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スタバが服つくってくれたらいいのに。と彼は言った

近所のイオンモールをプラプラしていたら、男性向けのカジュアルな洋服屋さんから大学生くらいと思われる若いカップルが出てきました。どうやら彼氏の服を見に店に入ったけど、手ぶらで出てきたようで、その時に男の子が口にしたのが「スタバが服つくってくれたらいいのに」というセリフでした。

何気なく言ったであろう言葉ですが、なかなかに深い意味が込められている気がして、妙に印象に残ったので、その言葉の意味するところを考えてみました。

スタバって何なん?

スタバとは、言わずもがなスターバックスコーヒー。誰もが知るカフェチェーンです。カフェですから、コーヒーを飲みに行くところであって、マグカップやボトルなどのカフェ関連グッズは多少あるものの、当然ながら洋服はありません。

ただ、カフェとは言っても、スタバをコーヒーの味で云々と評価する人はあまりいないと思います。多くの人にとっては、リラックスしにいくところ、仕事をしにいくところ、仲間とおしゃべりを楽しみにいくところ。加えて、若者にとってはホニャララペチーノを写真に撮ってシェアしたり、友人同士で“映え“を楽しみに行くところでもあります。うちの近所の店舗を見ても、この界隈ではリア充であろう様子のメンツが集まっていて、つまり多くの人にとって、スタバは、確実にオシャレで品質も担保されているライフスタイルにがっちりと入り込んだブランドなわけです。

私のような世代は、学生時代にやっとスタバが上陸したぐらい。都心部の学生でしたので比較的早めに接したほうだと思いますが、それでもリア充(当時はそんな言葉ないですが)だけが立ち入りを許される店という印象で、はじめてキャラメルフラペチーノを片手に講義に出たときは、わりと興奮した記憶があります。

あれからうん十年経ってもなお、若者達にとって「イケてるブランド」という地位を保っているのは凄いことですが、いずれにしても、スタバとはそのような絶大な安心感を誇るブランドである、ということです。

彼に何があったのか

服屋から手ぶらでできた彼は、その店に「ほしい服はあったけど高くて買えなかった」のではないようです。なぜなら、彼らが出てきたその店は、イオンモールの中でもリーズナブルな店。学生といえど、コーヒーを飲むのにスタバに行く程度にはお金があるならば、さすがに手が出る価格帯だったと思います。

ならばその店に「ほしい服がなかった」のか。それもちょっと違いそうな気がします。服屋にほしいと思うものが無いのに、アパレルブランドでもないスタバにほしい服があるはずもなく、「スタバが服つくってくれたらいいのに…」という、ある種の混乱を来したセリフには繋がりません。

おそらく彼は「俺は何を着たらいいのかわからない」という状況だったのだろうと思います。

思春期の若者にとって、毎日どんな服を着るか、は非常に悩ましい問題です。特に男子は、女子と違ってバリエーションも少ないので、“オシャレなやつ“と思われるかは、ティシャツの柄、パンツの丈のようなごく細かいディティールに左右されます。おそらく同性同士だと容赦なく「ダサい」だの「キモい」だとイジられるでしょう。ごく限られた予算で、女子にも男子にも評価され、適度に力が抜けて、他のやつとはちょっと差をつけられる服選びなど、難しすぎてパンクしてしまうのではないでしょうか。

つまり彼は、スタバのような、「間違いがなくて、背伸びもしすぎず、高すぎず安すぎず、誰から見てもちょっとだけオシャレ」(しかも服を買うのにイオンモールしか無いようなこんな田舎町でも買える)という立ち位置の服を求めているのに、それにピタリと叶うアパレルブランドが存在せず、苦悩していた、ということなのだと思います。

だからこその「スタバが服つくってくれたらいいのに」なのです。

圧倒的なブランドは判断力を失わせる

私自身も、何を着たらいいのか、どんなメイクをしたらいいのか、若い頃から、なんなら今もそれなりに悩んできましたので、彼の気持ちはわからなくもありません。これなら間違いない!というブランドをひとつ定めて、それだけを着続けようかと思ったことは何度かあります。

本来は、服なんて自由に楽しめばいいし、まして若いうちはそれほどTPOを考える必要もないのだから、周りから何か言われようと、心が動いたものを着ればいいはずなのです。

スターバックスだって、「あそこ行っとけば間違いない=他のことは考えなくていい」という思考停止させるために、ブランドを確立したわけではないと思うのです。世の中にいろんなカフェがあって、昔ながらの煙草臭い純喫茶だって、安くてダサいコーヒーチェーンだってそれぞれに良さがあり、その中から主体的に選んでほしいはず。

とはいえ、数多ある選択肢と、容赦ない他人の目の中で溺れるように生きている我々にとって、圧倒的なブランドとは判断力を失わせるのに十分な力があるし、人には潜在的に「考えたくない」「思考を奪ってほしい」という欲求があるのかもしれません。

政治学の世界では、自由には孤独と責任が伴うもので、その覚悟がなければ、人は自由を恐れて共産主義に傾倒していく(だいぶ雑な説明ですみません)という定説があります。人は自由を前に、必ずしもポジティブな気持ちになるとは限らないのです。服選びとはまるでケタが違いますが、それでも大学生の彼にとっての服選びは、時には思考の大部分を占める超重要なテーマ。だからこそ、もはや逃げ出してしまいたくなるほどに混乱し、信頼するスタバが「これを着たらいい!」と“正解“を提示してくれることを期待してしまったのかもしれません。

好きなものを着よう

超絶忙しいエグゼクティブならいざ知らず(オバマ大統領が毎日同じデザインのスーツを着ていたり、スティーブ・ジョブズも毎日同じジーパンとタートルネックを着ていた)、ごく普通の大学生ならば、人目など気にせず、好きなファッションを楽しめばいいはずです。何を着たいかわからなければ、いろんな店に出かけて行って、いろんな人の意見を聞いてみて、いろんなものに袖を通してみて、自分流を築き上げていけばいいのです。

たかがファッションかもしれませんが、その彼にとって、数多ある選択肢の中から自分の目と手で選び取っていくこと、自由なファッションをする代わりに人からイジられたりする覚悟、自分の選択への責任をトレーニングするには、悪くない題材なはず。

スタバが服をつくってくれたら…それはそれで期待もしたくなりますが、もっとアグレッシブに謳歌してもらいたいなぁ、と、すれ違っただけのおばさんは思うのです。

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