エッセイ+短歌 「おかし」

 毎年二月になると誰かに贈るチョコレートを選ぶ。「誰か」はいろいろだけど。                          聖ヴァレンティヌスの祝日に贈り物を交わす習慣は西欧由来だが、品物がチョコレートであるのは日本独特のことで、五十年ほど前かららしい。製菓業界の戦略ともきくけれど、「神様の食べ物(テオブロマ・カカオ)」という学名を持つ植物から生まれた深い茶褐色の菓子は、厳寒のころ大切な人へ贈るのにまことにふさわしいと思う。 

 甘いものが大好きで、愛しているといってもいいくらい。特にチョコレートやココアには思い入れがある。こんなこともあった。

 粉雪の舞う夕方、旅先の無人駅で他に人影もなく、少し心細い気持ちだった。それに寒い。自動販売機で温かいココアを買うことにした。ごとん、と一缶でてくると同時に、機械にランプが点滅し、音楽が流れる。「当たり」でもう一本もらえる!とっさに同じココアのボタンを押した私は、五秒後には両手に缶を持って困惑することになる。いくら好きでも二本は飲めない。腰掛けて一本目を啜りながら途方に暮れていると、待合室に入ってきた人がいる。事情を話すと快く一本引き受けて(?)くれた。幸せは分け合うことで倍になる。一人で飲んでいたときよりも、そのココアは美味しく感じられた。

 駅と自動販売機と甘いもの、といえば『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子)に登場するキャラメルのエピソードが思い浮かぶ。戦争が始まって甘いものが姿を消し、駅の販売機も空になる。それでもその機機に、小学生のトットちゃんは毎日五銭と十銭を入れる。もちろん硬貨が戻ってくるだけなのだが、いつか出てくるかもしれないと試し続けるくだりを読むたびに、その幻のキャラメルを一緒に食べたい気持ちでいっぱいになる。

『モモ』(エンデ)の主人公が時間の国で供される飲むチョコレートは美味しそう。盗まれた時間を取り戻す試練の前に、心と体をさぞかし力づけてくれただろう。

 幾世代もの世界中の子どもたちの、幸せな記憶と憧れのまなざしに包まれているから、甘いお菓子はほろ苦い希望の味がする。

<短歌>

左手に指輪(リング)をつけて逢うときも洋墨(インク)の染みがとれない右手

「混沌」と君はいうけどそのことはココアを飲んで考えましょう

2005.2.5 秋田魁新報掲載

#エッセイ

                       


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冨樫由美子

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