モノかき彼女と絵描きのボク _ Day 3

  Day 3 - AM 08:19 -
 
 彼女の朝は、ときどき早い。
 もっとも、『彼女にしては』の注釈付きだけども。
  
「それは仕事? 趣味のほう?」
「わはっ?!」

 今朝は久しぶりに気持ちのいい目覚めだっだ。
 天気もよかったのでそのままベランダに出て無心で筆を走らせていたボクは、その声を聞くまで彼女が後ろに立ったのも気付かず、間の抜けた声をあげながら振り返るハメになった。

「ぁー、びっくったー……おはよう」
「ん、おはよ」

 とうの彼女は右手を上げて応えると、ヒョイっとボクの手元を覗き込む。
 
「この街?」
「うん。仕事じゃないんだけど、なんか急に描きたくなっちゃって」
「ふーん」

 しばらくボクの描きかけの絵を眺めては「ほー」とか「へー」とか言っていたが、しまいにはボクの手からそれを奪い取ると、彼女はベランダの手すりから身を乗り出して見比べ始めた。

「うん。ええね。よう描けてる」
「そう? ありがと」

 街の中心街から少し離れた高台にあるこの家からは、ボクたちが暮らすこの街が一望できる。彼女とふたりで新居を探していたときに、最後に案内されたのがここだった。
 案内してくれた不動産屋はしきりに『家賃は安いんですが……』と繰り返していたが、確かに家賃は安いが駅や店からは遠く、日常生活には不便な一軒家だった。きっとボクたちの前にも何人か案内して、なかなか決まらなかったんだろうなと思ったのを覚えている。即決したら、めちゃめちゃ感謝された。
 そんな家を選んだ理由はもちろん家賃もあったが、ふたりとも通勤とは無縁で買い物なども比較的時間の自由が効いたことがひとつ。そしてなによりの決め手は、ベランダからのこの眺めだった。
 だからと言って、ここがすごく美しい街並みというわけでもない。ひとことで言うと、茶色い街だなと思う。綺麗に区画整理された通りの両側には似たデザインの煉瓦造りの四角い建物が等間隔で並び、まるでミニチュアの街のようにも見える。
 街中に緑は少なく、かと言って大きな工場や施設があるわけでもない。あの四角いブロックのような建物の中には、ただただいろんなひとたちの、なんでもない生活が詰まっているのだ。

「わたしは、あんまこういう日常みたいなんは書かんのやけど」

 しばらく無言で街並みを見下ろしていた彼女がそう言ってくるりと振り返ると、

「ボクちゃんの描くこういう絵は、大好きやで」

 屈託のない顔でニカッと笑った。
 その笑顔に釣られたようにボクは彼女の隣に立ち、先ほどの彼女と同じように眼下に広がる茶色い街を見下ろす。

「ボクも、大好きだよ」

 若い読者に人気の彼女は、遠い未来の話だったり、ここではないどこか別の世界の話だったり、そんな誰も見たことのない不思議な世界の物語を描き出すのが得意な作家だった。
 対してボクは、お客さんに依頼を受けて肖像画だったり風景画だったり、今そこにあるものを描くのを生業としていた。彼女ほど売れているわけではないが、暮らしていくのに困らない程度にはなんとかなっている。
 商売っ気がないと彼女には文句を言われるが、ボク自身は目の前に広がる風景とそこにいるひとの今を切り取ることで、そのひとの生きた証を残したいと思いながら描いている。
 そして有難いことに、ボクと同じように感じてくれる人たちもこの世界には少なくないのだ。

「それは、わたしの書く話のこと?」

 イタズラを思いついた時の声でそう言うと、手すりに預けた背中をクイっと逸らして彼女が下からボクの顔を覗き込む。

「それとも、わたしのこと?」
「……どっちも」
「あらまー。やるやんボクちゃん! 百点満点の答えやな」

 いつもやられてばかりもシャクだし! と思って切り返してはみたものの、彼女にあっさりと受けられてしまった。

「や、ほんとに。特にこないだのアレとか。ほら、どこか別の世界でボクたちみたいな生活をしてるヒトたちの話」

 照れ隠しにボクは、彼女の新作の話題を持ち出す。

「マザーがいないっていう生き方は、ボクにはうまく想像できなかったけど……テレビ? だっけ。あんな道具あったらいいなぁと思ったもん。あとあれ。ケータイってやつはホントに欲しかったなぁ」
「あー、せやね。いつでも声が聞けるしね」

 今度は直球で言い当てられ、頰が熱くなるのが分かる。

「図星か。ホンマに、かわいいなぁボクちゃんは」

 空を仰いだ体勢のまま、今度こそイタズラ小僧のような顔でクックッと彼女が笑った。
 こうなったらもう何も言うまいと口を閉ざし、ボクは後ろで髪をまとめていたゴムをほどく。

「貸してみ」

 もう一度まとめ直そうとしていたボクの手からさっとゴムを奪うと、手すりを離れた彼女がボクの背中側に立ち、手櫛でボクの髪を梳きはじめた。

「いつの間にか、えらい伸びたなぁ」

 彼女に優しく触れられるのがくすぐったくて、腰のあたりから背筋まで勝手に大きな震えが走る。

「初めて会うたときは、チンチクリンのオトコノコみたいやったのに」
「あー、そだねぇ。前は洗うのも乾かすのもラクだったんだけどなぁ」

 ショートだった頃を思い出しながらそう言うと、彼女の指が後ろから伸びてきて、両方のほっぺたをムニムニされた。

「あーかーんー。こんくらい長さあった方が遊びがいあるし、こっちのが可愛らしいで?」

 まるで子供に言い聞かすようにそう言うと、頰から離れた指が唇、鼻、瞼と、まるでパーツを確かめるように這い上がり、耳の後ろがゾクゾクして瞳を閉じる。
 ボクが思わず止めていた息を細く吐き出すのを見届けて、満足そうに小さく笑った彼女の指が再びゆっくりと髪を梳かしはじめた。

「それに、こうやって彼女の髪の毛いじるの夢やってん」

 そんなこと言われたら、もう短くしたいなんて言えるわけないじゃん!
 心の中でそう思いっきり叫んだボクの気持ちを知ってか知らずか、その後も満足するまで鼻歌交じりにボクの頭をいじり倒し、気付けばお昼になっていたのだった。

  Day 3 - END -

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