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非日常を感じる旅物語(中央アジア編)

今回は非日常を感じたいと思っている人に読んでほしい冒険旅だ。
メジャーな旅ではなく、どちらかと言えばマイナーな中央アジアの旅物語だ。
中国の西にあるシルクロードの国、キルギスに個人旅行をしてみよう。
この物語も後に有料化したいと思っている記事だ。


日本人と同じ顔をした民族が住むキルギスの旅

これは60歳過ぎて定年退職した男の物語だ。
冒険率の高い個人旅行をしたいとかねがね考えていたが、サラリーマンを卒業してやっとそんな夢を叶えることができるのだ。

この記事の内容はフィクションを含んでいるが、読んだ人が主人公になって旅をしている感覚を共有できるように書いたものだ。
旅の中の情報も実際に旅をしてみようと思った時の参考になるよう、現状に基づいた情報によって書いたものだ。
さあ私と一緒に旅に出かけよう。

キルギスの旅1日目(日本出発)

7月1日の昼前、韓国のLCCチェジュ航空に乗って関空を飛び立った。
13時前に着いたのは韓国の金浦空港だ。
今のところ日本からキルギスへの直行便はない。

明日、仁川国際空港からカザフスタンのアルマトイ経由でキルギスのマナス国際空港に向かう予定だが、7月2日23時50分仁川(インチョン)発ということで時間にはかなり余裕がある。
せっかくなので今日はソウルのホテルに泊まる予定だ。

そのホテルがあるのはソウルでもこの金浦空港に近い弘大(ホンデ)だ。
金浦空港からホテルの最寄り駅である地下鉄弘大入口駅(ホンデイプク)までは、AREX(ソウル直通特急列車)という空港鉄道に乗らなくても普通列車でも15分程度で着くはずだ。

入国審査を済ませ、その足で両替所に向かう。
ひとり旅の時、手荷物は極力預け入れないので、ここで荷物が出てくるのを待つことはない。
ロストバゲージと時間ロスを防ぐ私なりの旅の流儀だ。
荷物は機内持ち込みできる普通サイズのリュックひとつだ。

少しだけウォンに両替をして地下3階にある金浦(キンポ)空港駅のホームに向かった。
AREX(ソウル直通特急列車)ならチケットを買って乗らなければならないが、普通列車なのでTマネーカードが必要だ。

普通列車もコイン型の乗車券で乗車できるがTマネーカードならその都度買わなくてもいい。
現役中にソウルは何度も訪れているので、自慢じゃないがその辺の事情には結構詳しい。
なんとか販売機を見つけ、Tマネーカード購入とウォンをチャージをすることができた。

弘大入口駅(ホンデイプクヨク)からホテルまでは徒歩10分だ。
ホテルの決め手は価格と立地だ。

もちろんもっと駅に近いホテルも沢山あるが値段が高い。
ホテルに着いたのは午後2時半頃だったが、出ないと思っていたチェジュ航空の機内食のお蔭で空腹感はなかった。

チェックインまで時間があったのでホテル1階にあるカフェでコーヒーを注文した。
そしてコーヒを飲みながら窓越しに外を眺め、初めて行くキルギスの風景を思い描いていた。

ひとり旅のこのときこそが至福の時間だと強く感じる理由は、知らない町にこうしている非日常的な状況が自分に溶け込んでいるからに違いない。

そういえばここの隣の新村(シンチョン)という町には昔来たことがある。
それももう20年以上も前のことだ。

チェックインを済ませ部屋に入り、リュックからショルダーバックを引っ張り出した。
カメラやスマホなどをそのショルダーに入れ替えた。

そうこうしている内に午後5時近くになり、少し早いが空腹感も戻ってきたので夕食にしようとホテルを出た。
地下鉄の駅とは反対の漢江向きに少し歩くとマンウォンシジャンという伝統的な市場があり、そこを通り抜けた辺りに肉料理の看板が出た食堂が目についたので入ることにした。

観光客目当てに営業している店ではなく地元民をターゲットにした普通の食堂だ。
ショッピング通りからは離れた、お世辞にも綺麗とは言えない古びた内装の壁に乱雑にメニューが貼ってある。

