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子どもも先生も100%幸せになれる学校

エドカフェ No.19 みんなで対話を楽しもう!with大学生
一徳さん、泰子さんもいっしょ!(*'▽'*)

〜茨城大・島根大・熊本大からフレッシュな大学生5人が参加〜

「私は車椅子ユーザーです。」と話すユメさんの話に皆釘付け!

支援学級在籍中、支援学級がある意味をずっと考えていました。世界的なメインストリームはインクルーシブ教育へと何年も前から舵を切っているのに、日本では分離というか支援学級にまだ在籍していたり、支援学校の数も年々増え続けているので、そこが長年の疑問です。

「日本の学校はインクルーシブ教育をやる気があるのか?」とユメさん。

「あるで〜やる気!」と泰子さん。
でも・・ユメさんが言う通りやねん!やってる結果(子どもたちの事実)を見ようとせず、やってる自分を見て「やってますよ」って・・・「これだけやってるのに文句言われる。」「これだけやってるのに校長の評価悪い。」「これだけやってるのに子どもなんでついてけえへん?」ってこれ大間違い。私らいいと思ってやったけど、目の前の子どもの事実は?

「障害者は健常者に迷惑かけないで自律するように学校で学びなさい」って言われたら、「え?」って・・・
生まれた時の自分に障害がある。それがどうかしましたか?本人はなんにも困ってへん。でも自分の思う様に行動しようとするとき、自分の中で困ってるんやなくて自分のまわりにある障壁に困ってるだけ。じゃあ別室で力をつけたらインクルーシブですか?LGBT、貧困、外国籍・・・みんないっしょ。例えばピアスが大事な国(母の愛の象徴としてお守りにしてるなど)の子。日本の校則ではいけないから取れと言われる。インクルーシブってその子を変えるんじゃなくて、その子が困らなくなるためにできることは何か考えること。この営みができてなくてインクルーシブ教育ができる?

不登校になったらどうしよう?!

一徳さんの娘さんの不登校体験談

近所の人に「きょう学校は?」と言われる度にどんどん元気なくし友達との関係も崩れていった。あるとき意を決して(勤務先の)大学へ連れ出した。慣れてきたら朝教育学部に放ったらかし、帰りにピックアップして帰る。あっという間にいろんな学生と遊んだり勉強したりし始め、気づいたらキャンパス中知り合いだらけに。どんどん生き生きしてきた。

学校行けないことで自分を責める。自分はわがままなのか?でもいろんな場に行くことで自分が受け入れられているという感覚になれる。
私の場合まわりに支えてくれる専門家がたくさんいて心配なかったけど、そもそも親が学校へ行かないことを絶対許さない家や、どうしたらいいかわからず困っている親子もいっぱいいる。不登校になれることも、ある種の特権、すごくハードルが高いこととも思える。

「不登校の子が出たらどうしよう?」という声に泰子さんの喝!

これ大間違い。子どもがみんな自分の学級に毎日来てくれることがあたりまえと思っている先生の前では、子どもって気を遣う。どれだけ先生が子どもに寄り添おうと行きたくない。行けない。行かない。ってなんで言うか?

大空小には9年間で50人を超える、バリバリの不登校とレッテルを貼られた子たちが、全国から引っ越して転校してきた。学校に行けなくなる。親子の関係も悪くなる。「自分がこの子を産んだからこれだけこの子は苦しむ」と自分の子の首をしめようとした母ちゃんも。いろいろ調べて大空行ったら行けるようになるんじゃ?と・・・。でもそれは錯覚。大空小は、そんな餌も飴もムチも何もないパブリックの学校。
でも、そんなリスクを背負った子が毎日学校へ来るようになる。なんでと思う?そんなの答えない。50人いたら50通りの理由ある。その50通りの理由をその子どもたちのまわりの子どもや、まわりの大人たちが、みんなその子から教えてもらう。「そうなんか〜」って学校の空気が変わっていく。

「どうした?」「なんかやなことあるの?」「いじめられるの?」「勉強わからんの?」「困ったことあるの?」「先生おるから大丈夫」って言われる子の身になってみ。こうやって聞いてくれてるけど、「原因はすべてあなたの中にありますよ」って言われている様に思えへんか?先生がこんなに熱心にやってくれてるのにその期待に応えられない自分はダメな子かなって。
困ってないまわりの子が困ってる子のために何ができるか?どうしたら安心してこれるか?まわりの空気変えたら何かのきっかけで来たとき「あ〜わたしここにいていいのかな?」って勝手に感じていく。

レッテルの裏にいるのはひとりの子

<不登校>も<障害児>もレッテル。そんな呼び方はその子に失礼。
ユメさんがたまたま車椅子を使って生活している。ただそれだけやん?

