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『特別』になるのが怖かった私へ(11/12)


4月〜6月に、はちみつコミックエッセイ主催の
コミックエッセイ描き方講座を受講していました。


そこでの最終課題として描いた作品を
少しずつ載せています。




自分の『特別』を生きる③








『特別』
という表現に私は抵抗がありました。



講座での最終課題作品のタイトルは
講師の松田さんにつけていただきます。



松田さんからタイトルをいただいた時に
(現在とは少し違うのですが)

「『特別』という言葉を使ったタイトルの漫画を
自分が描くのか…」

という気持ちが湧いてきたのが
正直な感想です。



「人は誰もが特別で
だとしたら特別な人なんていない」

と考えていたので
このテーマで自分のことについて描く
ということに対する抵抗や葛藤がありました。



自分のことを特別だとも
特別になりたいとも思わないし
むしろ
そう思うことに疑問すら持っていたので
『特別』という言葉をわざわざ使って
自分のこととして描き、世の中に出す
ということを
できればしたくなかったのです。



しかし
そのように抵抗があるということは
逆に自分が描けるものがあるのかもしれない
と思い頑張って取り組んでみました。



描き終えてみて
自分の中で『特別』に対する認識が
変化したのを感じます。



特別の意味を調べてみると

「他のものとは違っていること」
「他との間に区別があること」
「普通一般とは異なっていること」

などと書いてあります。

「よいことにも悪いことにも使われる」

と書かれていることも。




特別とは
ただ「違う」ということです。

「特に別なこと•もの」
ということです。



「違う」ということは
「比較」の対象になりやすく
普通、一般、平均と比べたときに
特に違っていることは
秀でているとか、得意とか、強みとか、長所とか
劣っているとか、苦手とか、弱みとか、短所とか
そういう言葉で表されたりもします。


私は
「比較をされたくないし、したくない」
と思っていたつもりだったのですが
そもそもそう思うことが
比較を意識していた
ということだったかもしれない
と思うようになりました。



『特別』ということは
「他の人とは違う」ということで
それはとても当たり前の、普通のこと。

それがわかると
抵抗や葛藤が和らぎました。



「私は特別です」

「私は特別じゃないです」


以前は特に前者を口にすることへの
抵抗があったのですが
今はどちらの言葉も
言いざわりがニュートラルになったような
気がします。


私は確かに人とは違う
だから特別な存在。

でも、違うことは当たり前のこと。
だから特別であるということは特別じゃない。

それが
以前よりも実感を伴って
理解できたように思います。


そして
「違う」ということは
とても大切なことだと思います。


自分と他人が違うから
自分がどのような存在かを知ることができ
自分と他人の違いを
知りたい、伝えたいと思うから
自分や相手と繋がることができる。

そんな風に感じます。



また
違いを比較してしまうのも
違いを比較しないのも
どちらもいい悪いではなく

「そういう気持ちになる」

ということだと思います。





この社会で育ってきた私たちが
自分と他人を比較する
思考ぐせを持っているのは
自然なことなのかもしれません。

だからこそ

「みんなちがってみんないい」
「その人の個性を大切に」
「人と比べることなんてない」

そのような言葉が
必要な場合があるのではないでしょうか。



「比較しない人の方がすごい」
「比較ばかりしているからしんどい」

心の健康のことを考えたら
もしかしたら一理あるかもしれませんが
比較しないことも強さですし
比較できることも能力です。

バランスが大切なのだと思います。






毎回文章が漫画の内容と
逸れてしまっているような気がするし
長くて読むのが大変なのではないかと
気になってはいるのですが
せっかくなので
自分の書きたいように書いてみています。



次回で最後です。
いつも読んでくださり
ありがとうございます。














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