夢をかなえるスマートフォン③プロローグの1〜Cafeブルーマウンテン

 「ミャ~」
子猫の声がした。
与志宮はパソコンのキーボードを叩く手を止めて、自分の足下をのぞいた。
暗いがあやしいものは何も見えない。
椅子の背もたれ越しに床を見た。木の床板と椅子の足のほか何も見えない。
周りを見渡しても、挙動不審なのは自分だけだ。
こんなところに猫がいるはずがない。 ここは都会と言っていい南青山骨董通りのCafeブルーマウンテンの自分のお気に入りの席だ。毎朝ここで仕事をするのが、ここ何ヶ月かの習慣だ。 他のビジネスマンやOLが出勤前のひとときを、珈琲の香りと共に過ごす空間でもある。
「おかしいな~。声はすれども?」
与志宮は首をかしげて、またパソコンの画面に戻った。
「ミャミャ」
また猫の声がした。どうやら後ろの席らしい。
与志宮はあからさまに振り向く勇気もなかったので、少しずつ体をずらして、後ろの席が少しは見えるように角度を変えてみた。
何か悪いことをしているようで後ろめたいし、なかなか苦しい姿勢だ。与志宮は自分は何でこんな事をしているのだろうと思い、馬鹿馬鹿しくなってやめようと思ったとき、
「ミャミャミャ」
3度目だ。
とっさに声の方を振り向いてしまった。
目に入ったのは、こちら側に背を向けている若い女性のスマートフォンの画面。
一瞬で理解できた。
ITの仕事をしているため、画面を見て即座に判断することには慣れている。
画面には子猫が映っていた。
おそらく動画で撮影したのだろう。そこから声がでていた。
TV画面やパソコンの音声で、動物の鳴き声が聞けるが、いつも不思議に思うことがある。
与志宮の家にはポメラニアンというドイツ原産の小型犬が2頭いるのだが、テレビ画面に映っている動物の鳴き声に反応して、騒ぎ立てることもあれば、全く無反応のこともある。 特に反応するのはやはり猫の声だ。
携帯の着信音も同様で、ある時気まぐれに猫の声の着信音を設定してみたところ、人間の耳にもどこかで猫が鳴いているーとキョロキョロしてしまうほどの臨場感ある「ミャー」なのだが、犬達がものすごく反応して大騒ぎになってしまった。傑作なことに、見えない猫の姿を家中探し回ったのだ。あわてて別なものに設定をし直したのだが、かといって同じような猫の声の着信音でも、ピクリとも反応しないものもある。何が違うのか、与志宮には聞き分けることはできなかった。でも、ひとつ分かっていることは、今のこの子猫の声は、まちがいなく家の犬たちに反応させるものだろうといいうことだ。与志宮もつい周りに子猫の姿を捜してしまったのだから。
すっかり集中が途切れてしまった。
後ろの席の会話が気になってしまい、聞くつもりもなく聞いてしまう。
「何だっけ?その猫の種類。さっき聞いたのに忘れてしまった。」
「スコティッシュフォールドだよ。耳がね、垂れてるんだよ。」
「何かのドラマとか映画に出てなかったっけ?」
「出てたらしいよ。 猫の映画、ドラマもあるよ。」
「かわいいのはわかったよ。だからって、遅刻はもうダメだよ。」
「すみません。(悪いと思っていない言い方だな、スマイルがついていそうだ)でも、着ていこうとしていた服の上で寝ちゃってるの見たら、ほらこれ見て。写メ撮ったの。」
「ハイハイ、分かりましたよ。以後気をつけるように。」
「さすがジャスティン!すごい日本語知ってるね。」
「ハイ、じゃあ、おしゃべりはおしまい。
レッスン始めるよ。」
日本人女性2人の会話かと思いきや、1人は日本人ではなかったのか、と与志宮は盗み聞きしながら驚いた。
確かに「lesson」の言い方は日本人離れしていた。しかし、それにしては日本語がうますぎるではないか。
与志宮はますます後ろの席に、耳だけへばりついた。
「これ、avairableね。よく使うから覚えておくといいよ。」
「よく聞きますよね。でもどんな意味か今ひとつわかりにくくて。何となくは分かるんだけど」
「そうねぇ、日本語でぴったりの言葉にしたら、何だろうね。
う ん、あれっ、思い浮かばない、でてこないよ。えっと。そうだね」
与志宮は後ろを向いたまま、ジリジリしていた。ここで振り向いて教えたりしたら、何か盗み聞きがバレそうだし、かと言って、このまま2人の会話を黙って聞いているのも、ストレスがたまりそうだった。
与志宮はいかにもスマートな態度を装い、振り返ってみた。
「あの~」
すぐ後ろの女性は学生のような日本人だが、向かいの席の女性は違った。日本人の若い娘たちが、イミテーションでつくる偽金髪ではない、生来の髪の色が目に飛び込んできた。
2人は話しに割り込んできた与志宮に気づくと、口を閉じた。

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