからこそ、私もそれを意識し、正しく中立的な記事を執筆してきたつもりだった。

しかし、その読者さんのひとことで気づいたのだ。

「私は検索エンジンのために記事を書いているのではない。読み手となる、血の通った人間のために、文章を書いているのだ」と。

気になる読者さんに、丁寧に返信をしながら、私は「どうしてこの読者さんを不安な気持ちにさせてしまったのか」を考えた。

情報のエビデンスが不足していたのか?一方的な意見を押し付けるような表現をしたか?なにか不安をあおるような見出しを付けたか」……?

どれも当てはまらなかった。しかし、ひとつだけ思い当たるふしがあったのだ。それは、「いろいろな立場の読者がいる」ということを私が意識せずに記事を書いていたということ。

私には、「人の多様性に目を向ける」という視点が抜けていたために、少しの配慮ができなかったのだ。

ライターとして大切にしたいたったひとつのこと

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当たりまえのことではあるが、この世の中には、いろいろな人間がいる。ある映像を見て「ステキ!」と思う人もいれば不快に思う人もいる。過去のトラウマを思い出して悲しい気持ちになったり、思わず目を背ける人だっているかもしれない。

ライターの仕事は、そんな多様な人に向けて情報を発信すること。だからこそ「読み手がどんな気持ちで記事を読むのか」ということを、常に意識しなくてはならないと、私は思う。

すべての人に不快感や疑問を与えないような記事は、私にはまだ到底書けない。もしかしたら、どんな有能なライターにも「すべての人を満足させる」記事なんて、書けないのかもしれない。

しかし、さまざまな立場の人がいるということを意識して記事を書くことで、できるだけ多くの人がポジティブな気持ちで記事を読むことができるはず……そう感じた。

多くの人に支持される理想的な正答を羅列するのではなく、「でも、こういう考え方もあるよね」と多様性を認める。一部の立場の人を不快にさせる可能性のある表現をせざるを得ない場合には、注釈をつけるなどの工夫をする。常に幅広い読者を意識して記事を執筆する。

そうすることで、読み手が人であることを忘れないライターになりたい。

それが、一人の物書きとして、私が目指していきたい理想像となった。

私が書きたい記事とはどのようなものなのか

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『北風と太陽』という童話をご存じだろうか。旅人のコートを脱がせようと、北風は突風を吹きかけ、太陽は暖かく旅人を照らす。結果むりやりコートをはぎ取ろうとした北風は惨敗し、太陽はコートを脱ぐという行動に、自然と旅人を誘導して勝利するという話である。

私が目指すライター像は、この太陽に似ている。

たとえば、世の中には不安をあおって読者を獲得するような記事があふれている。ショッキングなタイトル、思わず自分の日々の行動に不安を覚えさせるような書き出し……読者のネガティブな感情に働きかけて、思わず次を読まずにいられない気持ちにさせるような記事の数々……。

もちろん、それもひとつのライターの手腕だろう。雑誌の売り上げやWebコンテンツの読者獲得という目標を果たすためには有効な手段であり、その技法を使って読者の心をつかむ記事を書けるということは、ライターのひとつの手腕でもある。

しかし、私は人の不安をあおるのではなく、前向きになりたいという人の願いや望みに寄り添うような記事を書きたい。

不安だから記事を読んで自分をその情報に合わせるというネガティブな行動ではなく、今の状況を打破したいから記事を読み、そこからヒントを得るというポジティブな行動を促したい。

『北風と太陽』に出てくる太陽のような、人の心をあたためて行動を促す記事を書きたい。日々、そんなことを思いながら記事を書いている。

執筆後記

読み手は人であるということを常に意識すること。つまり、文章を打つ画面の向こうに、感情を持った誰かがいることを忘れずにいること。

私がライターとして大切にしたいことは、シンプルながらこれだけだ。

紙媒体に代わり、Webメディアが主流となりつつある今、「ライター」という職業のハードルは下がり、私のようにまったくの未経験からライターになる人も増えた。門戸が広くなり、さまざまなチャンスが広がることはとてもよいことだ。

いっぽうで、個人の意見を「これ以外は間違い」とばかり主張するブログの延長のような記事や、著作権侵害などコンプライアンスに反するコピー記事、方向性の定まらないまとめ記事なども、残念ながら一部ある。

だからこそ、そのなかでシンプルながら「読み手が人であることを意識する」という軸を持ち、自分が書くべき記事がどのようなものかを考える。書いてはいけない記事を判断する……。

そうすることで、常に「私の仕事はライターです」と自信を持って言える自分でありたいなと思っている。

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