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僕の描くもの-何も伝わらなくていい作品-

僕が何かを描くときは、だいたい「描きたい」という気持ちが、急に生じたことによって始まる。

この「描きたい」という気持ち(衝動と言ってもいい)は、いつやってくるのか分からない。しかも、描き始めると満足するまで止まらない。

なので、夜に描き始めて、朝方まで描いたりすることもあった。昼夜問わず、体力が限界に近づこうが何だろうが、やめられないのだ。基本的に終わるまでやめられない。

何日かに分けて描くこともあるけれど、「描きたい」という衝動的で強い気持ちを抑えながら、仕事なり家事なりをやっても集中できない。「とにかく、今、この瞬間に描かなければならない」という切羽詰まった感覚がある。

衝動に引きずられて画用紙の前に来て、ペンを握れば、その後は自然と集中できる。

「こういう絵を描こう」とか「テーマはこれにしよう」というのは、あまり考えない。決めないときの方が多い。
集中さえすれば、自分が次になぞるべき線が見える。後はただ、その線を現実のものにする作業を繰り返し、完成したと思えるまで続ける。それが僕の描き方だ。

言葉にして、言語化して説明できるものがない。描いた本人も何の絵か分からない。人によって全く違うものに見える。
僕が描くと、そういうものが出来上がる。

「描きたい」という欲望のままにかたちにするのだから、そうなるのは当たり前なのだが。

テーマがないから何の絵か分からないし、人に見せよう、つまりは分かりやすくしよう、という気がないから、「これは何の絵ですか?」ときかれても「分かりません」としか言えない。

最近は、「どんなものを描かれるんですか?」ときかれたら、腕にあるタトゥーを見せることにしている。自分がデザインしたものを、そのまま彫ってもらったからだ。
腕にあるのでいつでも見せられるし、便利だなーと思うことがしばしばある。

僕にも何だか分からないのだから、どんなものか説明できない。

別に、他人に見せる必要もないし、分かってもらう必要もないから、勝手に受け取って、勝手に面白がってくれればいい。感じたことを、躊躇わず口にすればいい。
それを見るのが、僕にとっては面白い。だから、個展は楽しかった。

誰にも見せる気のないものを見せた結果、誰ひとりとして同じ感想を持たない、ということが分かって楽しかったのだ。

僕が描きたいものは説明できないし、言葉にならないものを描きたい。
こうやって文章にしているけれど、描いたものを説明する言葉は存在しないから、何も伝えられない。

けれど、何も伝わらなくていい。なぜなら、僕も何を伝えたいのか分かっていないから。

ただ、線をなぞって、かたちにしただけ。
それに、意味や価値を付与する気がないから、何も伝わらなくていい。

分からないものを分からないままに、留めて欲しいと思う。僕の絵は、そういうものだから。

何年か前に和紙に描いた作品

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