見出し画像

何者にもならない生き方-自己紹介と感じたこと-

僕は、セクマイ(性自認ない/好きになる人の性別は何でもいい/複数の人を好きになる)で、精神疾患がある障害者。
絵や文章をかくこと、占いが好きで、虐待/いじめの経験がある。前はセックスワーカー(風俗嬢)だった。

ここまで書いたのが、最近の自己紹介。

こうなるまでにはいろいろあったけど、それはたくさん書いてきたので、違うことを書きたい。

小学生のとき、「自分は他の人とは違う」と思うようになったあたりから、僕は自己否定が強くなったと感じている。

そのまま、20歳になって「今のままの自分ではないけない」とか「頑張ってない自分は怠けてる」とか、そういうことを思うようになった。

「思う」って言うくらい意識してなかったけど、いろんな言動の根本にあった「頑張ってない自分は駄目」みたいな考え。

それをずーっと抱えたまま、最近まで生きてきた。

半年くらい前まで、「何者かになりたくて」イベントをやっていたと今は感じる。 

すごいし、頑張ってるし、面白い人であるために、そうあり続けるためにイベントをやる。集まった人に褒めてもらって、嬉しくなる。それでまた、頑張れる。
そういうサイクルがあった。

それは、別に悪いことじゃないけど、やっぱりどこか「何者かになりたい気持ち」が原動力になっていた。

でも今日、急に「何者かになれなくてもいいや」と思えた。

それは、明後日には無くなってしまう「よしだや」というシェアハウスへお邪魔していたとき。

数人で鍋を囲んだのだが、ほとんどが自分より10歳も歳下の人ばかり。正直、こんなの異文化交流だと思った。新鮮。

各々、思い思いに話したり、笑ったりする。それを見ていて急に「自分はもう、自分のためだけに何かをしたり、自分の楽しさのために誰かを巻き込んだりする年齢ではないんだな」と思った。

「話を聞いて欲しいな」と思って、無邪気に話すのはもういいんじゃないかと、「自分の話をしたい」よりも聞き手になればいいんじゃないかと、思ったのだ。

今の生活もパートナーのために家事やってみたり、買い物行ったりする。それと同じで、誰かのために何かをしてみる。それが上手くいくかどうかは分からないし、失敗してもいい。そういうやり方で、付き合っていきたい。

「何者かになるために」生きるのではなく、「何者にもならない」生き方を選びたい。

別にイベント主催しなくても、誰かに褒められなくても、自分に還元されなくても構わない。
「この人のために何かをやろう」という気持ちだけあればいい。そうして、少しだけ優しさをお裾分けしたい。

僕は肩書きもないし、自分のことは「夢乃くらげ」ということ以上には何も思ってない。
結局、何者にもなれなかったわけだけど、それはそれで強みになるかもしれない。

ただ、自分の持っているものを分け与えるような生き方に切り替えていきたい。

自分もまた誰かから貰った愛情で生きている。
それが無かったら、この歳まで生きてない。

こんな気持ちになれたのは、よしだやという場があったからだと思う。
みんなに感謝すると共に、運営してきてくれたこと、出会ってくれたことにも感謝したい。

ありがとう。

100円からサポートというかたちで投げ銭ができます!面白いな、いいなと思ってくださったら、ぜひサポートしてください。活動費にさせていただきます。よろしくお願いいたします。