『フランケンシュタイン』の怪物の孤独
フランケンシュタインといえば、
この怪物を思い浮かべますよね。
しかし、実は「フランケンシュタイン」という名前は、怪物を創った男の名前なのです。
と、偉そうに書いてみましたが……知ってる方も多いですよね。笑
数年前にこの事実を知り、それまで怪物のことを「フランケンシュタイン」と呼んでいた私は、とても驚きました。
この怪物には名前がありません。フランケンシュタインは、自らが創り出した怪物に名前すら与えていなかったのです。
『フランケンシュタイン』のあらすじはこちら。
この小説を読んで、フランケンシュタインの怪物に対する“ただただ恐ろしい存在”というイメージが変わりました。というのもこの怪物、元々は優しい心を持っていたのです。しかし、その恐ろしい見た目のせいで人間たちから受け入れてもらえず、彼の心はどんどん荒んでいくことになります。
怪物は、孤独だったのです。
人間たちは恐ろしい見た目=人を襲う、と決めつけて彼を攻撃します。怪物に寄り添って小説を読んでいると、人間たちの行動は酷いものにも思えました。
でも実際に私の前に怪物が現れたとしたら? と考えると、作中の人間たちを責めることはできません。私も恐怖で逃げ出すだろうし、身を守りたい一心で彼を攻撃してしまう……かもしれない。
以前読んだ『人は聞き方が9割』という本の中に“人は孤独になると判断を誤る”という言葉がありました。犯罪の原因の多くが孤独感から発生している、というお話だったと記憶しています。
優しい心の持ち主だったのに、どうしようもない孤独の末、残酷な行為に及んでしまうフランケンシュタインの怪物にも当てはまります。
人間が怪物をすんなり受け入れるのはとても難しいことでしょう。しかし、勝手に生み出され、創造主に名前も与えられず見捨てられ、人間たちに疎外される怪物の孤独を思うと胸が痛み、どうしたら彼は人間の世界で幸せに生きていけたのだろう、と考えてしまいます。せめて一人でも怪物の心に寄り添える人物がいたなら、結末はもっと違うものになっていたかもしれない、と。
例えば怪物を創り出したフランケンシュタインが怪物ともっと向き合うことができたなら、彼の友人となることも可能だったのではないか、そしたら怪物も孤独の中で苦しみ続けなくてよかったのではないか……なんて。
まぁ、フランケンシュタインは怪物を創り上げ、怪物がいざ動き出したとき、「恐ろしい」という理由で彼を放置して逃げ出すような無責任な人なんですけどね……。だったらもっと怖くない姿に創ればよかったのに……。
それでも、フランケンシュタインにこそ、怪物は受け入れてほしかったのではないかと思います。
今まで生きてきて孤独感を味わったことは何度もあるけれど、私が本当の本当にひとりぼっちだったことは一度もありません。親がいて兄や姉がいて、友人がいて、夫もいて。お店の人やご近所さんとの挨拶を交わすちょっとした繋がりもあり。
誰も微笑みかけてくれない世界を想像するとゾッとします。完全な孤独に身を置いたとき、わたしは正常でいられる自信がありません。だから、怪物のことを「怖い」なんてもう簡単には言えない気がするのです。
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