昔うちでも使っていたような4人掛けの古いダイニングテーブルと木製の椅子が並んでいる。
その椅子に座って店内を見渡す。

私以外に4人のお客さんと、この店には似つかわしくない若い美人店員がいる。

おそらくこの店の娘なのだろう。
片手にフキンを持って慌ただしくテーブルを片付けている様子をしばらく眺めていた。
そのテーブルが片付いたのを見計らって声をかけた。
日本では絶対出さないような大きな声で「チョギヨー」と叫んだ。

「イエー」と言いながら最後の空のビール瓶を厨房に持って行った後、私の注文を取りに来てくれた。
壁のメニューを見ながら「チョー〜タッカルビチョンシッカゴ〜ソジュハンビョンジュセヨ〜」(あの〜タッカルビ定食と焼酎を1本下さい)と注文をした。

定年退職後に再開した韓国語学習の見せ所だった。

この味でこの量、それが千円少しなのだからコスパは最高だ。
1時間も掛けて夕食を食べるのは久しぶりだった。
晩酌の習慣がない私がソジュ(チャミスルという焼酎)をストレートで1本も飲めば充分ほろ酔い気分になった。

「アガシ〜」と来た時以上に声を張り上げた。
「ケサネジュセヨ~」(会計して下さい)

お金を払って「スゴハセヨ~」(お疲れ様~)といったら「ネ~アンニョンヒガセヨ~」
と言って表に出て見送ってくれた。
日本人だと分かってのことだろうが、年甲斐もなく勘違いしそうなほど丁寧な対応だ。

夕食を終えて歩いているとガラス張りのお洒落なカフェやレストランが並ぶ通りに出てきたが、どの店も最近の髪型をした若者たちで賑わっていた。
60歳過ぎた田舎者の私には入る勇気すらわかないところだが、ここがソウルでも芸術と若者の街として知られているのもうなずける。

その通りからホテル方向の路地に入ると数件の屋台が出ていたので、その一軒のパイプ椅子に腰をおろした。
サンナクチ(タコのぶつ切り料理)とビールを頼んだが、サンナクチだけは韓国のどこへ行っても同じ味だろうと思っている。
家でビールを飲むことはまずないが、韓国のビールは苦みもなく飲みやすいことはよく知っている。

このカス(CASS)という銘柄も気の抜けたような感じのビールで私にはちょうどいい。
「たぶん日本人のビール通には受け入れてもらえないだろうな」と思いながら口の中で吸い付くタコを味わった。

サンナクチは私の大好物だ。
普段家では一滴の酒も飲もうとは思わないが、何故か旅に出ると飲みたくなるのはひとり旅が体質まで変えてしまうからなのだろう。

午後7時半を過ぎているのに外が明るいのは時差のない韓国が日本より西に位置しているからだ。
今日は早めにホテルに帰り明日に備えなければならない。
何故なら明日は機内泊になるからだ。

キルギスの旅2日目(ソウル)


昨日早く寝たせいかまだ暗いうちに目が覚めた。
シャワーを浴びてから荷物を整理し、うっすらと空が白け始めたころ散歩に出た。
どこであろうと明け方のこの時間だけは同じ期待感に包まれる。

一日の内で最もポジティブな感情でいられる時間だ。
ホテルの周辺を歩くのはこの辺りの雰囲気を記憶に留めるためでもある。
そしてこの時間は地球上のどんな地域だろうと一番治安がいい時間だからだ。
しかしちょうどこの時期、梅雨に入った韓国の空はどんより曇っていた。

ホテルに戻り1階にあるカフェでパンとコーヒーを注文した。
昨日と同じ窓際の席だ。
朝食を取りながらガラス越しに通りを眺めていると、閉じた傘を持って足早に歩くご婦人の姿が目に入った。
その光景を見て急に頭の中に焦りが芽生えた。

慌ててチェックアウトを済ませ駅に向かった。
地下のないここで雨に降られると濡れるしかない。
これから飛行機に乗るのに不要な傘を買いたくもない。
時計を見ると午前10時だ。
何とか雨が降る前に駅に着いた。

弘大入口駅(ホンデイプクヨク)から仁川空港駅までは昨日と同じく普通列車を使う。
慌てて仁川空港に行く理由がないからだ。
サブウェイコリアプリで確認すると仁川空港までは53分だ。
4200ウォン(464円)という料金は日本と比べてもかなり安いように感じる。
昔に比べ物価が上がったとは言え、韓国の乗り物はまだ安いようだ。

