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自然の中の私と私の中の自然

実家に帰ってきた。自然って、素晴らしい。


なかなか帰って来れない場所

実家が沖縄にある離島のため、よほど天気や飛行機の運行状況や乗り継ぎがうまくいかないと東京からは1日では辿り着けない。
そして、そんな場所であるが故に観光客もほぼおらず、海は貸切状態となる。

沖縄にくると感じること

植物の生命力の凄さを感じたり、空の近さ、原色を思わせるような風景を見ていると、自分が地元だということもあるけど、情熱を感じる。
観光立県だけど、手付かずの自然も多いし、アニミズム信仰が生活の一部となっていることも人が元々持っている生命への賞賛というか祝福というかそういうものも感じる。

意図していない「丁寧な暮らし」

自分で栽培した野菜だったり、近所の人からもらう野菜だったり、魚で日々の食事を用意している。
コンビニもないし、外食先もあまりない。
娯楽の一つの酒は島の人が作ったものを飲んでいる。
つまり、誰が作ったのか、どのようにして作られたのか、魚なんかはどうやって手に入れたのかがわかるようになっている。
それってすごいことじゃないか。

自然を感じる

普段はそんなに気にしない自然を感じ、その中からさらにアニミズム信仰を感じる。これまで驕っていた自分という存在、人間をいう存在のちっぽけさを改めて感じ、自分の中を見直す。
信仰心があるわけじゃないと思うが、自然の中に神のような存在を感じ、自然の雄大さを感じる。
その中にいる自分を考える。なんだか、贅沢な時間を過ごしているなと思う。

近い未来

あっ、こういうのをリトリートというのかもしれない。
そう思うと、多くの人でなくていいから、誰かにこの自然を届けたいと思うようになった。
この島でリトリートをしてみたい。自分がファシリテーションしてみたい。と。
まずはね、自分を見直すことから。



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