目に見えない痛み『グリフィスの傷』
涙が赤色だったら良かったのに、と考えたことがあります。それをテーマに詩を書いたこともありました。もうデータも残っていないその詩のことをふと思い出したのは、先日、千早茜さんの『グリフィスの傷』を読んだからでした。
どの短編も素晴らしいのですが、私は特に、悪意と心身の傷について書かれていた『竜舌蘭』と『グリフィスの傷』がお気に入りです。今日は主に『竜舌蘭』の感想を書きつつ、ちょびっとだけ『グリフィスの傷』にも触れていきたいと思います。
『竜舌蘭』の主人公〝私〟は突然クラスメイト全員から無視されるようになります。何が原因なのかぐるぐる考えてみますがわかりません。気にしないようにしても難しく、だんだん成績も落ちていきます。それでも、重い重い玄関の扉を開けて存在しないものとして扱われる教室へ毎日通います。ある日、竜舌蘭の棘で負った傷をきっかけにその日常に変化が訪れて──。というのが、この小説のあらすじです。
竜舌蘭の棘ってどんな感じなんだろう? と気になったので調べてみました。検索結果の写真を見る限り、これで肌を裂かれたら絶対に痛いだろうと思うくらいに鋭利でした。
しかし、〝私〟はこの鋭利な棘に太ももを裂かれた瞬間、異変を感じてはいるものの、痛がってはいません。血がだらだらと流れるほどの、傷が残るほどの怪我だったというのに。
当時の〝私〟にとっては、太ももの傷はなんでもないことであり、それよりも存在を消されることのほうがはるかに大きい苦痛だったのです。
この小説がいいなと思った点は、〝私〟が竜舌蘭でできてしまった傷痕に対して、否定的な感情を持っていないことです。むしろ、痕になることを懸念している母親の前で〝私〟は「いいんです、痕になっても」と言ってのけます。
なぜ〝私〟は痕になってもいいと思ったのでしょうか。その答えは小説の中に書かれているので、ぜひ読んでみてください。
「グリフィスの傷」という言葉については表題作の中でこのように語られています。
心の傷はこのグリフィスの傷と同じように人の目には映りません。だから、
になるのかもしれません。見えないから無いものとして、見ようとさえしていないから。『竜舌蘭』のクラスメイトたちのように。
『グリフィスの傷』の登場人物〝あなた〟の腕には無数の傷があります。彼女は、肌に傷をつくることで見えない傷を可視化しようしています。
そうまでしないと人は、人の心の痛みに気付けないものなのでしょうか。
そうまでしないと気付けないのだ、と感じていたからこそ、過去の私は「涙が赤色だったら良かったのに」と思ったのかもしれません。
言葉で傷付いたことがあります。言葉で人を傷付けたことも、あります。
言葉を吐くとき、その相手が自分と同じ生身の人間であるということを、自分の言葉ひとつで相手の心臓を抉ることもあるのだということを忘れてはいけないと思いました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?