カザフスタン行きの飛行機までは充分過ぎるほど時間もあるが、ここにいてもこれと言ってやることを思いつかないので仁川空港へ向かったのだ。
仁川空港に着いたがここでもやることはない。
もうすぐ昼の時間なので安くて口に合いそうな飲食店を探すことにした。

第一旅客ターミナルをそこそこ歩いてホホルミという安価な韓国料理店を見つけた。
量も値段も手ごろなキンパプ(のりまき)が4500ウォン(500円)だったので注文した。

仁川空港で長い時間を過ごし午後10時過ぎになってやっとエア・アスタナKC0960便のチェックインを済ませることができた。
ボーイング757という機材は通路を挟んで両側に3席ずつ並んだ中型機だ。
座席は格安航空券お決まりの最後部だったが通路側を指定することができた。

仁川空港からカザフスタンのアルマトイ空港までは7時間近い長旅だ。
若い頃なら好んで窓際の席を指定していたが、60歳も過ぎればトイレのことも考え隣席の人に迷惑を掛けない通路側を選ぶのが賢明な選択だ。
私の列の隣席には若い韓国人らしきカップルが座った。
もちろん窓側が女性で私の隣は男性だ。

通路を挟んで反対側の席には背の高そうな中年男性と、その隣には西洋人っぽい若い女性の二人組が座った。
詮索するのが趣味という訳ではないが、おそらく女性の二人組と男性は別々の旅行者だ。
たぶんカザフスタンやキルギスの人ではなくヨーロッパの国の人だろうと勝手に想像した。

カザフスタンも中央アジアの国ということでアスタナ航空のCAもアジア人が半数程度はいるだろうと予測していたが、全員が背の高い白人だったのが意外だった。
そんなことを思いながら目を閉じた。
やはり機内泊は熟睡できるはずもなく、うとうととした程度で3時間も経たないうちに目も頭も起きていた。

キルギスの旅3日目(ビシュケク)


何もないキルギスの風景

アルマトイ国際空港へは予定通り現地時間の午前3時40分に着陸した。
時差は3時間なので日本は朝の6時40分だ。
アルマイト国際空港から機材が変わるためかスルーチェックインをすることができなかったので、ひとまずカザフスタンへ入国することになる。
機内で書いた入国カードとパスポートを手に持ってイミグレへと向かった。
この空港でのトランジット時間は3時間50分なので慌てることもないが、慣れない国での行動は早め早めが鉄則だろう。
その意味でも割と慎重派なので、敢えて手荷物は預け入れずに機内持ち込みのリュックだけにした。

カザフスタンとキルギスに時差はない。
アルマトイでのトランジットはあっという間に終わり、午前7時半に離陸したアスタナKC0107便は1時間程度でキルギスのマナス国際空港に到着した。
先ずは関空で両替したドルをキルギスソムに両替する。
どこの両替店でも日本円を扱っていないことはリサーチ済みだ。
とりあえず100ドル分を両替して空港の外へ出た。

マナス国際空港からキルギスの首都ビシュケクまでは、マルシュルートカと呼ばれる乗り合いタクシーで1時間も掛からないということも調査済みだ。
しかしどの車に乗ればいいのかが分からない。
そこで例のグーグル翻訳オフラインを使いその辺の人に聞いてみると乗れる所まで連れて行って貰えたのはいいが、その車がいつ来るのかまでは分からない。
それでも30分も待たない内に1台のワンボックスカーが止まったので「ビシュケク、ビシュケク」と連呼すると乗れという手招きで意味が通じたことが伺えた。

いつ出発するのか分からないまま時間が過ぎていくがまだ朝早いので仕方ない。
お客さんが4人になって出発した。
おそらくこの時間だともうお客さんが増えないと諦めたのだろう。

よく見るとフロントガラスに380Бишкекというプレートが置いてあったが、このБишкек(ビシュケク)というロシア語に慣れて読みとれるようになったのは数日経ってからだ。
そのプレートが大きく視界を遮り運転に支障をきたしているのではと降りるまで気になった。
空港を出ても街路樹の隙間から見える景色はだだっ広い何も植えられていない農地ばかりだ。

