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デイサービスが楽しいところに変わった

きっかけは、キシリトールのガムだった。

俳優の古田新太さん似のイグチさんは、デイサービスの中では若手の60代。
ケアマネさんに勧められて、渋々リハビリを受けに通い始めた方だ。
脳梗塞で左半身に麻痺があるイグチさんは、左足に重い装具をつけて、左手には頑丈な杖を持って、ゆっくり歩けるようになったところだった。

若手ゆえに周りの高齢の方とは話が弾むこともなく、少し強面でとっつきにくそうなイグチさんは、ひとり黙々と歩く練習をしていた。
そしてイグチさんは、いつでもガムを噛んでいた。


ある時、ガムやアメは持ってこないようにお願いしていましたが、、、と、相談員さんが控えめに、ガムをやめてもらいたい旨をイグチさんに話しに行った。
ああ、でもガム噛んでると落ち着くんで。
素気ない返し。その時はそれで終わった。

「うるせえなあ、、、」とあからさまにイグチさんは嫌な顔をしていた。
相談員さんからガムを見かけたら注意してほしいと頼まれたスタッフが、やいのやいのとイグチさんに言うようになったからだ。

相談員さんの言い分は当然のことだ。わかる。規則に書いてあるんだから。
でも、ガム、噛みたいよね。わかる。リハビリ楽しくないんだから。

管理者からビシッと注意してくださいよ、の圧力をのらりくらりとかわしながら
もう少し静観しよう、そう思っていた。


そうするうちに、思いがけない方向へと様相が変わってきた。
イグチさんが次第に「わざと」持ってくるようになったのだ。
学校の持ち物検査でみつかって先生から何か言われたい生徒。あんな感じだ。

お風呂場で服を脱ぐといろんなポケットからガムがコロコロと出てくる。
片手でキリトールガムを扱うのは結構大変だから、簡単にポイっと口に入れられるようにバラしてあるのだ。
その『仕込み』がだんだん増えてきた。

「あ、また出てきた!」とスタッフが『没収』して連絡帳のケースに入れる。
「はい、没収ー」とやられると、イグチさんは「うるせえなあ」とニヤニヤする。
満更でもない、そんな様子に変わってきたのだ。

ある朝デイに到着したイグチさんの杖を見て、え?と二度見して、大笑いした。
「しっ」とイグチさん。朝からニヤニヤしている。
杖にガムが一個、テープで貼り付けてあるのだ。
「こんなところに!」とスタッフがみつけるのを期待してワクワクしているのが手に取るようにわかる。

そのうちにイグチさんの期待通りの「こんなところに!」というスタッフの大きな声が聞こえた。見るとイグチさんは、お腹を抱えて笑い過ぎて、顔が真っ赤になっていた。


ガムをきっかけに、イグチさんとデイのスタッフはすっかり馴染んだ。
もう、強面でとっつきにくいイグチさんは過去の人だ。ガムの仕込みもいつしかなくなった。

送迎の車のシートベルトがキツキツのイグチさんに、お肉を引き締めなさいよ!と言ってお腹をペシペシ叩くスタッフ。
麻痺のある左足がうまく持ち上げられない時にも、ほら早くしないとドア閉めちゃうよ!と、ひどい言われようだ。

オブラートのないからかい方に気分を害さないかと見ていて何度もヒヤッとしたけれど、でもスタッフにまったく悪気がないことが伝わっていたんだろうな、イグチさんが嫌な顔をすることはなかった。
反対にスタッフに遠慮のない事を言い返して怒らせたりしていたから、お互い様だ。

病気をすると周りの人が気を遣うようになって、遠慮のない掛け合いができなくなってしまいがちだ。それを寂しく感じている人は多いと思う。
病気の〇〇さん。『病気の』という形容詞は本当はいらない。〇〇さんのままなのだから。


それにしてもこんなに笑い転げるようになるとは夢にも思っていなかった。
たぶん、イグチさん自身も。































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