大空小に障害児と言われる子がたくさん引っ越して転校してきた。ある子が言った。「校長、こいつは健常児。おれは障害児。健常児は障害児に譲るのがあたりまえやろ?こいつに教えてやって!」って。「あんた障害児なの?なんで?障害ってなに?」と聞くと「◯◯病院の◯◯先生が発達障害って言った。じゃ先生、障害ってなんなん?先生はどう思ってんの?」って。「私にはわからん」と言うと「わからんくせによう校長なんやってんな。お前は首や!」言われた。(笑)確かにそやな。

こういうことって表に出してくれるから、毎日トラブルになって私たちは学べる。

先生がものすごい力もってたら、同調圧力になって、子どもたちは圧力に屈して、自分の言葉なくして、先生の言葉に「はい」って答えていく。そんな同調圧力の中で、生きていけない、空気が吸えない子が学校行けない。そんな子がいっぱいいる。

「この子はアスペルガーの子。アスペルガーの子にはこうすれば落ち着いて勉強しますよ。」とか、
「ダウン症の子は音楽好きだから音楽かけて踊らせといてやり」みたいな・・・どれだけ失礼か?

確証バイヤスを打破するには爆弾の方との対話だね!

教員養成大学でも「不登校の子にはどうするか?」「先生としてどうあるべきか?」<レッテル><仮面>ありきのことをやっちゃってる。こうであるべきをどう捨てられるか?目の前の子はみんな違う。
違う観点からの対話が起こりにくく、確証バイヤスを補強していってしまいがちな大学現場。これを打破するには、爆弾の方との対話が必要。まさにこのエドカフェのような。爆破されれば考えが更新されていく。もっといろんな人の話、いろんな考えを聞くのが大事。と一徳さん。

1番学ぶべきは目の前の子どもから。と泰子さん。
目の前の子どもから学べるようになれば先生の仕事はめっちゃ楽しい。

これから先生になる。仮面をかぶる準備をしている。違う。
かまえなくていい。ありのままでいい。

泰子さんを変えたのは?

若い頃、いい先生になろうと思って、「私に出会った子は絶対面倒見るよ」「この教室からは絶対不登校は出さない」「いじめも出さない」そんな勢いでやってきた。そんな学級をつくってきたと自己満足してた。
後になって子どもの本音を聞けてなかったことにいっぱい気づいた。

大空小で大きく自分を変えることができた。「校長、言ってることおかしいわ!首や!」って言ってもらえるってどんだけありがたいことか?「家でもどこでも言えない自分の言葉をぶつけてくれてるんやな」って思った。「ええ仕事させてもらえてる」って幸せを感じた。

先生って「この子を変えてやろう」と思うねん。それが大きなまちがえ。
自分以外の人間はみんな他者。自分とは違うそれぞれの命をもった人を変えることなんて所詮できっこない。困ってる子が困らない様になるには、この子を変える前にこの子の前の自分を変える。それにチャレンジ!
先生って商売してたら「くそばばあ」って言われたら「そんなことば使っちゃいけません!」って教えたくなるけど、「くそばああって、この子やっと言えたな。でもずっとくそばばあはいや。ばばあは認めるけどくそはいややわ。」って言える自分に変われた。

子どもが育ったらええねん。先生育たんでもええねん。
先生どんどん育って教師力アップしました。って、子ども学校来ない。いじめてる。って、そんなの意味ないやろ。

これからの先生に必要な力は人の力を活用する力、それしかないって!
「一人で何かできる」とか「一人でいい先生になろう」とか、子ども側迷惑。
「できませんでした。」「すみません。」て言うと「そんなんじゃ教師やってけない」とか・・・ベテランが大昔の教育引っ提げて、よからぬアドバイスする教育現場があたりまえ。そう思えばいい。そのあたりまえの中で自分は子どもとどんな幸せな時間作っていくか?って。

「子どもから学ぶ」っていうのは、子どもも先生も究極的に100パーセント幸せになれる道やから。

わたしが山ほど失敗してやり直しをして自分の中で大切にしてることば。


真のインクルーシブ教育やろう!

「ユメちゃん、インクルーシブ教育いっしょにやっていこうね!」
「あ〜ありがとうございます!うれしい〜」
(パアッと笑顔になるユメちゃん)
「”真の”って嫌味でつけていこう」😎
ユメちゃんの言葉、私たち自分にないものから学べる。先生が熱心な無理解者になってしまわないように。



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