降りる場所は、ホテルの住所と名前を書いたメモを運転手に渡してあるので大丈夫だろう。
首都と言ってものどかな平原の信号もない一本道を走り抜け、ビシュケクの町までは40分も掛からず着いた。
料金50ソム(83円)は乗車時に払っているので問題はない。

ビシュケクに入って最初に停車したところで、私だけにここで降りろと運転手が合図をくれたが、そこが予約をしたホテルの前でないことだけは確かだ。

Maps.ME(オフラインで使える地図アプリ)で確認したところ少し北で降ろされたようだ。
南に向かって少し歩くとネット予約時写真で見たホテルを見つけることができた。
ホテルの中に入ったがそう広くもないフロントには誰一人見当たらない。
カウンターらしきスペースにも誰の姿もなく急に不安がよぎってきた。
「外観は予約したホテルに間違いはないだろうがここは本当にそのホテルなのだろうか」
間口2m程度の何もないカウンターに近付くと端の方にブザーのスイッチらしきものが目に入ったので押してみたが「ブー」という味気ない音がすぐそこで聞こえただけで誰も出てこない。

午前11時なのでチェックインやチェックアウトをする時間ではないからだと、誰もいないことへの状況を勝手に理由づけていた。
仕方ないのでホテルバウチャーを手に30分近く立ちすくんでいると、やっとこのホテルのスタッフであろう女性が奥から現れた。

バウチャーを渡すと何やら言われたが言葉が理解できない。
そこでスマホのオフライン翻訳で「チェックインできないなら荷物だけでも預かってほしい」と伝えると手招きされて2階の部屋へ案内された。

部屋のドアが開いていることからどうも掃除をしていたのだろうと思えたが、壁付けキッチンまで付いているアパート形式の部屋で、奥にはガラス張りのシャワーブースが設置してあった。

鍵を受け取りショルダーバックにカメラや貴重品だけ入れて町に出た。
東南アジアのような遺跡など、これといってないこの町に観光を目的に来たのではなく、のんびり過ごすことだけを考えて来たと言ってもいい。

しかし期待はしていないとは言え、周りを見渡してもレストランやカフェらしき店はおろか商店の看板すらほとんど目に入らない。
昨日のソウルとは比較にならないほどアイボリー色の壁だけが続いている。

10分も歩いてやっとкафеと書いてある店を見つけることができた。
кафеがロシア語でカフェのことだろうというのは、これまでのひとり旅で培った勘と言いたいところだが、誰でもそのくらいは想像できそうだ。

この日は一日ビシュケクの町を歩き回ったが、7月と言っても湿度が低いのか蒸し暑さは感じず木陰に入ると心地いい。
首都だというのに車も人も想像以上に少ない。

明日はイシククル湖のチョルボン・アタという町のホテルを予約しているのでマルシュルートカで移動しなければならない。
そのためにバスターミナルの場所を確認してからホテルに帰った。


キルギスの旅4~5日目(イシク・クル湖)


今日は中央アジアの真珠と言われる透明度の高いイシククル湖へ向かう。
ビシュケクのバスターミナルまではホテルから徒歩で20分も掛からなかった。
チョルボンアタ行きのマルシュルートカを探し乗り込むと、既にほぼ満席で運転手が乗車料金の集金中だったのでキルギスの100ソム紙幣3枚を渡すと50ソム紙幣を返してくれた。
通貨換算アプリで確認すると日本円にして400円の安さだ。
キルギスではマルシュルートカでの移動が安く欠かすことができないが、この乗り合いタクシーを使いこなすには2GISというアプリが必須のようだ。
今のところは使っていないがオフラインでも使える2GISに早く慣れておいた方がよさそうだ。

途中山岳地帯も走るが山には背の高い木が生えていない。
あまり変わり映えしない景色が続くがこの空気感は嫌いではない。
マルシュルートカに乗っている他の乗客は西洋人で東洋人は私だけだ。
このマルシュルートカという乗り物は、バスと乗り合いタクシーを足して二で割ったような乗り物だ。
路線バスも走っているがマルシュルートカに乗る場合も路線バスと同じバス停で待つのがここの流儀らしい。
右手に青い湖の水平線は見えるものの、透明度が分かるほどマルシュルートカが湖に近付くことはなかった。

