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いやな思い出は捨ててしまえ~

こんにちは、こんばんは yumenohi です。

今見えている世界は現実なんでしょうか。

潜在意識に語りかけてみました。
今日も迷走してみます。

「みんな~楽しい思い出を共有しよう!」
って、楽しそうですよね。

しかし、今日の私はひねくれ者です。
思い出の共有なんて

ほんとにできるのでしょうか?
そもそも、私たちは

みんな同じ世界に、同じ時間、
同じ空間に本当にいるのでしょうか?

私たちは、それぞれ異なる経験をしています。
同じ出来事を見ても、解釈が違います。

それって、同じ世界、同じ空間でも、
見える世界はそれぞれ違うってことです。

同じ場所、同じ時間、目に写るものすべて
まるで、それぞれ違う場所にいるかのようです。

人によって記憶の仕方や
存在する空間の認識は異なります。

記憶力には個人差があり、
記憶には、短期記憶と長期記憶があり、

記憶は、時間経過とともに歪んだり、
消失したりすることがあります。

その時の感情や状況によってだって
左右されることもあります。

それぞれが、
別世界にいるかのようです。

仲の良い人、大切な人との
共有する時間は大切です。

でも、大切な大切な思い出って、
共有することはできるのでしょうか?

この問題を意識しすぎると、
本当は共有なんてできない事に。

記憶はひとそれぞれです。
当たり前です、

完璧には無理ですよね。
ただ、

共通の経験を共有するという
考え方なら共有することは可能です。

記憶の方は、それぞれが勝手に
自分の都合良く解釈して

「はあ~、いい思い出だった」
「クソつまんなかった~」って。

最高にいい思い出にすることも
最悪の思い出にすることも自由自在。

みんなが、最高の思い出だったと
記憶したとき、

「あのときは、最高に楽しかったよな~」
って楽しく思い出を語り合うことができます。

つまり、どうせなら、
いやな思い出は捨ててしまって

「たのしかったな~」
「いい思い出になったな」
「最高にうれしかった~」って

良い思い出だけ、
頭の引き出しに大切に
「閉まってしまえば」いい。

悪い思い出は、良い思い出に変換して
頭の引き出しに大切に
「閉まってしまえば」いい。

頭の中の引き出しは、
素晴らしい思い出でいっぱいにすれば

いいじゃんって思うわけなんです。
自分の都合でどうにでもなるんだ。

自分の心は、自由自在でした。
忘れていました。

いつもなにかに縛られた生活をしていると、
すっかり自由自在な心を忘れてしまいます。

「共有」から「思い出」について考えて
そして,「記憶」について少し考え

最後に「自由自在なこころ」に
たどり着きました。

人間は自由自在の心をもっています。
良い思い出で、

頭の中をいっぱいにするんだ~。
思い出せ、「自由自在な わ た し 」。


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