覚醒などしていない

先日、プロレスのインタビューを受けていたときに「覚醒しましたね?」という言葉があった。

覚醒とはなんだろう。

カラダの中に眠っていた何かがぐわーっと出てきている感じ?
僕を見ていて、大きな変化が見られたことだろうか。
レスラーとしての印象や見え方が何か変わったように見えたからだろうか。

妙に引っかかりがあり、自分の中で「覚醒」という言葉を解析したくなった。解体したくなった。
果たしてこの場合「覚醒」という言葉が正解なのかどうか、探りたいという気持ちが出てきた。

結論から言うと、覚醒ではないと思う。
これが文字通り覚醒剤を使っていたら、覚醒だと思う。
通常時とは違う感覚を即効性という道筋を通って覚醒作用を与えているから。

今回のインタビューで言われた”覚醒”に見えた部分というのは僕が”限りなくコツコツと積み重ねたこと”の集積でしかないと感じている。

では何故、人は覚醒をしたように見せたがるのだろうか。覚醒したというお話にしたがるんだろうか。
それは「覚醒」という言葉の都合の良さでもある。ある部分では使い勝手がいいというか。(「ある部分では」は藤波辰爾さんの口グセ。藤波構文インスパイア)

プロレスラーが海外武者修行から凱旋帰国した際に、カラダがひと回り大きくなって、コスチュームもド派手になって華々しく凱旋されがちだ。されがちというのはその方法論やセオリーに団体側の成功体験があり、スターを創るという作法があるからだと思う。

でもその海外武者修行の間、着実にゴールドジムに行って地道なトレーニングをしているだろうし、とんでもない食事量のご飯を食べてカラダを大きくしているだろうし、日本でいる人たちの情報をチェックしているだろうし、派手に帰国するまで「あまりSNSをやらないでくれ」と言われているだろうし、どんなコスチュームにするか悩んでいるだろう。現在ではSNSの流れもあり、そこをオープンにされていくというのもある。

それもまた覚醒という文脈でとられることもある。
「覚醒しましたね」は大変便利な言葉であり、その覚醒をさらに解読することを楽しませるためには有効な言葉のように思える。

覚醒は大変便利で、みんな覚醒したい。覚醒で済ませられれば説明は不要だ。
そこに至る、そこまでの過程のプロセスをすっ飛ばせてしまう。

ちょっと話は変わるけど、UberEatsで簡単にご飯が取り寄せられるし、Amazonで何でも頼める。見えない過程はどんどん簡略化され、便利に届けられるような仕組みが増えてくる。スマホのアプリケーションは指一つで人間に覚醒する感覚を与えたとも言っても過言ではないのかもしれない。それは人間の機能面で覚醒を与えたよね。

こうしてプロセスをお金で解決が出来るようになっていくようになっていく仕組みが歯止めを効かなくなってきている。(こういうことを書くと現在廃屋で田舎暮らしをしている実父の血筋を感じてしまって嫌なのだが。)

そんな流れとは真逆で、最近は狩猟して山奥に住んでいる東出昌大の方が遥かに覚醒していると思う。最近の僕は東出昌大のファンになっている。「『桐島、部活やめるってよ』の頃から俺は注目してたぞ!エッ!」とか言いたい。

実父が住む廃屋付近に佇む筆者。
いつでも東出昌大路線に行ける準備は出来ている。

マジで覚醒ってなんやねん。

人は覚醒という物語を欲しがっている。
覚醒という言葉によって変化した人間の物語を見たいという願望を持っている。
スーパーサイヤ人になることは覚醒作用の強い現象で、逆立った金髪はまさに覚醒のビジュアライズに成功している。

プロレスで裏切りがあって違うユニットに行く際に、そのほとんどはコスチュームが変わる。
その時は必ず衣装屋に頼むという作業がある。「違うユニットに入るんで、色やイメージを変えたいんです。あ、あのお安く出来ないですか?」という会話があるだろう。
だから覚醒じゃない。それも衣装屋さんとのコミニュケーションの積み重ねだ。

あのね、たぶん覚醒なんてねーよ。
世の中には覚醒しているように見えていて、覚醒じゃないことが沢山あるっぽい。そこの覚醒には様々なプロセスが積み上がって、覚醒のように見えていることが沢山あるはずだ。

覚醒という言葉が流布されすぎているけど、その部分の簡略化に僕は違和感を感じていたんだろうな。
大事なのはどう覚醒したように見えているプロセスで、そこには情熱大陸の納品2本分くらいの変化や労力があるのではないだろうか。むしろ今成は情熱大陸作りたいマン側なので、その覚醒のところの映像を作らせてくださいとなる。そこに興味のないディレクターだったり、映像の尺がない場合は「◯○は覚醒した!」というナレーションとモンタージュでOK。

映像の発注が魔法のようだということにジレンマを抱えていた。
映像班でいることの苦しさは発注する側は「魔法」のような意識を持っていることだ。
そのプロセスを見て欲しいし、理解して欲しいという気持ちにもなったが、プロなら成果物でしか判断されるべきという部分もあり。
でも成果物も見てくれてないじゃないか!というのはまた別問題が発生したり。
とにかくそこのジレンマって解決しないまま肥大化しやすい部分だ。

今成夢人は覚醒じゃない。
日々、当たり前のことを取り組み、おかしいこと思ったことに対して「それはおかしいです」と言うようになり、ちゃんと「コイツ面倒くせえな」と思われて使いずらくなっていっただけだ。

カラダが大きくなったのは毎日トレーニングをしているだけで、ちゃんと食事も取って栄養を与えているからだ。
ビジュアルの部分も髪を切りたい衝動に負けずに髪を伸ばしているだけだ。
こうしてnoteを書く習慣を与えて「覚醒しましたよね?」と言われるようにしようとしているだけなのだ。

ちゃんと覚醒しようぜ。38歳になりました。今日も明日もコツコツ生きましょう。

覚醒した筆者

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