ビシュケクから4時間ほどでイシククル湖の北湖畔にあるチョルポンアタに到着した。
湖の北にはクンゲイ山脈が連なり、湖の向こう側(南)には天山山脈が走っているようだが、琵琶湖の9倍の広さからかこの日は水平線と雲しか見えなかった。

この町は観光地ということもあり幹線道路(A363)沿いはカフェやレストランも多く賑わっているが、湖の方に少し入れば何もない自然に囲まれた砂地の道が多くなる。

このチョルボンアタでも散歩とカフェの繰り返しになりそうだが、朝日か夕日くらいは見ておきたい。
今はまだ午後3時を過ぎたところだ。
この地域では7月が最も日が長い時期にあたり、日の出は5時半、日没は午後8時45分頃だそうだ。

今日は30度超えの晴天だが湿度が低いのかそれほど暑くは感じない。
マルシュルートカは町の中心にあるバスターミナルで降りた。
予約しているホテルはそこから南に300メートル程度の距離だ。

外観は日本でよく見る二階建てのアパートで外階段があるのも同じだ。
チェックインしてカギをもらい部屋へ入ると、ガスコンロ付きのキッチンがあるのもまるでアパートだ。
違うのはガラス張りのシャワールームだ。
そう言えば昨日泊まったビシュケクのホテルも同じ作りだった。
リュックを置いて早速イシククル湖の方向へ歩いた。
ブロック舗装された公園内の道も散歩には最高だ。
パルクという公園にある池の水も澄みきっていて湖面に映る空と公園の木々が美しい。
その公園を抜けるとプリャシュ・バキトという砂浜に出た。

イシククル湖の浅瀬のビーチは中央アジアの真珠と言われるだけあって澄んでいて見ているだけで心も癒される。
湖の向こうに見える天山山脈の先は中国の新疆ウイグル自治区だ。
何をするということもなく景色を眺めて時間を潰した。
午後6時になったのでホテルへ戻り夕食をすることにした。
ホテル内にある小さなレストランでラグマンという麺料理を注文した。
ガーリックだけではない独特なスパイスの香りがしたが悪くはない。
ビールでもと思ったが、ウォッカやコニャックといった度数の高そうな酒しかメニューになく諦めた。
普段から酒は飲まないので辛くはない。

午後7時半になったので夕日を見るため外へ出た。
この時期は日の出も夕日もイシククル湖側ではなくカザフスタン側だということに、外に出て初めて気が付いた。
結局この日は美しい夕日を見ることができなかった。

次の日は4時に目覚めた。
5時ごろホテルを出てプリャシュ・ケイサルという浜にある桟橋に着いた。
桟橋の先端で日の出を待った。
北西に少しある雲は赤く染まり美しい日の出を予感させた。
そして山から昇る太陽が徐々に澄みきったイシククル湖を照らし出した。
私のカメラ知識では到底捉えることができない美しい風景だ。
この美しさだけでここへ来た甲斐もあるというものだ。
満たされた気持ちで桟橋を後にした。

ホテルに戻りレストランでパンとコーヒーをお願いしたが、ナンと少なめの羊肉料理がセットになっているようだ。
パンはインド系のレストランで聞くナンと同じなのだろう。
サクサクしていて朝食には持って来いだ。
食べ方は分からないが羊の肉料理と一緒にナンを食べると、朝なのに食欲を刺激されるほどうまかった。
60歳を超えているので食事の量も意識して少なめに抑えているが、もう一つナンをおかわりしようと思ったほどだ。
部屋に戻り荷物を整理し着替えの洗濯をすることにした。
このホテルは部屋に洗濯機まであるので、まるでアパートでひとり暮らしをしている気分だ。
着替えと言っても下着や靴下、Tシャツ程度だ。
今日も30度を超えそうなのですぐに乾くだろう。
マメな男のように聞こえるが、私は家で洗濯をしたことがない昭和人間だ。

