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考えている自分を 「そ~っと」 遠くから見つめる、そんな瞑想法もいいね。

こんにちはこんばんは yumenohi です。

雑に生きているせいなのか、
雑念が多すぎる。こころが落ち着かない。
そこで、瞑想の力を借りようと思います。

いろいろな方が、瞑想しましょう。
ポジティブになるために、、、、。
とアドバイスしてくれています。

またある人は、
いろいろなメリットを教えてくれています。

心の平穏を取り戻そう、
人間関係の改善や、心の充足感を得よう、
創造性や直感力を高める効果がある、
ストレスや不安の軽減に効果的
心を落ち着かせ、集中力を高める
自分自身や他者への慈悲の心を
育むことができる。

またある人は
瞑想のやり方を
丁寧に教えてくれています。

楽な姿勢で座り
目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をする。
何か、呪文のようなことばをくりかえす。

歩きながら、
自身の足に意識を集中する。
体の中のある部位に意識を集中する。

などなど

でも、頭の中に浮かぶ
雑念はどうすればいいのか?
って悩んでしまう。

頭の中を、空っぽにしなさい。
雑念を消しなさい、
なんて言う方もいます。

瞑想は、雑念を消すことが目的ではありません。
雑念を消そうとすると、かえって雑念に意識が向いてしまい
逆効果になることがあります。

瞑想の目的は、
心を落ち着かせ、
今この瞬間に集中することです。

しかし、
人間は考える生き物です。
いろいろな事を考えすぎて集中できません。

「人間は考える葦である」とは、
17世紀フランスの哲学者である
パスカルの言葉です。

葦は風に揺れる弱い植物ですが、
人間は考える力を持っているという比喩です。
この言葉は、
人間の弱さと強さを同時に表しています。

人間は、
自然の中では非常に弱い存在でが
考える大きな力を持っています。

考える力によって、人間は世界を理解したり
問題を解決したり、
新しいものを創造したりしています。

また、考える力によって、
人間は自分自身や人生の意味に
ついて考えたりもしています。

私たちは自分の弱さを認識し、
同時に考える力という
強さを活かして生きている。

だから、
考えるなと言われても無理なのです。
心を、空っぽには出来ないのである。

それに、実は人間は
無駄なことなど、何も考えてはいない。

あれこれ、いろいろな事を考えはじめる自分。
どうやっても、なかなか瞑想に集中
できるものではありません。

そこで、
考えてる自分を
見つめる瞑想法をやってみることにした。

瞑想法に
瞑想中に雑念が浮かんでも、
無理に追い払わず、
ただ眺めて流しましょう。

なんて話を聞きます。
無理に考えを追い払わない
と言われても、何かぴんと来ない。

つまり、自分が今何を考えてるのか
じっ~と、もう一人の自分が
黙って見つめる。

「なに考えてるの、、、、、?」
「ふ〜ん、そんなこと考えてるだね、、、、、。」
「そう、で、それから、、、、、、。」
「ふ〜ん、そうなんだね、、、、、、。」

決して判断しない。
優劣も付けない。
ジャッジを下さない。

ただ、遠くから眺めているように。
そんな俯瞰する瞑想方法。
心が、ふわふわ やじろべい 中心の様。

雑念に集中してはいけません。
雑念を考えている
自分を遠くから見つめる。

ては、
早速、今日から始めたい
と思います。

今日もお疲れ様でした。




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