見出し画像

アップするか躊躇っている

 20年ほど前、諦めた夢がある。

 諦めた、そしてとことん嫌気がさしてしまった。

 私にはチームワークは向いていないとも思った。

 親からは金にならないものは遊びだ、お前は遊んでばかりいてと言われ、しょうもないこと言ってないでまともに生きろといわれ、仲間と喧嘩し、ときには脅迫され、踏み絵を踏まされ(あの時のことを思い出すと未だに私は自分を殴りたくなる)、これが仲間なのか、私はもう人間が嫌いになりそうだ。そう思って素人劇団を解散した。社会人になってから上演出来た芝居は2本だった。

 それでも睡眠時間は削られ、ベッドには3年入れず、風呂は5日入れず、食事をすれば「あなたはどんなに忙しくてもご飯を食べるよね」と言われ(当たり前だ!私は人間だ!)、勤務時間中に眠気と疲れに耐えきれず職場のトイレの床に10秒横たわって目を閉じたこともある。

 そんな感じだったから、芝居をやめてすぐの頃お金のための仕事だけの生活になったとき、仕事のことだけ考えてればいいというのはなんて楽なんだと感動したのを覚えている。

 それでもときどき思いついたアイデアや夜に見た奇妙な夢も何かに使えるかもしれないとネタ帳(なんと『マイブック2000年』だ。20年前。びっくり!)に書き留めていたのだが、それももう日の目を見ることはないのだと気づいてすごい虚無感に襲われた。

 美術館でアート作品を見ても、音楽を聞いても、本を読んでも、テレビを見ても、花を見ても何も感じなくなった。私が自分の楽しみのためと思ってやっていたことは、全て芝居のためだったのだ。

 急に自分が生きてる価値も感じなくなった。しかし今生きてる人で100年後も生きてる人は僅かだろう。そう思うと道ですれ違う人がみんな100年後のガイコツの姿に見えた。あぁ、ベビーカーに乗ってるこの赤ちゃんは、100年後ももしかしたらおばあちゃんだかおじいちゃんだかで生きているかもしれない。100年後には殆どみんな同じガイコツになっているのだから、何も今そうすることはないと自分に言い聞かせて辛うじて20年生きてきた。

 それでも生きているのが苦痛で気を紛らせるために、買い物依存になり、ゲーム依存になり、それらをやめようとしたら不眠になり、鬱病になり、摂食障害(過食)にもなった。ただ生きているだけでいいのに何故か難しい。

 以前見ていた奇妙な夢は、体調を崩してから語るのも憚られる、下手をすると人格を疑われかねない陰惨な悪夢になった。

 私の夢の内容を私の次に知ってるのはウチの母なのだけど、

「ちょっと昨夜の悪夢を聞いてよ。」

と話しかけると、

「アンタの悪夢は怖すぎる。」

と、拒否られることもしばしばだ。

 あまりにも怖くて、目覚めても数時間横たわったまま身動きできないこともある。そんな夢なので残しておきたいはずもなく、手帳に夢の記録を書き込むのもやめてしまった。

 芝居をしてたころは知らない誰かと、他者に理解されにくい感覚を共有したいという、自分の能力より高い理想を掲げていた。

 最近、このnoteで夢の話をポツポツと書き始めた。まだ、書くのに抵抗のない話を。誰かのためではなく自分のために。本当は、溜め込んでいる、誰にも言えない苦しい夢を吐き出したくて。

 迷っているのは、本当にヤバいやつをアップするかどうかだ。
 けれど同じように鬱病をやった仲間には私と同じように夜毎陰惨な悪夢にうなされてる人もいて(内容は相手の体調に響くといけないのでお互い自粛)、海外では怖すぎる悪夢を絵画作品にして発表してる人もいるから(検索するといくつかは見られます)、私だけが特別おかしいわけではなく書いていけないこともないのだろう。
 絵画だと一瞬を切り取って描写できるので絵を描ける人がちょっと羨ましい。
 文章でも絵画のような一瞬のカットを描写出来るのだろうけど、自分の中で最低限伝わる文章を書く自信がないし、自信がないまま書く勇気がない。
 でも、勇気が出たら拙くても書けたらいいなと思っている。
 ショートショートよりも更にショートな一定量の物語性のある夢は見ても忘れてしまうこともあるので、定期的にアップしてるとネタ切れするのが目に見えてるから。

 漠然とした、ときにはっきりしてくる希死念慮を抱えながら、しぶとくただ生きるためだけに、意欲を奪う悪夢さえもネタにしてやろう。

 そんな思いで「夢歌」シリーズを書いています。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?