洗濯物を干してからベッドに寝転んだが、うとうとしていたのか気が付くと昼前になっていた。
毎回ホテルのレストランで食事をするのも味気ないと思い、少し離れたレストランまで行ってみることにした。
2キロ近くありそうだが腹を減らす意味でも歩いて行くのがいいだろう。
マップで見つけたカフェレストランはお手頃価格でレビュー評価も高い。
30分ほど歩いたらそのレストランに着いた。

写真のない文字だけが並ぶメニューを見てもちんぷんかんぷん理解できない。
そこでgoogleレンズの翻訳機能を使うことにした。
そして牛肉のシシカバブとライスを頼んだ。
シシカバブがどんな食べ物なのか知らなかったが、串に刺した肉料理が運ばれてきた。
これを見るとライスというよりビールだろうと思い、グーグル翻訳のキルギス語でビールを注文した。
因みにグーグル翻訳のキルギス語もオフラインで使えるようにしていたのでこのような時には便利だ。

ランチの後はまたぶらぶらと歩くしかやることがない。
陸地はだだっ広く何もない印象だ。やはりここでは美しい湖畔で時間を潰すのがいいようだ。
時計を見ることも気にすることもなくのんびり過ごした。
それでも適当な時間になったのでホテルに戻って明日の準備をしようと思う。
洗濯物もそろそろ乾いてくる頃だ。
明日はブラナの塔に行く予定だ。

キルギスの旅6日目(世界遺産ブナラの塔での出会い)


二泊もすれば慣れたものでホテルのレストランでも顔なじみだ。
今朝も昨日と同じナンと羊肉料理、コーヒーのセットだ。
このうまいモーニングも今日で最後かと思うと名残惜しい。
朝食を食べ終えてからタクシーを呼んでもらうことにした。
イシククル湖とビシュケクの中間点にある世界遺産のブラナの塔に行くためだ。
荷物を取りに部屋へ戻った後、フロントでチェックアウトを済ませた。
1時間待ってもタクシーは来なかった。

ホテルの人にもう一度タクシーの確認をしたが、意思疎通は不安要素しかない。
最初にタクシーを呼んでもらってから2時間になろうとしたころやっとタクシーがホテル前に到着した。
タクシーの運転手にアプリを使ってブラナの塔に行きたい旨を伝えたが、はたしてうまく伝わったのかは分からない。
道中度々その運転手に話しかけられた。
少し英語が話せるようだが私は英語を話せない。
適当に受け答えをしていたが3時間近く経過した頃正面にブラナの塔が見えてきたのでほっとした。



運転手に30分程度待っていてくれと頼んでタクシーを降りた。

世界遺産だけあって観光客も多く感じる。
さっきまでいたチョルポンアタと比較しての話だ。
今日も晴天でブラナの塔が美しく草原の中にたたずんでいる。
ブラナの塔はシルクロードで栄えた時代の遺跡だ。
中に入って狭い螺旋階段を登ったが少し恐怖を感じてすぐに下りてきた。

写真を撮っていると後ろから日本語で話しかけられた。
「日本人ですか」
「はい」と答えると「やっぱり」とふたりの若者が顔を見合わせていた。
ふたりでバックパッカーをしている日本人なのだそうだ。
私と同じようにイシククル湖からビシュケクに帰る途中だということだが、私がタクシーを待たせているというと、お金を払うので一緒に乗っていいですかと言ってきた。
ビシュケクの私のホテルに着いた時、その二人も降りてホテルのレストランで話をすることにした。

話を聞くと日本を出て1ヶ月近く旅をしているとのことだった。
二人は10日ほど前にヨーロッパで出会って意気投合したらしい。
私が明日、日帰りトレッキングに行く予定だと話すと、是非一緒に行きたいというので打ち合わせをした。
その二人は格安のゲストハウスに宿泊するとのことで、明日はこのホテルまで来てくれることやマルシュルートカよりタクシーを割り勘した方が安くなりそうだということなどを話して帰っていった。

キルギスの旅7日目(天山山脈でトレッキング)

次の日朝食を済ませてフロントで待っていると、昨日の青年のひとりがやってきた。
「行きましょうか、表でタクシーを待たせています」
二人が手配したタクシーに乗り込んだ。
これからビシュケクの南40㎞にあるアラ・アルチャ国立自然公園に行く。
ここは天山山脈のセミョーノフ山の麓だ。セミョーノフ山の標高は5816mなので富士山よりも大分高い。

トレッキングと言っても私は散歩に近い山歩きだ。若い二人に迷惑をかけるわけにはいかないので現地では別行動だ。
タクシーを降りたのは午前10時だった。
もし午後4時までいたらこの場所で落ち合うことにしたが、いなければ先に帰ったという風に理解することにした。
公園に入るとすぐにリアルなヒョウのモニュメントが目に入った。
そう言えばキルギスに生息する野生動物は調べてこなかったが、ここにはヒョウがいるのかと急に不安になった。

少し進むと看板が目に入ったがもちろん字は読めない。しかしさっきのヒョウのこともあるので何が書いてあるのか気にはなる。
そこでまたグーグルレンズアプリをかざして読んでみると「森を火から守ろう」という看板だった。
その道にはたまにグリーンに塗装したゴミ箱らしきものが置いてある。
20分ほど歩いた後、少し広い川に出た。
私も山間に住んでいるがどう見ても自然のスケールが桁違いだ。

この自然公園にはいくらかのトレッキングコースがあるようだが、私のような軽装で来た人でもこのコースなら歩きやすい。
山に登っていくようなコースなら登山靴が必要だろう。
大きなリュックを背負っている人は、おそらく日帰りではなく山で一夜を明かすキャンパーだろう。
ずっと谷間を歩いているがこの辺りから少し山に登ってみようと考えた。
日本の山のように高い木が茂っていたら迷子になりそうだが、ここには高い木もなく少し登っただけでも見晴らしがよさそうだ。

登りやすそうなところを選んで道をそれたら、思った通り谷間を歩いていた時の景色とはすぐに変わっていった。
見晴らしのいい場所で昼食にする。
リュックの中から昨日買っておいたナンと羊肉のジャーキーそしてコーラを取り出した。
日本なら絶対コンビニで塩にぎりとお茶を買っているだろう。
それにしても塩味の効いたジャーキーは悪くない。
ナンで腹も膨れるだろうから何の問題もないところだ。
この大自然の中で食べるというだけでこの質素なランチも高いコース料理に勝っている。

昼食を食べたからといって体力がリセットされる年齢ではない。
もう少し若ければここから違うルートでタクシーを降りた駐車場まで帰りたいところだが、そんな冒険をする勇気も体力も残ってはいなかった。
来た道に戻るのが精一杯だ。
一応この辺りの地図もダウンロードしてオフラインで使えるようにしてきたが使うことはなかった。

ゆっくり駐車場まで戻ったがまだ時間は2時過ぎだ。
これからどうしようかと迷っているとそこへ1台のタクシーが駐車場に入ってきた。
若い二人を待つにも時間があるのでこのタクシーでビシュケクまで戻ることにした。
後で二人の内のひとりにラインをすると彼らも3時ごろにタクシーに乗ってビシュケクに戻ったようだ。

いよいよ明日は帰国だ。
帰国と言っても夕方便でマナス国際空港からカザフスタンのアルマトイ国際空港へ飛ぶ。
そしてアルマトイのホテルで一泊して明後日の夜インチョン行のエア・アスタナに乗る予定だ。
往路と同じく復路も機内泊だ。
インチョンでも午後便のチェジュ航空を予約しているので関空に着くのは3日後10日目の夕方だ。
家に着くのはその日の夜だろう。

往復の経路で飛行機や乗り継ぎのための時間が旅の半分を占めている印象だが、その時間の非現実を楽しむのが一人旅の醍醐味だと自分に言い聞かせた。

航空会社から直接買った格安航空券を使った個人旅行だが、一度こんな旅をしてみると病みつきになる。
豪華なクルーズ旅が出来るほど裕福ではないので僻みに聞こえるが、こんな旅こそ夢見ていた旅であることには違いない。

キルギスの旅8日目(帰国の途)

今朝も早くに目が覚めたので散歩に出た。
曇り空だが体感温度はちょうどいい。
たまにすれ違う人は見分けがつかないほど日本人顔だ。
向こうも私のことをキルギス人だと思っているだろう。
私の感覚では韓国人より日本人に近い顔立ちだと思えるほどだ。
キルギス人の半分は日本人とそっくりだと聞いてはいたが、今日はほとんどがそんな人とすれ違った。

時間が早いのでホテルに戻り荷物の整理をする。
そしてキルギス最後のシャワーを浴びた。
イシククル湖から帰ってからはアパート形式ではなく普通のホテルに滞在している。
10時半過ぎてまたビシュケクの街に出てカフェに行った。
朝食兼昼食のためだ。
ラグマンギルかラグマンスイルか迷ってラグマンスイルにした。
違いは分からなかったがなぜかギルの方が辛そうな気がした。
年齢的にも刺激の強いものは遠慮した方が身のためだ。
食事の後も街をぶらつき、また違うカフェでコーヒーを飲んだ。

キルギスの首都ビシュケクの街もこれだけ歩けば充分記憶に残るだろう。
DJIの初期オズモポケット(カメラ)で街歩き動画を少し撮影した。
ソニーのα6400(カメラ)も持ってきたが使うことが少なかったように感じる。

ホテル近くのバスステーションでマルシュルートカに乗った。
マナス国際空港までに楽しめるような景色がないことは既に知っている。
私の前の席に一組のアジア人のカップルが乗っているが、この二人は韓国人夫婦だ。
ふたりの会話を聴き取ろうと聞き耳を立てていたので分かったことだ。
この夫婦のやり取りを聴いている方が景色を見るより何倍も楽しめそうだ。
聴き取れない言葉の方が多いが、男性の声が大きいのとジェスチャーが何となく面白い。

マナス国際空港ではベンチに座っている時間が長く感じた。
やはり少々疲れ気味だ。
土産を買うこともせず、ただ人の行き交う様子をなんとなく眺めているに過ぎない。

チェックインを終え飛行機に乗るとあっという間にアルマイト国際空港に着いた。
キルギスのマナス国際空港からカザフスタンのアルマトイ国際空港は直線距離で200Km程度だ。
日本でいうなら羽田から浜松程度の距離しかない。

アルマトイではホテルに宿泊するので空港で両替をした。
カザフスタン通貨はテンゲだ。
70USドルを両替して約3万テンゲだ。
タクシーでホテルへ向かったが風景はビシュケクとさほど変わらない。
ただ車はこちらの方が多く信号もあるので時間はかかりそうだ。

アルマトイはカザフスタンの現在の首都アスタナのような高層ビルはないが、中心部へ行けば高いビルも多いようだ。
ホテルは空港に近い立地と料金で選んだ。
チェックインの後、大通りまで歩いて道路沿いのキオスクで適当にパンやファンタ、お菓子を買い込みホテルに戻った。
やはり疲れが溜まっているのか行動力も意欲も往路に比べて衰退している。

その代り朝まで10時間は眠ったようだ。
10時にチェックアウトしてタクシーで空港に向かった。
昨日よりさらに車が多くなっていた。
空港で1日時間を潰すことになる。
長時間のトランジットや機内泊は格安航空券の宿命だろう。

エア・アスタナの機内泊も嘘のように眠ることができた。
往路と復路で変わるのは気力や疲労感だけではない。
わくわく感や慎重さまで消え失せているので、時間を間違ったりうっかりミスも復路では意識して注意しなければならない。
神戸関空ベイシャトルに置いている車に乗ってからは、特に慎重な運転を心掛けることにしようと思った。

後書き

今回はあまり馴染みのない中央アジアということもあって旅の緊張度も高まったが、物価の安いキルギスということもあり旅費は想像していた以上に安く上がった。
海外旅行で誰もが行くような国のツアーは格安ツアーも販売されているが、中央アジアの格安ツアーを探すのは難しい。
何もかも自己責任の個人旅行はリスクもある代わりに冒険心も満たされ記憶にも残る。
このような中央アジアの国では言葉が通じないのでスマホにも頼らなければならないが、出来る限りオフラインで使えるアプリを工夫するのがお勧めだ。
Wi-Fiルータや格安シムもあるが、それを使ったとしても絶対どこでもデータ通信が可能だと思わない方が賢明だ。
中央アジアは色んな意味で東安アジアと比較しても旅のハードルは高いと感じた。
しかしボッタクリや盗難のリスクは低く、特にキルギスは親日国なのでひとり旅にはお勧めだ。
観光ではなくのんびり休暇を過ごす目的の旅に合いそうだ。

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